日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

祈りと行

2022-03-29 17:07:15 | 日月神示の実践
  • 祈りと行

「祈りとは意が乗ることぞ」と日月神示にはあります。神と波長を合わせ、祈ることが重要とのことです。また、自分の奥底の魂を発現させ、行動を起こしていくことが肝要だといいます。

「行」とは滝に打たれたり、断食をすることではなく、日々の生活の中で神の願う行動をすることです。また、自分が現界に来る前に決めた魂の計画を実践することをいいます。

 

「祈りとは、意が乗ることぞ。霊の霊の霊と体と合流して、一つの生命となることぞ、実力であるぞ」

 

「日々の祈りは行であるぞ。百年祈り続けても、祈りだけでは何もならん。それは祈り地獄ぢゃ。祈り地獄多いのう。肉体人は肉体の行せねばならん。」

たとえ百年祈り続けても、実践をしないと無駄になります。現世に生きる肉体人は、行動を起こさないと意味がありません。

 

「祈りと申すのは心で祈り願うことではないぞ。実行せねばならん。地上人は物としての行動をしなければならんぞ。口と心と行と三つ揃わねばと申してあること、忘れたか」

祈りとは心で祈ることではなく、実行しなければなりません。身口意を一致させることが重要です。

 

「為すにはまず祈らねばならんが、そなたはそなたの神にのみ祈っているぞ。為すのは己であるから、己に祈らねばならんぞ。己に祈りた後、己が為さねばならんぞ。」

神に祈るだけでなく、自分自身にも祈るとよいです。自分も神の分け御霊なので、自分への祈りも大事だということです。

 

「拝むばかりで金もうけ出来たり、病気治ったりすると思うたら間違いぞ。道にいそしめ。道行くところ喜びあるぞ。喜びあるから病気も治るのぢゃ。金も出てくるのぢゃ。」

拝んだだけで金儲けができたり、病気が治ったりすることはありません。実践が必要です。喜びによって病気は治り、お金も入ってきます。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身魂磨きとメグリ 2

2022-03-25 19:57:36 | 日月神示の実践

 

「信仰を得て霊的に病気を治すのは、一瞬には治らんぞ。奇跡的に治るとみるのは間違い、迷信ぞ。時間も要り手間も要る。物も金も要る。大き努力要るのであるぞ。」

 

「メグリと申すのは、自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。メグリは自分でつくるのであるぞ。他を恨んではならん」

 

「自分の中にあるから近寄ってくるのであるぞ。嫌なこと起こってくるのは、嫌なことが自分の中にあるからぢゃ」

 

「仕事は行であるから、務め務めた上にも精出してくれよ。それがマコトの行であるぞ。滝に打たれ、断食するような行は幽界の行ぞ。」

 

「この世に生まれて、この世の行せねば、生まれた時より悪くなるぞ。草木より役に立たんものとなるぞ。草木に変えると申してあろう。神が変えるのではない。自分で成り下がるのであるぞ。」

自分が望んで現世に生まれてきたからには、自分で描いた生前の計画を実行しなければならないのです。自分で決めてきたことを実行しないと、草木に変わることもあります。実際に手や足が木のように変質してしまった人がいます。インターネット百科事典のウィキペディアによると、「手や足などに木の皮のようなイボが生じる、遺伝性の皮膚疾患。ツリーマン症候群ともいう。」とあります。自分から草木に変わると日月神示では言っています。

 

「苦労、苦労と申しても、悪い苦労気の毒ざぞ。善き苦労花咲くぞ。花咲いて実結ぶのざぞ。人民苦しみさえすればよいように早合点しているなれど、それは大間違いざぞ。神の道無理ないと、くどう申してあろがな」

 

「苦しむと曲がるぞ。楽しむと伸びるぞ。この方苦しむこと嫌いぢゃ。苦を楽しみて下されよ」

この方とは、日月神示を下した国常立尊のことです。神様も苦しむことは嫌いだと言っています。ただ、苦を楽しむというのは、一朝一夕にはできないと思います。

 

「何事が起こってきても、そなたはまず喜べよ。それが苦しいことでも、悲しいことでも、喜んで迎えよ。喜ぶ心は喜び生むぞ。人民喜べば、神喜ぶと申してあろが。」

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大恐慌クラスの経済混乱」やってくる…! yahooニュース

2022-03-22 20:00:06 | 政治・社会

<yahooニュースより転載>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 そもそも、第1次冷戦時代と違って、今回西側が対峙するのはソ連邦(ロシア)だけではない。  

