日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

「株式投資の勧め」 朝倉慶氏

2012-03-02 22:29:40 | 政治・社会

<船井幸雄.comより転載>

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株式投資の勧め

 日本では1989年暮れのバブル崩壊から、何と20年以上にわたって基本的には株式市場の低迷が続いています。この間、いろんな投資話はありましたが、基本的には国債かないしは低利ですが、元金保証の預金、並びに現金で資産を保有していた人が救われたのです。
 一般的に日本人は投資に関しては保守的ですから、世間で言われているように金利が安い、不景気で困ったという問題はあるものの、日本人のマジョリティーは、この20年というデフレの期間、財産管理は完ぺきとは言えないまでも、それほど酷い状態にはなっていなかったのではないでしょうか? グローバル・ソブリン・ファンドとか外債とか株とか、投資話に乗った人達が火傷を負ったものの、日本人の大半はこのデフレ期で実質資産を減らすことはなかったというところが大勢だったと思えます。これはお堅い預金好きの日本人の保守性が時代にはマッチして財産保全という意味では功を奏していたということでしょう。

日本の国家破綻は近い!?
 しかし私はもうこのデフレの時代の終焉も近いと思っています。
 昨年、東日本大震災で思わぬ悲劇が東北地方を襲いました。真面目に生きてきた人々も理不尽に命を落としたのです。津波が容赦なく人々を飲みこんでいきました。私はたえず著作で警告を続けてきましたが、日本の財政はどう考えても持続不能で、国債の暴落から日本の国家破綻が来る日も近いと確信しています。
 その時はまさに、全日本国民に容赦なく経済津波が押し寄せて人々の財産を奪い去っていくことでしょう。この時は、今まで保守的で堅く、現金並びに預金、国債などで資産を保有してきた人々は、その資産をインフレによって実質的にほとんど失う局面が訪れると思っています。まさに理不尽な津波に東北の人々が流されたように、日本人の資産も経済津波と共に消え去ってしまうことでしょう。
 この劇的なタイミングがいつか? ということは難しい判断になりますが、私は、もう現金などの資産はそれほど多く持たずにいわゆる現物資産、株、不動産、金や貴金属などに資産をシフトすべきであると思っています。

 ここで、最近の国家破綻の例を見て、国家破綻した国々でどんなことが起こったか? ということを株や物価、賃金などの動きを比較してみてみたいと思います。まずはアフリカ南端の国、ジンバブエの例です。ジンバブエでは、1兆倍という激しいインフレに陥って経済が破綻しました。これは有名なドイツの第1次世界大戦後の賠償金支払いによる大インフレに匹敵するケースです、このケースを追ってみましょう。


ジンバブエ、アルゼンチン、日本の株価、賃金、物価の推移
ジンバブエ、アルゼンチン、日本の株価、賃金、物価の推移(※クリックすると拡大して見られます。)
資料:日経ヴェリタス(12/4)

 日経ヴェリタス(12/4)の資料によれば、ジンバブエの消費者物価はインフレが酷くなった2006年末から2008年7月末にかけて15億倍になりました。
 一方その間、70銘柄で構成されるジンバブエの産業株指数は同じく2006年末から2008年11月19日にかけて1兆倍強になったのです。さらに4銘柄で構成される鉱山株指数は同期間に17兆倍へとなりました。百貨店を経営するメイクルズの株価は2007年末の0.00085ジンバブエドルから2008年11月19日には10京5,000兆ジンバブエドルへと上昇しました。余りに単位が変わり過ぎてピンときませんが、京の単位は兆の上になりますから、その京の単位の上にまで上昇した株もあったということで理解すればいいと思います。
 2008年11月19日というのは、ジンバブエではその日まで株が現地通貨ベースで取引がなされていたということで、この日を最後に取引所は閉鎖、翌2009年2月18日に、米ドルベースで取引再開となったわけです。
 資料(グラフ1)で示したように、このハイパーインフレの間、労働賃金よりも消費者物価の上昇率が高く、さらには消費者物価の上昇率よりも産業株指数の上昇率の方が高く、さらには株では、鉱山株指数が産業株指数よりも高くなったことは注目です。
 日本が仮に財政破綻から国家破綻に陥った時に、株や不動産、現金など資産ベースの動きはどうなるか? というのは正確に予想するのは難しいところですが、このジンバブエにおけるインフレ爆発時の労働賃金、消費者物価、産業株指数、鉱山株指数の比較は参考になるところです。


