心の風景 認知的体験

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おまけ

2009-10-12 | 心の体験的日記
パン代金610円
609円しかない
1円まけてくださいといったら
おばさん、私は従業員。そんなことできません。
バッグをさがしたら、10円出てきた
嘘言うな という顔をされた(と思う)

毎週サーロインステーキ2000円前後を買う とてもおいしいから
かならず、端数がついている
でも、その端数はかならずおまけしてくれる
でも、申し訳ないので、1円玉があるときは、端数まできちんと払う
おばさん、いつもすみません といってくれる

甘納豆やさん
買うと、かならず、おまけに
カキピーやカルビー
ときには手袋などをおまけにくれる

おまけ3題話でした

そういえば、むかし、グリコのおまけ があったなー

認知工学

2009-10-12 | 認知心理学
認知工学とは

●人間工学から認知工学へ  
道具や機械など人工物の設計をおこなうときに、ユーザや消費者の認知や行動の特性への配慮は不可欠である。こうした問題意識は、すでに第一次世界大戦(1914ー18)の頃からアメリカで、使いやすい兵器の開発を契機に工学関係者に共有され、それが、第二次世界大戦を経て「人間工学(human engineering)」という新たな研究領域を生み出した。現在、日本では、もっぱら大学の工学部において、学科や専攻として制度化されている。  「認知工学(cognitive engineering)」のねらいも、人間工学のそれと基本的には同じである。  両者の違いは、図1に示すように、一つには、対象とする道具や機械にある。もう一つの違いは、人間工学では、「使いやすい」道具/機械の設計のために、人の物理的、生理的特性のほうに主たる関心を向けるのに対して、認知工学では、「わかりやすい」情報環境の設計のために、人の認知特性のほうにより関心を向けるところにある。  こうした違いは、道具や機械の時代変化を反映している。とりわけ、20世紀後半、コンピュータのパワーアップと普及に伴い、社会の至るところで「もの(物)」から「こと(情報)」への劇的なパラダイムシフトが起こった。社会が情報の生産、流通、消費を中軸とする情報化社会になってきた。  
心理学も、1章でみてきたように、「情報を処理する機械としての人間(情報処理のアナロジー)」の認知特性に目を向けるようになった。ここに、人間工学に加えて新たに、認知工学を必要とする時代の流れが出てきた。  

図 人と道具/機械と仕事の進化 ppt

●認知工学のねらいと領域  
認知工学のねらいの一つは、道具や機械の使用者(ユーザ)や情報の受け手/利用者に対してわかりやすい情報環境を設計するのに役立つ知見や指針を提供することである。  
ここで、「わかりやすい情報環境」とは、情報を処理する場面で、次の3つの要件を満たすことである。  
一つは、既有知識があることである。たとえば、コンピュータの画面の右下に、ゴミ箱のアイコンがある。不要なファイルはそこに捨てることができる。この一連の操作は、非常にわかりやすい。なぜなら、「不要なものはゴミ箱に捨てる」という既有知識が使える(転移できる)からである。  
2つは、情報の処理コストが低いことである。これは、既有知識があることと密接に関連する。たとえば、「カネオクレタノム」と表示されるのと、「金をくれた飲む」と表示するのとでは、明らかに処理コストは違う。(ちなみに、「金をくれ頼む」あるいは「金送れ頼む」と表示してもよい。)
3つは、文脈による制約である。情報処理をおこなう文脈の中に、するべきことが作り込まれていることである。たとえば、マウスには、その形態から、片手でにぎって人さし指か中指とでクリックする動作を自然に誘うようになっている。  以上をまとめると、わかりやすさは次のような形で定式化できる。

わかりやすさ=f(既有知識 X 情報の処理コスト+文脈の制 約)

 ここで、「X」は、いずれかがゼロだと両方がわかりやすさに貢献しないことを意味している。たとえば、豊富な関連知識をもっていても、それを必要な時にタイミングよく思い出せなければ、無駄になる。また、「+」は、いずれかがゼロであっても、一方だけでもわかりやすさに貢献できることを意味している。  