第1次冷戦当時には人口が多くても経済的小国であった共産主義中国はもちろん、近いうちに世界最大の人口を抱えることになると見込まれるインドも、第2次冷戦においては「西側と対峙する大きな勢力」になる可能性がある。

さらには、歴史的にイスラエルを支持する米国に潜在的憎しみを持っている中東諸国や、中国の一帯一路に取り込まれている国々。さらには、米国にひどい目に合わされてきた中南米の国々も「西側と対峙するグループ」になりかねない。もちろんキューバはその筆頭だ。  

日本は、広島、長崎で事実上の「原爆人体実験」をされただけではなく、赤ん坊を背負った母親を含む無垢な市民を無差別に虐殺する東京大空襲の被害を受けた。さらには、同じ敵国人でも白人であるドイツ人やイタリア人にはお構いなしであったのに、日系人だけが非道にも強制収容された。それにも関わらず日本に親米派が多いのは不思議な現象ともいえる。  

だが、世界を見渡せば大概の場合日本ほど寛容ではなく、反米の国々が多いのだ。その反米の国々を、バイデン民主党のロシアに対する「稚拙な経済制裁」によって一致団結させようとしているのが現状だ。  

共産主義中国は、ロシアがもし倒れれば「次は自国」になるのであるから、これまでの両国の微妙な関係は抜きにして「一致団結」するのは間違いない。  

インドはまるで「西側」であるかのように思われているが、(インドが)核保有国になった時のいきさつもあってかなりの反米国家である。また、現在使っている武器の多くがロシア製である。さらに、ソ連邦が崩壊するまではインドに対して強い経済的、政治的影響力を及ぼしていた。  

ロシアを非難する国連決議をインドが棄権したのも、そのような歴史的な両国の関係が背景にある。  

中国もインドも現在人口は14億人ほどであり、ロシアの約1.5億人を合わせれば30億人規模という巨大な経済圏になる。もちろん、全体ではまだまだ貧しい人々が多いが、ロシアの核兵器、中国の経済力、インドの人口(成長力)が合わさればかなりの脅威だ。  

しかも、死に体であった一帯一路もバイデン氏の経済制裁のおかげで復活するはずだ。新興国や中南米には独裁国家が多いから、「やっぱりなんだかんだ言っても、ロシアをいじめ抜く米国よりも、中国の方が頼りになるよね」ということになるのは火を見るよりも明らかである。  

それに対して、西側は1~4の複合危機によってかなり厳しい状況に追い込まれる。  

世界が再び大きく2つの陣営に分かれた時に、今度も西側の自由主義が勝利すると安易に考えない方が良いと思う。もちろん、個人的にはそう願うが、バイデン政権があまりにも悪手を連発すれば、「起こってほしくないこと」が現実のものになる可能性は低くない。  

「起こってほしくないこと」の筆頭はもちろん核戦争だが、リーマンショックを越える「大恐慌クラスの経済混乱」(今回はデフレではなくインフレ)もその一つである。

<転載終わり>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

テレビや新聞では毎日ウクライナ問題について報道されていますが、日本の報道だけを見ていると、全世界がロシアを非難しているように感じます。

調べてみたところ、ロシアへの経済制裁を拒否した国は以下になります。
中国
インド
ブラジル
メキシコ
サウジアラビア
トルコ
エジプト
イラン
ハンガリー
セルビア

これら以外にもあるので、全世界がロシアへの経済制裁をしているわけではないようです。

第一次冷戦は西側 vs ソ連でしたが、第二次冷戦は西側 vs ロシア・中国・インドなどになる可能性があるそうです。
ロシア、中国、インドの人口を合わせると30億人もいるとのことです。世界人口の4割ですね。

ロシアの善悪は別として、西側の経済力、軍事力、人口はこの3ヵ国に劣るそうです。

西側のyahooニュースに、このような記事が載ること自体に驚きました。



yahooニュース


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身魂磨きとメグリ

2022-03-20 05:46:33 | 日月神示の実践

 

  • 身魂磨きとメグリ

身魂磨きとは、滝に打たれたり断食をしたりすることなどではなく、日常生活の中で身体と魂を浄化することです。自分が積んできたカルマの清算です。

 メグリとはカルマのことです。日月神示では、何度も生まれ変わる中で、積んでしまったカルマのことをメグリと呼んでいます。

日月神示では身魂磨きの実践として、以下のように述べています。

 