ハイパーインフレ時に、株の保有は有効?
 常識的に考えても、インフレに対応できるのは国際的に通用する企業群です。特に鉱山株などの資源株はインフレには大きく反応しますし、マネーの価値が無くなる過程でその価値が他の資産に比べて暴騰状態になっていったのは注目で、日本のケースでも同じことが起きると考えられます。また産業株指数が消費者物価を凌駕したことも注目です。当然、1兆倍という激しいインフレでは、経済は完全に破綻しているわけで、その間、多くの企業が立ち行かなくなり、倒産状態に陥っていったと想像されます。その情勢にあって、代表的な産業株指数が消費者物価を凌駕した事実は、このようなハイパーインフレ時には株の保有は極めて有効であることを示していると言えるでしょう。70銘柄で構成された産業株指数ということは、その企業群の中には倒産した企業や倒産すれすれの企業、また、インフレに乗じて利益を得た企業もあったことでしょう。それらの平均値として、株式が消費者物価の600倍になったことは興味深い事実です。明らかに、インフレ時の株式投資の有効性を物語っていると言えるでしょう。またジンバブエのケースでは、海外に株式を上場していた企業もインフレの影響を免れました。

 次に2001年12月にデフォルト宣言をして国家破綻したアルゼンチンのケースを見てみましょう(同グラフ1参照)。アルゼンチンは国家破綻した2001年12月末、株式指数であるメルバル指数は295ポイントでした。これが10年経って、2011年1月には高値3700ポイントまで約12.5倍に急騰したのです。この間、当然国家破綻ですからインフレ状態となったわけですが、消費者物価は10年間で2.5倍ということです。このケースでも株は完全に消費者物価を凌駕しています。
 面白いことですが、アルゼンチンの株価をみると、アルゼンチンが国家破綻をした2001年末から上昇が始まってきたのです。それに至る1996年から2001年末までの5年間は、株価は半分弱に暴落していたのです。これも興味深いケースです。普通であれば国家が破綻したわけですから、そこから株価は奈落の底に落ちていくようなイメージを抱きます。ところが逆なのです。国家破綻するまでは株価は下げ続け、破綻した後は、10年に渡る上昇相場の始まりとなったわけです。この事実にはどうして? と不思議に思うかもしれません。ところがこれこそが株式市場の持つ先見性というものです。
 国家破綻になれば企業が潰れていくのは当然ですが、それ以上の激しいインフレが襲うということもあるわけです。アルゼンチンの株価はこのインフレを予見して、国家破綻直後から上昇が始まったというわけです。そしてその後、10年間で株価が完全に消費者物価を4倍も凌駕して上昇しているのは興味深いところです。

日本ではもう、資産を株や不動産にシフトすべき時期?
 翻って日本はどうかといいますと、これはアルゼンチンが国家破綻するまでの5年間に株価が下がり続けたケースと似たような段階にあると思います。ヴェリタスの解説によれば、日経平均は1996年末を100とすると、2011年末には44まで下落してまさに半値以下です、その間消費者物価は1.5%の下げ、まさにデフレです。そして労働賃金は5%近い上昇だったのです。こう見ていくと、この1990年台から2011年までは現金並びに国債を保有していた人達だけが損することもなく、デフレに対応してマネーの価値を維持していたことが見てとれます。
 しかし今後、日本は持続不能な財政から国家破綻に陥っていくのは必至と思います。その時は今までの投資スタイルが100%変わって、インフレに随時対応できる株式投資の必要性が高まってくるものと思います。一般的には庶民の暮らしは厳しいこととなるでしょうが、その極めて苦しい不景気の中で、株は恒常的なインフレを受けて上がり続けるでしょう。財産3分法とは昔からの習えですが、私は国家破綻秒読みのこの局面では、もう株や不動産に資産をシフトすべきで、これらの上昇の流れは10年単位で続く可能性があると思います。終戦後、1945年から1989年まで株も土地も上がり続けました。まさに日本はインフレ、経済発展の時代だったのです。
 そして1990年初頭から、バブル崩壊、衰退への道が始まったのですが、国家の借金、国債の無尽蔵の発行、借金生活で漬けを貯めていきます。この間はデフレの時代です。そしてこの借金生活が強制的に国家破綻によって不可能となります。その瞬間から今度は、悪性のインフレが始まってくる長いインフレのトレンドに入ると考えるとどうでしょうか? こうしてインフレからデフレ、デフレからインフレへと日本は根本的な変化を体験するわけです。当然それに応じた資産運用が重要です。
 こうして今、お堅い投資で現金だけ、国債だけを保有してきた日本のほとんどの人達が今度は資産保全の対応に苦慮する時代が訪れることでしょう。
 バブル崩壊に戸惑って、また株が上昇する時が来ると信じて大きな損失を抱えた投資家達、彼らの身になってみればわかりますが、人間というものは弱いもので、同じトレンドが1945年から1990年へと45年間も続いたら考えも変化させることはできません。成功体験があった人はなおさらです。同じように20年にわたって続いたデフレの時代の記憶は、今の人達にとっては抜け出すことのできない身にしみついた経験でしょう。しかし、永遠に続く流れなどないのです。インフレが来てデフレがきて、またインフレが来て経済は繰り返します。「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」と言いますが、変化の歴史を感じ取った人達だけがこれからの時代の勝利者となっていくことでしょう。