認知工学のねらいのもう一つは、「わかりやすい情報環境」かどうかを評価する手法の提供である。  
一つの道具や機械が市販される前に、想定されるユーザを使ってその使いやすさを評価すること(usability test )を 国際標準化機構がISO13407規格として要求するようになってきた(黒須ら、1999)。その際に使われる諸評価手法はいずれも、その出自は認知心理学の研究の中で培われてきた研究技法そのものか、その変形である。   図 ユーザ評価の手法の類型軸と手法例 ppt  図は、わかりやすさを鍵概念にしたときに、暫定的に想定できる認知工学の下部領域とそれらの関係を示したものである。今後、感情心理学、社会心理学、臨床心理学などを巻き込んだ、認知工学の新たな下部領域の出現が予想されるが、本章では、ここに挙げた中から4つの下部領域について、そこでの研究課題や成果を紹介してみる。

図 わかりやすさをめぐる認知工学の領域 ppt **

やめ時、やめ方はむずかしい

2009-10-12 | 心の体験的日記
野村監督の契約切れ騒動
業績をあげたのだからーー
いや、契約ぎれだから

心情としては、続投もあり
でもねーここが花道かもね!
傷だらけの引退よりも格好がよい

年よりの引退決断はむずかしい
でも、かっこよくやめたいもの
惜しまれてやめたいもの

予算使いきり心性

2009-10-12 | 心の体験的日記
2,3月は憂鬱な季節だった
とりわけ、科学研究費などをもらったときは、
それを使い切るためのあれこれの算段
業者あづけなんて知らなかったが知っていたらやっていたかも
でも政権が変わった
予算を残すことが善 ということになれば、膨大な額が下から
出てくるはず
年度末の意味のな仕事がなくなり、本当の仕事ができる
単年度予算主義
個別項目積み上げ予算
ぶんどり合戦
もう終わり
本当に必要なところに必要なお金がある
そんな制度になってほしいもの

なお、私大に移ってからは、研究教育予算、いつも余している
旅費にいたっては、ほとんど使ってない

◆認知科学/認知心理

2009-10-12 | 心理学辞典
◆認知科学/認知心理学(cognitive science/cognitive psychology)〔1991年版 心理学〕
1879年にW・ブントによって科学としての心理学の基礎が築かれて以来、心理学は、「科学」であろうとするために、あまりに多くの制約を受け入れてしまい、扱える対象が限定されてしまった。心理学の外から見ると驚くべきことであるが、心理学が心の働きの科学であると広言できるようになったのは、なんと20世紀も後半になってからである。認知科学、認知心理学が台頭し、研究の関心が、外から観察できる行動から頭の内部で起こっている認知(心)にシフトしてきたのである。
認知科学は、人間のみならず動物や機械も含めて、知の働きを、コンピュータのなかで表現できるようにモデル化すること(計算主義)をねらいとしている。知識をいかに論理的に表現するか、その知識をいかに運用するかが、主要な関心となる。認知科学の発展に呼応する形で、人間の知の働きに焦点を当て、新たな展開を見せたのが認知心理学である。
その成果の一端を、摘記してみる。
・人間の知の働きの多くは、「非論理的」過ぎて、現在のノイマン型コンピュータ上で実現するのが極めて難しい。
・しかし、人間のその「非論理性」は、状況に対して極めて適応的である。
・アルゴリズム(答えに至る筋道)が明確な知の働きは、かなりのところまで、コンピュータ上で模擬できる。

失敗文化

2009-10-12 | ヒューマンエラー
失敗文化 失敗しながら生き生き生きる

■頭を柔らかくするポイント
1)失敗から学ぶ姿勢が大事
2)失敗しながら創造的に生きる
3)失敗を憎んで、失敗した人を憎まず ***

●失敗博物館  
インターネットのサイトに「sippai.com」というのがある。そこの記事の一つに、商品開発の失敗例をデータベースとして蓄積している「new product showcase & learning center」(ニューヨーク州)が紹介されている。六万五千ケースもの失敗商品が陳列されているらしい。たとえば、ニンニク入りシャンプーとか、成人用のベビーフードとか、トースターで焼ける卵とか、カフェイン含有量の多いコーラなどなど。  
さらに、同じサイトからの情報によると、科学技術庁(現文部科学省)のHPには、「失敗知識の活用研究会」の設置が公示されている。失敗学の構築をめざすという。  
いずれも、過去の失敗から学ぼうという意欲の現れである。

●がんばりも怠けも失敗を生む  
「失敗したら責任は自分がとるから頑張れ」は、部下への励ましの常套句である。これには、能力一杯頑張れば失敗する可能性があることが含意されている。失敗の創造的な側面である。  
ところが、失敗は、怠けたため起こる可能性も同じくらいあるので、実際に失敗したときの評価が、励ましとは裏腹に、割れてしまうことがある。つまり、本当は頑張ったために起こった失敗なのに、怠けによる失敗と評価されて批判・叱責されてしまうことがある。もちろん、この逆もある。
 このあたりの評価は、世の中や組織の失敗文化、つまり、どんな失敗をどのようにみているかにかかっている。

