● 良い熱中と悪い熱中
誰もがそれなりに熱中することがあるのはわかったと思います。
でも気がついたと思いますが、問題があります。それは、熱中には、悪い熱中もあることです。良い熱中でないと、心もからだもやられてしまいます。
良い熱中と悪い熱中。どこがどうちがうのか、ゲームへの熱中を例にとって考えてみます。
ゲームや映画、TVなどは、人を熱中させる仕掛けをふんだんに組み込んであります。たとえば、
・ 大音響やけばけばしい色彩
・ 頻繁な場面転換
・ 魅力的な登場人物
・ 奇想天外なトリック
こうした仕掛けを見せられれば、誰もが熱中してしまいます。こうした熱中は、いわば、みずからする熱中ではなく、外から強いられる熱中です。いわば、受動的熱中です。
こういう熱中、ただちに悪い熱中というわけではありません。
・ 日常のつらさを忘れたい
・ ストレスを発散したい
・ 気持ちを高めたい
といったときには、実に有効です。だからこそ、これほど人々を引き付けることになります。
しかし、こうした受動的熱中が、四六時中続いたらどうでしょうか。しょせん、強いられた熱中ですから、疲れてきます。飽きてもきます。それに、自分を高めるものが何もないそんなものに浸っている自分に嫌気もさしてきます。
これに対して、同じゲームに熱中するにしても、ゲームそのものではなく、ゲームを作っている仕掛けのほうに興味をもった人はどうでしょうか。
・ どんな仕掛けで、こんな動きが作り出せるのだろうか
・ どんな仕掛けで、こんなおもしろいプロットが生み出せるのだろうか
・ どんな人たちが、どのようにしてこのゲームをつくっているだろうか
などなど、興味はつきません。そして、その興味に駆られて、たとえば、コンピュータ・グラフィックスにたどり着き、その仕掛けの解明にのめりこんでいくとなれば、これは、すばらしいことです。
これが良い熱中です。良い熱中とは、もう少し細かく言うと次のようなことになります。
① 熱中したことによって、それ以前よりも心身がより高いところに到達していること
スポーツでも勉強でもそうですが、だらだらいやいややるのと、熱中してやるのとでは、進歩の度合いも質もちがったものになります。
② 持続的な努力が伴うこと
熱中しているときには、努力しているという自覚はありませんが、外からみると、大変な努力をしていることがたちどころにわかります。
③ 知的好奇心に駆られたものであること
スポーツに熱中する場合でも、ただ身体だけを闇雲に長時間動かしていればよいというものではありません。そこには、知性も投入する必要があります。その一部は、コーチや仲間が果たしてくれますが、最後は自分の知性が試されます。