 では、どのような金融機関に資産を預ければ安全といえるでしょうか? 一般的に考えれば大手の金融機関が安全ということになります。それはそうかもしれません、たとえば三菱東京UFJですが、このような日本一の金融機関が仮に倒れるようなことがあれば、日本は国家として立ち行かなくなってしまいます。いうならば、主要金融機関は日本そのものと言えるでしょう。しかし、一方で、仮に国債の暴落が起これば、日本の銀行や生損保はそのほとんどがこの国債投資に依存していますから、財務的には全滅という事態に陥っていきます。こう考えると国債が暴落した地点では預金封鎖するか、あるいは日銀が無尽蔵のマネーを刷って対応するしかありません。どちらのケースも激しいインフレです。

国債暴落の影響が比較的軽微な金融機関は?
 一方、主要金融機関の中にあって、この国債暴落の影響が比較的軽微ですむのは、ネット銀行です。これは国債を多くは持っていません。主に決済業務だけで収益をだしています。そして証券会社です。証券会社は日本の場合は、その収益は大半が手数料に依存しています。株式や投資信託、外債などの販売手数料で経営が成り立っているわけです。これらネット銀行や証券会社なども国債暴落という大混乱になれば、不測の事態が訪れる可能性もあります。ただこのケースで、直接この国債を保有していないといことは強みです。銀行や生損保は国債が暴落してしまえば、預かった資金が無くなってしまいますが、証券会社の場合は分別管理といって国の指導で顧客資産と自分の会社の資産は別勘定になっています。そういう意味では国債の暴落のような大パニックに安全なのは日本の場合は証券会社と言えるかもしれません。
 もう少し、銀行と証券会社の収益構造を考えるとわかります。銀行や生損保は預かった資金を運用して利益を得ているわけです。いわば顧客からのお金を自己勘定で運用しているわけです、ですからこの運用に失敗すれば資金が残りません。これが金融危機ということです。ところが日本の証券会社は顧客の資産を預かっているだけです。その顧客が株を買おうが投信を買おうが国債を買おうが、証券会社はその時に手数料をいただくだけです。証券会社が昨今のように手数料収入の激減から赤字になることはありますが、日本では分別管理で、顧客の資産と証券会社の資産は別管理ですから顧客の資産は常に存在しているわけです。もちろん混乱で株や投信が大幅な暴落ということはあります。しかしその資産が消えることはありません。

★朝倉慶さんの最新刊『もうこれは世界大恐慌』(徳間書店)大好評発売中!

<転載終わり>

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 朝倉さんは今までは金を勧めてきましたが、今回の記事では、株や不動産を勧めています。金も買いと言われていますが、今までの方針から少し変化があったのでしょうか。

 先日船井経営研究会のYさんのご紹介で、アナリストの塚澤さんと会食しましたが、この方は株と不動産(特に農地)を買うよう言われていました。この方は、30年サイクル理論から、次は株や不動産が上昇する番だと言われています。

 今は金を勧める人は多いですが、株や不動産が上昇するという人はあまりいません。今まで金を買えと言ってきた朝倉さんが株と不動産が上昇すると言われていますので、流れが変わってきたように思います。大事なのは自分で考えて、決めることだと思います。自分で決めたのなら、仮に失敗しても納得がいきますので。

 私はこれからはお金を稼いだり、資産を増やすのではなく、サバイバルになると考えています。確かに金はいずれかなり上昇すると思います。5年以上持っていれば、資産にはなると思います。それも良いと思います。でも金は食えませんので、サバイバルでは役に立ちません。不動産も食えませんが、住むことができます。米や野菜は正に食べることができます。サバイバルということは当然ですが、衣食住ということになります。とにかく生きていくというレベルです。米や野菜を栽培するのは、「食」ですし、不動産を手に入れるのは「住」です。着る物はそれなりに持っています。

 私はこれから数年はサバイバルになると思っているので、農地を用意し、農業技術を習得しました。農薬や化学肥料はコストがかさむので、無農薬、無化学肥料栽培もできるようになりました。住むところも5ヵ所確保しました。更に米と野菜だけあれば、満足できる身体にもなりました(笑)。六城ラヂウムから放射能の粒も買いました。ただ、私はそう考えているだけで、全くサバイブする必要などないかも知れません。自分で考えて、決めればいいと思います。人に言われてやるのは面白くないですよね。自分で決めてやると、楽しくできますし、ストレスは無しです。

*明日は川越から二人の美女が赤城の農園にやってきます。オーナーさんですので、ジャガイモを植えたり、小松菜や大根、人参、キャベツ、ブロッコリーなどの種蒔きをやり、その後はこちらのお手伝いをしてくれるとのことです。ありがたいです。作業の後は、皆で放射能温泉に浸かって、疲れを取ります。その後はひふみ料理をいただきながら、ビールで乾杯です。明日も楽しくなりそうです。

・船井幸雄.com


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「日本における恋愛観念」 共同体社会と人類婚姻史

2012-03-01 06:56:33 | 日月神示関連の情報

<共同体社会と人類婚姻史より転載>

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【人類婚姻史を構造化する】10~日本における恋愛観念,一対婚の広がり~

これまでシリーズにて,世界の婚姻制度の歴史的変遷を見てきました。

その中で,人類の婚姻様式を規定するのは,「皆の最大期待⇒集団や社会の統合軸」であることを軸に人類婚姻史を構造化してきました。
その結果,さまざまな外圧に適応するために,婚姻制度もみんなの期待により変化している事を確認しました。

m013 <これまでのシリーズ1)~9)>

「1」人類婚姻史を構造化する プロローグ」
「2」極限時代の婚姻様式は男ボスを中心として首雄集中婚ではない?!」
「3」極限時代の婚姻様式「チャネリングセックス」とは?!」
「4」採取生産時代の婚姻と近親婚のタブー」
「5」採取部族の婚姻の変化~交叉婚:単位集団からの集団外の充足対象の拡大」
「6」採取部族の婚姻の変化~性の需要アンバランスが集団婚を解体に導く~」
「7」北方狩猟部族の勇士婚~洞窟から出た人類が集団に期待したもの~」
「8」略奪婚から私有婚」
「9」ルネッサンスから近代の婚姻様式:私権闘争以降,略奪婚⇒固定一対婚から,自由恋愛へ」 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

m005 欧米社会の婚姻史(これまでの復習)

略奪闘争の嵐に巻き込まれて,欧米~中東~中国とほとんどの世界では,氏族集団が徹底的に破壊されて略奪集団しか生き残っていなくなっていました。婚姻制度も略奪婚に変化しましたが,集団安定の為に固定一対婚に移行していきます。

略奪共認の圧力(=略奪を共認して,自らも略奪に参加するしかない)の中で,社会は私権確保が最大の期待となってきます。
そして私権獲得の大きなエンジンとなったのが「恋愛」観念です。

「恋愛」は自由な性市場の拡大を目指します。その結果,欧米文化は略奪(植民地化~帝国主義化~経済支配)し続けます。
そして,ほとんどの世界では,「恋愛」の自由の下で「固定一対婚」が普及しました。

m005 日本の江戸時代までの婚姻制はどうだったのか

唯一この欧米略奪文化から隔離されていたのが,鎖国をしていた「日本」でした。
島国の日本の江戸時代では,8割の平民である農民は,全面的な略奪闘争の波を受けることがなかったので,昔からの村落共同体(≒母系制)を維持していました。
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※現代でも,早乙女たちは太鼓に合わせて田植え歌を歌いながら苗を植えてゆく」祭りが残っています。
写真は,山野草、植物めぐり『新庄の大花田植え’09-5』よりお借りしました。
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※夏の初めのネズミ村、今日も田植えで忙しい、 グルグル、グルグル、水車、回して水をかえこんで 馬にマンガ引っ張らせ、ザブザブ、ザブザブ、代掻いて、苗を運んで投げ込んで、ずらりと並んだ早乙女が、節ものどかな田植え唄、一反植えるとおばさんが、持てくるお茶とおにぎりでみんな揃って中休み⇒田植えは村人全員で行う一大事業です。
 ~「懐かし通り 郷愁倶楽部」さんからお借りしました~


支配者層は,緩やかな支配方法で,村落共同体に自治を認めていました。惣村(=村落共同体)は,共有の神社や水路,田植えや稲刈りの順番制などの生産ルールを共認されており,村人の生活基盤そのものであった。
多くの蓄財が村の共有所有で,子供たちも村の子供でした。(≒母系性文化)

当然に,若衆宿などの婚姻も村のルールに従って結婚していました。結婚により,嫁入りした女性は,労働力として期待され,村の跡継ぎとなる子供たちの出産,育成を期待されました。

当時の「結婚」は,好き嫌いの感情ではなく,期待される役割(≒生活)その物だったのです。

また,「性」は解放的で,貞操観念がなく婚姻前の性交も問題ありません。婚姻後も主人以外との性交も,祭りなど夜這いによる性交があり,実質的に村の「性」は皆の共有でした。
産まれてきた子供は「村の子供」なので,誰が父親かなどは問題ないという,おおらかな社会です。

当時の皆の期待は,生産力である惣村(=村落共同体)の維持でした。その為に村の結束の維持として「性」の楽しみの共有は大切でした。また,女性は労働力としての期待と子孫の出産~子育として大きな期待を受けて「結婚」していました。

註)江戸時代までの婚姻制は,身分により2層が存在して居た。
①2割程度の支配層(武士など)は,大陸の略奪文化の影響で儒教文化による厳格な一対婚の文化でした。
②8割の平民は,平安の時代以前からず~と夜這い婚文化です。つまり,一対婚形態を取りながらも,「性」に関しては村の共有で,おおらかな性文化を楽しんでいた。


m005 明治時代の開国と共に,家族,婚姻の制度を改正

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於鹿鳴館貴婦人慈善会之図

一対婚+恋愛文化の欧米人達は,日本の夜這い婚にビックリします。と言うのも,キリスト教は生涯一人しか居ないという「一対婚」が建前です。(不倫文化も有るのですが,それは罪なる秘め事なのです)だから,日本における村内のおおらかな性の共有文化を,「野蛮文化」と非難します。

これに大慌てしたのが,時の明治政府です。
明治政府の最大の政策が,植民地化を避ける為に,鹿鳴館などの欧米文化を背伸びして真似ながら,日本も文明国化して欧米と対等に成るよう努力していたところです。

そして憲法を作り,新たな家族制度,婚姻制度を改正します。
・婚姻制度は,「一対婚制度」です。これまでの若集宿,娘宿を強制的に廃止し,さらに夜這い婚の禁止令を何度も出します。

また市場社会が急速に広がり農村が貧困に成った結果,多くの娘たちは都市に働きに出ました。明治政府の規制と,実質的に村に娘がいなくなったので急速に夜這い婚(≒村での「性」共有)の文化は衰退しました。

註)一部の田舎では,夜這い文化は戦後まで残っていたとの話もあります。

・憲法にて「家族制度」は,家長制が採用されます。当初は最先端のフランスの憲法(家族形態すら無くして全くバラバラの個人)を採用しようとしました(フランス学者ボアソナード)。
しかし,強い反対に合い,支配者層の儒教(=武士)文化に近いドイツ形式の「家長制」が採用されました。
妻は夫の支配下にあり,子供の婚姻は父親の許可が必要といった内容です。明治の頑固親父,亭主関白の元となった文化かもしれません。

しかし,ここで注目すべきは,それまでの農村は「運命共同体」だったのですが消滅してしまい,「家族」がそれに代わる「運命共同体」となったと言うことです。市場化の波に飲まれて,村落からは娘だけでなく働き手の多くの若者も都会に流出してしまい,「惣村」(=運命共同体)が崩壊していったのです。

大衆の期待は,村の共同体が崩壊して不安定な経済状況下において,共同体「家族」や親戚一族だけでは不安定です。だから,流出された若者は都会で「家族」を作るだけでなく,擬似の共同体として町会など(=地域コミュニティー)を作ったのです。

そして結婚も,この地域コミュニケーション内の関係ネットワークで,お互いの家同士の家長が決める相手との見合がなされ結婚が行われたのです。

m005 大正ロマンでは,「自由恋愛」が憧れに
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※竹久夢二は岡山県に生まれ、新聞・雑誌の挿絵(さしえ)を描いて世に出ました。夢二が描く、郷愁(きょうしゅう)と憧憬(しょうけい)を感じさせる、愁い(うれい)を帯びた女性像は『夢二式美人』と呼ばれ、絶大な人気を誇りました。

日本は欧米に追いつくべく,日清日露戦争の勝利,第一次世界大戦も勝利側に付いて,国力も急上昇中した。大衆は欧米に倣って,一気に豊かさや自由に開かれて,その可能性を求めだしたのが「大正ロマン」です。

文化人は欧米文化をいち早く取り入れて欧米文化の普及させ,男女同権~恋愛文化が金持ち層に広がり憧れと成っていった。(夏目漱石 竹久夢二 平塚らいてう 谷崎潤一郎 志賀直哉 北原白秋など,昔の教科書の登場人物たち)

日本でも市場社会が拡大し始め,性市場の開放も皆の期待となり始めました。しかし,まだまだ現実は家長の決める相手との見合~結婚でした。が,小説などで「恋愛」が憧れとして,観念的に定着し始めた時代です。

m005 大正ロマンが急停止して,禁欲的な「良妻賢母」に

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※良妻賢母 「ささやかな日々」高橋まゆみさんの人形http://suzu-na.cocolog-nifty.com/blog/写真をお借りしました。

大衆の恋愛文化が普及するには,もう少し時間が掛かります。

江戸時代の,おおらかな夜這い婚の「性」文化は,明治維新後の欧米化政策で,「一対婚」制度と「家長制度」で欧米文化に押し込められました。その後,日清・日露等の戦勝で,好景気の日本では「大正ロマン」が花咲き,欧米の「恋愛」文化を文化人や金持ち層が取り入れ始めました。

そこに「恋愛文化」の普及に冷や水を掛けたのが,本格的な戦争体制です。

日本は欧米(特にアメリカ)に追い詰められて,第二次世界大戦・太平洋戦争が始まります。

軍国主義の国家体制の中で人手不足になり,国力増強として「産めよ増やせよ」と出産が賞賛されたりもしました。しかし,その後戦況が悪化していく中で,多くの人が戦死し食料の確保に窮する状況になり,国民の期待は,どう生き延びるかと言う限界でした。

軍部は,生存を掛けた戦いだと非常事態宣言して,天皇崇拝~厳格主義に走ります。
また儒教的文化の教育勅語の普及,良妻賢母の家庭での妻の役割に型がはめられます。

m005 太平洋戦争の敗戦後は,アメリカ文化が多量に流入。

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「奥様は魔女」アメリカのファミリードラマ。一戸建ての住まいで各自に個室,車,リッチなキッチン,ダイニングルームなど洋風の「豊かな生活」を憧れた

日本国憲法が策定されて「民主主義」「自由」「平等」「博愛」などの,アメリカの観念が多量に流入してきます。「家長制度」が廃止され,婚姻は二人の自由となります。

日本経済が奇跡の復興~経済成長の中,「自由」「市場」に可能性がどんどん開かれていくので,若者中心に社会は,その可能性に向って疾走します。

戦前の結婚は,結婚は親が決めた見合い相手と結婚するのが当たり前でした。(=家長の許可無しに法的には結婚は出来なかった)

そして戦前の儒教文化や「家長制度」を引きずる大正の頑固親父を「封建的」と,踏み越えて「自由恋愛」を切り開いたのが,団塊の世代(現在の60歳前後)です。


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※かぐや姫が歌い大ヒットを記録した「神田川」。人形劇サークルに所属する大学生とひとりの少女との「同棲生活」を描く内容が映画化された。

当時の若者の期待は,開かれてゆく市場社会の可能性を,勝ち取りたいという思いです。そして,その障害を取り払うことが社会改革と信じていました。婚姻でも「自由」な「恋愛」を謳歌する「権利」を有すると考えて,以降は「恋愛」文化に傾斜していきます。

m005 「見合い結婚」<「恋愛結婚」
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※新婚さんいらっしゃい 1971年から続く長寿番組。当初は,必ず「見合ですか? 恋愛ですか?」と質問していた。

そして,1967年にはその数が 見合結婚<恋愛結婚 となります。それ以降は,見合結婚は激減して恋愛至上主義となります。

今でも結婚式では,「○○家」と「△△家」と書かれて,家と家の結婚式の形態を残したりしていますが,昔の結婚は個人の結婚ではなく集団の物であったのです。集団の責任において,期待すべき若者に結婚をさせる文化でした。

1967年を境に,結婚は若者二人の「個人」の「自由」における「恋愛」でなされるように変わったのです。

集団の結婚へ期待の下で集団が決定権 ⇒ 個人の自由な恋愛がありその後に結婚する

集団から切り離された結婚は,個人の自由となって恋愛が前提となったのですが,その実態は異性の獲得合戦です。観念で幻想化していますが,その実態は私権獲得競争なのです。つまり美人・男前獲得競争と金持ち相手の獲得競争です。日本はバブル期に,この私権獲得競争の男女関係が全開します。

しかしその後,物充足時代に育った私権意識の衰弱した若者達は,「恋愛」,「結婚」さらには,「性」さえも見向きをしないようにな男女が増えて,晩婚,非婚,セックスレスが急増して現在に至ります。

◆こうしてみると,日本では江戸時代までは「集団」を中心とした皆の期待による役割としての「婚姻」であったのが,明治~大正~昭和~平成と欧米文化の輸入で,「恋愛」にて「個人」が「自由」結婚を決める形態に,急変してきた事が分かります。

そして,現在の男女関係の混迷です。

◆現代日本の男女関係をどう捉えればよいのでしょうか?
 世界の婚姻歴史から見ると,どのように見えるのでしょうか?
 さらに,今後の男女関係は,どうなるべきなのでしょうか?

 次の最終回に,扱ってみたいと思います。御期待ください。

<転載終わり>

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 半年ほど前にこのブログで、昔の日本は、夜這いが普通にある社会だったと書いたところ、かなりの反響がありました。私たちは一夫一婦制が普通だと考えていますし、今後もそれが変わるということはあり得ないと思っています。私もそう思います。ところが、昔の日本では夜這いは普通にあったそうですし、夫婦間以外の交渉も大目に見られていたようです。今では不倫ということになりますが、昔の人はおおらかだったということです。おおらかというと聞こえはいいですが、現代の思想から言えば、貞操観念が無いということになります。

 性を共有するという概念は今の私たちには理解できません。実際に夜這いや、夫婦以外の交渉が大目に見られている社会を経験してみないと分からないと思います。

 また、性の問題を従来とは180度違った角度で書いてある著書が、「ガイアの法則Ⅱ」です。これもなかなか理解できない内容です。

 今の世の中は、性の問題はタブーなので、皆で話し合うということはほとんどありません。ひふみ仲間とも、性の問題は語り合ったことはありませんし、そもそもあまり関心がありません。ただ、この記事などを読んだり、「ガイアの法則Ⅱ」や「タオコード」などを読むと、性の問題というのは、人間にとって大事な問題ではないかと思うようになりました。

 日月神示にも性のことは書かれていませんので、あまり参考になりませんが、「神界の乱れは、色からぞ」とありますので、やはり夫婦間以外の交渉はよくないと取れるのかもしれません。(普通は当然不倫になります) 神様にとっても、性というのはタブーということなのでしょうか。よく分かりません。

 

・人類婚姻史


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