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仲間ではなかった

2010-12-11 | 心の体験的日記
朝2時頃メールした
即へん
へー私の仲間ですね
と即へんしたら、
いや、ずっと起きているのです
もう少ししたら寝ますだと

そうかー
ブログのアクセス時間が
2時3時で多いのは寝る前にちょっくらチェックなんだな!
わかった
これからは、見たら眠れるような退屈ブロブにします
いや、もうそうなっている

愛読感謝です

気持ち元気のためには、穏やかで持続的な愛を[気持ちを元気に

2010-12-11 | ポジティブ心理学


●気持ち元気のためには、穏やかで持続的な愛を

 愛には強弱があります。持続の長短もあります。
 愛を気持ちの元気づくりにしようとするなら、穏やかで持続的な愛がふさわしいと思います。
 愛の発露には、エネルギーが必要です。
 激しい愛なら、一気にエネルギーが費やされて終わりです。たとえば、熱烈恋愛で結婚。3年で破局では困ります。
これでは、気持ちの元気づくりにはなりません。
先ほど宗教心のごとき真善美、という表現を使いました。
穏やか持続的な愛の対象は、これしかありません。これを、人、芸術、仕事にみつけられれば、あなたの人生、磐石です。

 最後に、2010年ノーベル平和賞を受賞した投獄中の民主化指導者・劉暁波氏の
言葉を紹介して、ここでは触れなかった愛の底知れぬ幅の広さもあることを知っていただきたいと思います。

「善意をもって政権の敵意に向き合い、愛で憎しみを溶かすことができる人間でありたいと思う。(2010年12月11日、朝日新聞朝刊)

国分副学長、最終講義のお知らせ

2010-12-11 | 教育
本学副学長・國分康孝先生が、平成23年3月をもちまして退職されることになりました。國分先生は平成12年に本学に着任され、カウンセリング心理学の分野で教鞭を振るわれる一方副学長として大学の運営にもご尽力いただきました。
つきましては、先生の最終講義と記念パーティを次の要領にて開催しますのでふるってご参加ください。もちろん、最終講義のみのご出席でも構いません。


●最終講義(申し込み不要)
テーマ;「Courage to be---自分の生き方・あり方を打ち出す勇気----」
日時;平成23年1月18日(火)16時30分より
場所:東京成徳大学 八千代キャンパス 大講義室

● パーティ(事前申し込み)
日時:1月18日(火)17時45分より19時30分まで 
場所:八千代キャンパス 学内食堂にて
「パーティ会費」(当日、受付にて) 学生 2000円
 注 記念品代も含みます。


がんばらせるもの「気持ちを元気に

2010-12-11 | 教育
● がんばらせるもの
がんばるとは、目標をめざして一心不乱に全力で何かをすることです。
一心不乱とは、注意を一つに集中することです。注意を集中すれば、いつも以上に力を発揮できます。ですから、がんばれば、いつも以上のことが達成できます。
そうさせるものは一体何なのでしょうか。
ガンバリズムの時代には、お金と地位でした。
貧乏から抜け出て豊かになる、そして、出世して世間に認められることががんばりの推進力でした。
それが死語になった今の日本の社会では、もうお金や地位のためにがんばることはなくなったのでしょうか。
 確かに、企業で、10年前頃からでしょうか。業績主義が取り入れられましたが、うまくいったところはあまりなかったようです。
では、どうしたら、がんばれるようになれるのでしょうか。

政局好き国民?「素人政治談議」

2010-12-11 | 心の体験的日記
新聞スタンドで見出しをちらと
「小沢新党、週明けにも!」
えー、
うそだろう!
買わなかった
しかし、ありそうなこと

今の日本の状況
政局より政治

でも、日本の政治家もマスコミも、そして国民も
誰がどうした
誰と誰が会った
誰がどういった
誰が何をしていた
などなど
属人政局大好き
そんな政治家をよくみている官僚が
使命感にかられて、
我々がしっかりせねば
とがんばった
そして、ちょっこり、いや、ごっそりと悪乗りしてしまった

しかし、ここにきて
官僚への風当たりもあり
官僚の力がなくなった

こうなると、日本、利害対立の波にもまれて
ばらまきだけして
利害の調整はだれもしない、できない

さーどうする

メールのメンタルモデル

2010-12-11 | Weblog
メンタルモデル

一つは、「郵便モデル」。メールをかつてのはがきや封書による郵便でのリテラシーをモデルに考えるものである。
拝啓、謹啓、前略などの挨拶言葉にはじまり、敬具、敬白、早々などの終わりの挨拶言葉で締めくくるものである。今ではほとんど見られなくなったが、かつては結構あったし、自分でも先輩、恩師にはこうしたメールを送ったこともある。
形式はともかくとしても、今でも、いわゆる堅苦しいメールをもらうこともあるが、それらはだいたいが郵便モデルに従ったものである。しかたなく、こちらも堅苦しいメールで返事をすることになる。

もう一つは、「対話モデル」。メールによるやりとりを、あたかも相手が目の前にいて話しているかのようにするのである。
対話であるから、文字で書くものの、全体の基調は話し言葉である。郵便モデル保持者からすると、とてもではないが、我慢ができないような無礼なしろものとなる。
現在は、携帯メールが普及して、対話モデルによるメールリテラシーが圧倒的に優勢である。そのリテラシー、どんな特徴があるのだろうか。

「認知と学習の心理学」より