「臣民に判るように言うなれば、身も心も神のものざから、毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、それでその身体をどんなにしたらよいかということ判るであろうが。夜になれば眠った時は神にお返ししているのざと思え。それでよく判るであろうが。身魂磨くと申すことは、神の容(い)れものとして、神からお預かりしている、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ」

自分の身体を神の容れものとして、大事に扱うということになります。暴飲暴食や不摂生などをしないということです。また、身だしなみをきちんとすることです。ただ、これらは戒律ではなく、あくまで自分の本心からの行動でないと意味がありません。

 

「洗濯と申すのは何事によらん、人間心捨ててしもうて、智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つも疑わず、生まれ赤子の心のうぶ心になりて、神の道守ることぞ。身魂磨きと申すのは、神から授かっている御霊の命令に従うて、肉体心捨ててしもうて、神の申すことは背かんようにすることぞ。学や智を力と頼むうちは、身魂磨けんのざ」

理論理屈ではなく、生まれ赤子の心になることが大事だとあります。「生まれ赤子」は日月神示に何度も出てきますので、重要なキーワードであるといえます。生まれ赤子のように、素直に日月神示の道を歩むことが大事だということです。

 

「進むには、それ相当の苦労と努力要るぞ。あぐらかいて、懐手していては出来ん。時も要るぞ、金も要るぞ。汗も要るぞ。血も要るぞ。涙も要るぞ。善いものほど値が高い」

 

「目が覚めたらその日の生命お預かりしたことを神に感謝し、その生命を神の御心のままに弥栄に仕えまつることに祈れよ。神はその日その時に何すべきかについて教えるぞ。明日のことに心使うなよ。心は配れよ。取り越し苦労するなよ。心配りはせなならんぞ。何もかも神に任せよ。神の生命、神の肉体になり切れよ。何もかも捨て切らねばならんぞ。天地みな神のものぞ。天地みな己のものぞ。」

 

「これと信じたらまかせ切れよ。損もよいぞ。病気もよいぞ。怪我もよいぞ。それによってメグリ取って頂くのぞ。」

損をしたり、病気、怪我をしたりすると、普通は悪いことだと判断しますが、深い観点からみれば、カルマを取ってもらっているので、良いことになります。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙の理を悟った植芝盛平

2022-03-19 17:44:19 | 日月神示の実践

宇宙の理を悟った植芝盛平

 

 生体水と同じように、人間には神の分霊が宿っています。日月神示にも、人間は神の分け御霊であるとあります。神社や神棚にある鏡は、そのことを示しているといわれています。そして私たち人間に宿っている神は、根源神といわれる天之御中主神とのことです。

 身体には生体水があり、魂には神の分け御霊があるのですから、元々人間は健康な身体と魂を備えて生まれてきていると考えられます。

 人間は神の分け御霊であり、神の力を備えているはずですが、ほとんどの人はそれを発揮できていません。なぜ神力を出せないのでしょうか。合気道開祖である植芝盛平は以下のように述べています。

 

『合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」なのである。私はこのことを、武を通じて悟った。
 いかなる速技で、敵がおそいかかっても、私は敗れない。それは、私の技が、敵の技より速いからではない。これは、速い、遅いの問題ではない。はじめから勝負がついているのだ。
 敵が、「宇宙そのものである私」と争おうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。すなわち、私と争おうという気持を起こした瞬間に、敵はすでに敗れているのだ。そこには、速いとか、遅いとかいう、時の長さがまったく存在しないのだ。
 合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。
ではいかにしたら、己の邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?
それには、まず神の心を己の心とすることだ。それは上下四方、古往今来、宇宙の隅々までに及ぶ、偉大なる「愛」である。「愛は争わない。」「愛には敵がない。」何ものかを敵とし、何ものかと争う心は、すでに神の心ではないのだ。これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。宇宙と調和できない人間の武は、破壊の武であって、真の武産(たけむす)ではない。
 だから、武技を争って、勝ったり負けたりするのは真の武ではない。真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬことである。勝つとは己の心の中の「争う心」に打ち勝つことである。与えられた自己の使命を成し遂げることである。しかし、いかにその理論を難しく説いても、それを実行しなければ、その人はただの人間にすぎない。合気道は、これを実行してはじめて偉大な力が加わり、大自然そのものに一致することができるのである。』

 「宇宙そのものである私と争おうという気持を起こした瞬間に、敵はすでに敗れている」と植芝盛平は述べています。また、「勝つとは、己の心の中の争う心にうちかつことである」とも言っています。宇宙そのものになることができれば、無敵だということです。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする