かわたれどきの頁繰り

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『ボッティチェリ展』 東京都美術館

2016年02月15日 | 展覧会

【2016年1月27日】

 ボッティチェリといえば《ヴィーナスの誕生》と《春(プリマヴェーラ)》である。というよりも、有名すぎるこの二作品くらいしか思い出せない。残念ながら、今回の展覧会ではこの二作品は展示されていない(二作品にばかり目を奪われることがなく、ほかの作品を楽しめるという意味ではよかったのかもしれない)。
 『ボッティチェリ展』と銘打っているが、メディチ家が栄えた1400年代のフィレンツェ美術展であり、実質的には、その時代を代表するフィリッポ・リッピ、サンドロ・ボッティチェリ、フィリッピーノ・リッピの三人展である。フィリッポ・リッピはボッティチェリの師匠である。フィリッピーノ・リッピはフィリッポ・リッピの子だが、ボッティチェリの弟子であり、ライバルでもあったという。
 当然のことながら、展示作品はその時代を反映して圧倒的に宗教画が多く、なかでも聖母子像が会場を圧倒していた。


【左】フィリッポ・リッピ《聖母子》1436年頃、テンペラ/板(新支持体に移し替え)、27.3×21cm、
ヴィチェンツァ銀行 (図録 [1]、p. 71)。

【右】フィリッポ・リッピ《玉座の聖母子と二天使、聖ユリアヌス、聖フランチェスコ》1445-50年、
テンペラ/板、73×47.9cm、ロンドン、ピッタス・コレクション (図録、p. 81)。

 父リッピ(フィリッポ・リッピ)は、フィレンツェのカルメル会サンタ・マリア・デル・カルミネ修道院の「信仰心の乏しい修道士」(図録、p. 67)だったというが、彼の描く聖母子像はどちらかといえば硬質な感じがして、超越的な(聖別化された)存在として描くことに主眼が置かれていたかのように思える。意外なことだったが、人間の姿をした聖母子といえども、信仰心が強ければ強いほど聖別化が強調され、人間臭さが払底されるのではないかと、私は想像していたのである。
 《玉座の聖母子と二天使、聖ユリアヌス、聖フランチェスコ》の人物配置はきわめて古典的で、さらに多くの人物が描かれている《聖母子と天使たちおよび聖人たちと寄進者》や《玉座の聖母子と天使および聖人たち》もまた聖母子を中心として対照的に人物が配されている。
 このような構図はとても静謐な安定感がある。大作でもあれば教会や聖堂に架けられるべきものであろうが、どれもそれほど大きくはないので私的な信仰の小部屋で静かに見つめるのがふさわしいような絵である。


サンドロ・ボッティチェリ《聖母子(書物の聖母)》1482-83年頃、
テンペラ/板、58×39.6cm、ミラノ、ポルディ・ペッツォーリ美術館 
(図録、p. 115)。


【左】サンドロ・ボッティチェリと工房《聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルと大天使ガブリエル》1485年頃、
テンペラ/板、直径115cm、フィレンツェ、パラティーナ美術館 (図録、p. 121)。

【右】サンドロ・ボッティチェリと工房《聖母子と四人の天使(バラの聖母)》1490年代、テンペラ/板、
直径110cm、フィレンツェ、パラティーナ美術館 (図録、p. 129)。

 例えば、ボッティチェリの《聖母子(書物の聖母)》をみると、ボッティチェリが親リッピの弟子とはとても思えないほどである。一瞬はラファエロの柔らかさに近いと感じたのだが、全体を眺めた後ではラファエロ寄りというよりも親リッピにやや近い気もする。強引な言い方だが、聖別化した超越的な親リッピの母子像にラファエロ的な人間的な美しさを加えたようで、「神聖」と「美」の共在が成功しているという印象を受ける。
 マリアの崇高な表情に比べて、マリアを見上げるイエスは母親を見上げる幼児そのものである。親リッピの《聖母子》でもマリアの顎に手を伸ばして触れているイエスのしぐさに幼児らしさが顕われている。いわば聖性の破調のようなイエスの姿が、このような聖母子像の魅力の一つだろう。
 聖書や神話を描いた絵画では寓意としての事物が描かれることが多い。キリスト教文化の圏外で生きてきた私などにはなかなかに寓意を読み取るのは難しい。そのような寓意や象徴の意味を知らなくてもけっこう楽しめるのでつい無視してしまうが、知っている方がいいには違いない。
 この美術展の目玉の一つである《聖母子(書物の聖母)》も例外ではない。図録解説に次のようにある。 

……キリストは左手に金鍍金された3本の小さな釘を持ち、やはり金鍍金された茨の冠を腕に通し、将来の受難を暗示している。受難の象徴は、明快かつ幾何学的に配置された背後の静物モティーフにも見ることができる。木箱の傍らにあるマヨリ力陶器の鉢には、キリストの血を暗示するサクランボ、聖母の甘美を示すプラム、キリストの救済と再生を象徴するイチジクなどが盛られている。ここでは「聖母の読書」という主題が、「キリストの受難についての瞑想」という主題と重ね合わされているのだ。 (図録、p. 114)

 《聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルと大天使ガブリエル》と《聖母子と四人の天使(バラの聖母)》は、《聖母子(書物の聖母)》と比べれば様式度が高い。それは描かれる像が多いこととも関連するだろうが、トントと呼ばれる円形の絵を高価な額縁で飾って公共施設や個人の邸宅を飾る(図録、p. 120)ためにボッティチェリの工房で多く制作されたためではなかろうか。複数の人間の共同作業で製作されるためには、様式化することが必然だったのだと推測するのである。


【左】フィリッピーノ・リッピ《幼児キリストを礼拝する聖母》1478年頃、テンペラ/板、96×71cm、
フィレンツェ、ウフィツィ美術館 (図録、p. 181)。

【右】フィリッピーノ・リッピ《聖母子、洗礼者聖ヨハネと天使たち(コルシーニ家の円形画)》1481-82年頃、
テンペラ/板、直径173cm、フィレンツェ、フィレンツェ貯蓄銀行コレクション (図録、p. 187)。

 子リッピの《幼児キリストを礼拝する聖母》は、ボッティチェリの強い影響が指摘されている絵である。一見して、ボッティチェリの《聖母子(書物の聖母)》と比較しうる絵であることは明らかだが、図録解説(p. 181)によれば、主題そのものや構図がボッティチェリの《幼児キリストを礼拝する聖母と洗礼者ヨハネ》という作品と似ており、また前景の花々の描き方がボッティチェリの《春(プリマヴェーラ)》と共通しているという。
 聖母子像としての美しさはボッティチェリの《聖母子(書物の聖母)》に分があると思うのだが、それほど多いとは言えないものの私がこれまで見た限りでの聖母子像のなかで、このフィリッピーノ・リッピの《幼児キリストを礼拝する聖母》に描かれたマリアの美しさは屈指のものである。
 《聖母子、洗礼者聖ヨハネと天使たち(コルシーニ家の円形画)》は、ボッティチェリの円形画(トンド)と同じようにやや様式的である。私がこの絵の中でもっとも興味があったのは、右端に聖母子から遠く離れて小さく描かれた聖ヨハネ像である。この聖ヨハネ像は、絵が完成したのちに描き加えられたものだという。聖母子像にはお決まりの聖ヨハネ、などという程度の意味で加えられたにしては、聖ヨハネを含む聖母子像の作例から大きく外れている。もちろん理由が見えてくるはずもないのに、何か特別な意味があるのかとしばらく見入ったのだった。


サンドロ・ボッティチェリ《聖母子と洗礼者ヨハネ》1500-05年頃、
油彩/カンヴァス、134×92cm、フィレンツェ、
パラティーナ美術館 (図録、p. 161)。

 聖ヨハネに関して言えば、ボッティチェリの《聖母子と洗礼者ヨハネ》も興味深い。子リッピの《聖母子、洗礼者聖ヨハネと天使たち(コルシーニ家の円形画)》には成人した聖ヨハネが描かれているが、ここでは少年の姿をしている。

 本作品は一見、フィレンツユで当時よく描かれた洗礼者聖ヨハネをともなう聖母子像であるが、そこには大変興味深い仕掛けが施されている。マリアはイエスの体を下方のヨハネに委ねようとしているが、傍らには聖ヨハネの長い葦の十字架があるため、イエスの体の下降とあいまって、磔刑のイエスを十字架から降ろす、受難伝中の「十字架降下」を暗示する構図になっているのである。本図は未来のイエスの受難を予告しており、マリアの物憂げな表情は息子の運命を知る彼女の心境を反映してのものといえるのかもしれない。画面左端、マリアの背後にはバラの茂みがあり、赤いバラの花が咲いているが、この花はマリアの慈愛を象徴するとともに、殉教の象徴でもあることから、受難を暗示する本作品にはまことにふさわしい。 (図録、p. 160)

 マリアとイエスは自らの運命のすべてを知っているかのように感情を示すことのないまったく同じような無機的な図像なのに、目を見開きイエスを抱え込もうとしている少年ヨハネは、イエスの運命を懸命に引き受けようとしている。そう見えるのは、決して私のヨハネ贔屓のせいばかりではないだろう。


フィリッピーノ・リッピ《洗礼者ヨハネ》、《マグダラのマリア》(ヴァローリ三連画の両翼画)
1497年頃、テンペラ/板、133.5×37.5cm、133×37.7cm、フィレンツェ、
アカデミア美術館 (図録、p. 199)。

 聖母子像の登場するヨハネはイエスよりやや年長の幼児として描かれるというのは、私の思い込みに過ぎないようだ。子リッピの《聖母子、洗礼者聖ヨハネと天使たち(コルシーニ家の円形画)》では成人したヨハネだったし、上の《聖母子と洗礼者ヨハネ》ではイエスよりずっと年長の少年である。さらにボッティチェリの《聖母子と聖コスマス、聖ダミアヌス、聖ドミニクス、聖フランチェスコ、聖ラウレンティウス、洗礼者聖ヨハネ(《トレッビオ祭壇画》)》でも成人として描かれている。
 しかし、このように思いめぐらしているヨハネ像は、子リッピの《洗礼者ヨハネ》でどこかへ飛んで行ってしまった。キリストをめぐる悔悛者であるヨハネとマグダラのマリアを、悔悛者であるがゆえにこのように描いたものらしい。聖母子に寄り添う清純な幼児(ないしは少年)としてのヨハネや、荒野で悔悟する美しいマグダラのマリアなどではないのだ。これは、15世紀後半のフィレンツェでフェッラーラの修道士が唱えて広まった「厳格な禁欲と贖罪の原理を反映している」(図録、p. 198)のだという。聖書で語られる聖人もまた、時代時代の流行によってイメージが激変するということらしい。


サンドロ・ボッティチェリ《アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)》1494-95年頃、テンペラ/板、
62×91cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館 (図録、p. 141)。

 《アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)》は、古代ギリシアの「画家アペレスが描いたとされる現存しない作品について、その復元を試みた」(図録、p. 140)絵であるという。
 この絵は、恐るべき寓意の塊のような絵である。図録解説を引用しておく。

 この主題は、誹謗中傷にあった人物の悲惨さを寓意的に描いている。画面全体は多くの擬人像によって構成される。松明を手にした美しい女性として表される「誹謗」は、祈るかのように手を合わせる若い青年姿の「無実」の髮を掴んで、玉座に座す大きな耳の「不正」のもとに引きずっていく。 「誹謗」の左手を取る貧しい身なりの男は「憎悪」。「不正」の耳元で彼に何かをささやく二人の女性は「無知」と「猜疑」。また「誹謗」の後ろで彼女に仕える二人の女性は「欺瞞」と「嫉妬」である。その後方の振り返る黒衣の老婆は「悔悟」、一番後ろで一人孤立して天を指差している裸体の女性が「真実」である。 (図録、p. 140)

 何が何のアレゴリーであるか、絵を見て即座に判断するのは難しい。かつて、その類の本を購入して読んでみたことがあったが、まったく身につかなかった。
 この絵を挙げた最大の理由は、左端に描かれた「真実」が、上にあげた手を胸に当てれば、《ヴィーナスの誕生》に描かれたヴィーナスの美しい肢体そのものであることによる。ただし、顔はまったくの別人である。


ルネ・マグリット《レディ・メイドの花束》1957年、油彩/カンヴァス、163×130.5cm、
大阪新美術館建設準備室 [2]。

 《ヴィーナスの誕生》へのいわばオマージュとして《アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)》を挙げてみたので、《春(プリマヴェーラ)》に対してはルネ・マグリットの《レディ・メイドの花束》を挙げておこう。
 『マグリット展』を見た私の感想のなかの1節を引用して、オマージュのオマージュとする。

 山高帽を被ったコートの男性がバルコニーに立って庭(の林)を向いている。その背中に配されているのはボッティチェリの《春》に描かれている女神フローラである。《レディ・メイドの花束》には、どこにでもいるような紳士が描かれている(《ゴルコンダ》ではそのような男が群衆として無数に描かれている)にもかかわらず、きわめて鮮明な印象を与える。それは、ボッティチェリのフローラを背負う男としての不思議から来る。
 「背負う」と書いたが、ほんとうに男とフローラは何らかの関係があるのだろうか。もしかしたら、男は漫然とバルコニーに立っているに過ぎず。異次元空間に出現したフローラを意匠として男の背後に描いただけかもしれない。

 

[1] 『ボッティチェリ展』図録(以下、『図録』)(朝日新聞社、2016年)。
[2] 『マグリット展』(以下、図録)(読売新聞東京本社、2015年)p. 229。


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