●失敗を糧に生き生き生きる  
日本社会は一般に失敗に厳しい文化がある。これが品質管理や安全管理のようなところではプラスに機能する。  
しかし、商品開発やイベント企画などでは、これがしばしばネガティブに働く。「成人用ベビーフード」の類の発想は強く抑制されてしまう。自由闊達な発想をしなくなる(できなくなる)。  
これは、失敗がもたらす損失よりももっと大きな損失となってやがては返ってくる。  
失敗に強い文化(雰囲気)を作ることが大事になる。  
そのためには、リスク管理をきちんとしておく。つまり、失敗しても大丈夫なような仕掛けを作っておく。そうしないとどうしても、リスク回避志向になってしまうからである。  さらに、失敗の当事者には寛容に、失敗そのものには厳しく対処する。「罪を憎んで人を憎まず」と同じである。  
最後に、失敗にかかわる情報の共有である。失敗は隠すものではなく、お互いに共有することではじめて、世の中や組織にとっての資産価値のあるものになる。

***本文61行 ****************************
■クイズ「失敗は世の常、人の常」 次の指示に従って課題をやってみると、失敗が体験できる。
「実行エラー」 「お」という文字を出来るだけ速くたくさん書いてみる。
「想起失敗」 次の名称を思い出してみる。 ・小林よしのりによる宣言の名称 ・超整理法の著者のフルネーム ・長野県知事・田中康夫氏の小説に由来す る「---族」の名称
「思考エラー」 1日で倍に増える雑草がある。5週間で庭の半分を埋め尽くしてしまった。庭全体が埋め尽くされるまであとどれだけかかるか。

------ 説明  
「実行エラー」では、ついうっかり「あ」や「す」を書いてしまったはずである。書字スリップという現象で、東北大学・仁平義明教授が見つけたものである。「できるだけ速く」という指示が注意の管理をおろそかにさせて、その隙をねらうかのように、似た文字を書いてしまう。  
「想起失敗」では、まったく知らないために思い出せないケース、知っているのだが(既知感)今は思い出せないケース、一部分あるいは類似したものは思い出せるケース(喉まで出かかった現象)がある。 なお、解答は、ゴーマニズム、野口悠紀雄、なんとなくクリスタル族であるが、喉まで出かかった現象が体験できたであろうか。既知感があっても部分的にしか思い出せないのがくやしい。加齢とともに増える現象の一つである。  
「思考エラー」では、10週間とか、あるいは指数関数あたりを持ち出してうんうんうなってという人もいたかもしれないが、正解は、あと1日である。線型(比例)思考をするほうが楽なためか、どうしてもその枠で考えてしまう。 *************************
■「あなたの失敗についてのイメージを測る」 失敗と聞いたとき、あなたが頭の中に浮かぶイメージを、次の形容詞のそれぞれについて、判定してみてほしい。

図中の結果は、世間一般が抱くイメージを想定したものである。 形容詞対 SD尺度 ----- 説明  これはSD(Semantic Differencial)法と呼ばれている、イメージ計測の手法である。  大きく3つのカテゴリー「評価」「潜勢力」「活動性」に分けて計測する。  あなたの判定結果がどれほど、世間一般から離れたものになっているかが、新たな評価文化の創造にはポイントになる。 **************************

■誤りに強い人、弱い人 図は、「他人や自分の失敗にどれくらい厳しいか」と「失敗しやすいかどうか」とを組合わせて、人の類型化をしてみたものである。あなたはどの型であろうか。 失敗に関するタイプ分け ----- 説明  各象限の名称は、上がポジティブ、下がネガティブになっている。  この類型で言うなら、日本社会では、第2象限の「丁寧型」が好まれる。あらたな失敗文化を創造するというときは、これを「創造型」へと変えていく方向を想定している。ちなみに、アメリカ社会では「創造型」が好まれる。  社会全体、組織全体としては、第1象限の「てきぱき型」も第3象限の「じっくり型」も、一定の割合で存在することが必須である。ただし、多すぎると創造的な活動には阻害要因となる。一番危険なのは、いずれか一つの型だけの人になってしまうことである。