コメント
なつかしい♪
(
八幡の子
)
2010-11-07 21:12:38
こんばんは^^
起業祭、なつかしいです♪
ほんと毎年楽しみでした。
小学生の頃は、工場見学→起業祭っていうのが定番で、当時はスーパーカーショーなんかもやってましたね。
起業祭の雰囲気が写真からも伝わってきて、また行きたくなりました!^^
起業際
(
ゆめ吉
)
2010-11-07 22:53:41
昔は起業際の頃って、寒くなかったですか?
今日なんて暑くってたまりませんでしたよね。
それにしても賑わっていますねぇ。
門司っ子の私は、一度も行ったことないのですが・・・。
一度は行ってみたいと思いつつ、今年も・・・。
でもhobashiraさんの写真で、楽しんでいます。
甘酒とバナナ
(
natukasii
)
2010-11-08 00:17:34
hobashiraさん、こんばんは
昔は起業祭には八幡製鉄所から甘酒(麹)の配給がありました。
起業祭といえば寒い季節で、甘酒をどこでも作っていました。
それと台湾バナナ。小学生の頃、5人の仲間とバナナの叩き売りを1本50円(1人10円が限界)で競り落として、1本の貴重なバナナを5人で分け合ってあまり美味しくはなかったがこんなものかと思い出だけが残った。
今でも果物の王様のトラウマから完全に抜け出せない。
もう一度、どうぞ起業祭へ
(
hobashira
)
2010-11-08 14:41:42
八幡の子さんへ、
八幡で生まれ育った子は、お祭りと言えば、やっぱり起業祭ですね。
「スーパーカーショー」ですか、大体の年代が分かりました。
現在どちら辺りにお住まいか、分かりませんが、機会があればいいですね。
一度は起業祭に、お越し下さい
(
hobashira
)
2010-11-08 14:48:53
ゆめ吉さんへ、
以前は11月17~19日でしたから、霙なんかも降った年もあり寒かったです。
トップの画像(ポスター)にあるように、25年前から「市民のまつり」と
なってから、11月3日の文化の日と土日を組み合わせた日にちを決めています。
今年は上手くいかず、5~7日となりました。
是非、一度はお越し下さい。
起業祭=昔の思い出
(
hobashira
)
2010-11-08 14:57:56
natukasiiさんへ、
起業祭は、家では正月並みのご馳走と甘酒も作ってましたね。
当時はバナナとか玉子は高級品で、病気にならないと食べられなかった。
八幡育ちの者は、起業祭と聞くと幼い頃の自分を思い出します。
びっくりうれしい思い
(
春休みのデッサン室
)
2010-11-08 15:12:24
ボクも子どもの頃にいったきりですね。
中央町の人は中央区といいますね、
拝見してこの商店街がにぎわっている画像で
びっくりうれしい思いです。
家内が「起業祭に行った事がない」と言いはじめましたが
ちょうど忙しく、却下せざるを得ませんでした。
来年行きましょう。
八幡市中央区
(
natukasii
)
2010-11-08 16:00:51
中心には「丸物」百貨店
階段にステンドグラスがあってモダンな建物。
九州では唯一のメジャーの百貨店でした。
高見から桃園アパートに移って、中間の中央区のみしま小児科医院にかかりつけでしたが、病院帰りには丸物でおもちゃを買って貰って病気になるのも変な楽しみに。
鶴屋の八幡饅頭・亀やの最中・木村屋のフランスパンは中央区の名物。
京都丸物本店は近鉄百貨店に70年代に変わり、今年からヨドバシカメラに。
東京丸物はパルコになってしまって時代の変化。
百貨店がわくわくする所でなくなってしまった時代のつまらなさ。
起業祭の名物
(
natukasii
)
2010-11-08 16:54:59
サーカス・見世物小屋・がまの油売り・球体バイク
木暮サーカス・木下サーカス・矢野サーカスとあったが、写真のように木暮サーカスが八幡の起業祭には定番?大谷会館下で表に象やライオンが出迎えていました。
見世物小屋の名物はへび娘の花ちゃん。「親の因果が子に報い」でおどろおどろしくオジサンがマイクで呼び込み。身体の下半身がへびの大看板。へび娘の花ちゃんが顔だけ時々幕間から表を覗く。中に入ると、花ちゃんがへびを鼻から出したり引っ込めたりへびを美味しく食したり。
がまの油売りは、子供がサクラで切られ役。切られた所を痛そうに手で押さえ油売りのオジサンががまの油を塗ってしまえば元通り。我先にとお札を差し出す。
球体バイクは直径15メートルくらいの鉄製の網目の球体の中でバイクがぐるぐる回りして曲芸。
テレビのない時代、八幡市民の娯楽の王様でした。
八幡っ子の心意気
(
kinucoco
)
2010-11-08 19:00:46
hobashiraさん
こんばんは!
わあ
わんさ&わんさの人出やね!
盛況ぶりが伝わって来ました
みなさんのコメントを読ませていただいても
子供の頃の思い出がたくさん
「起業祭」って言うとじっとしてられないー
八幡っ子にとっては「盆と正月がやって来た」お祭りなんですね
九州場所、日曜から始まりますね~
どすこい!
来年は奥様孝行を、
(
hobashira
)
2010-11-08 19:19:56
春休みのデッサン室さんへ、
中央区ですか、昔はそう云ってましたね。
natukasiiさんのコメントのタイトルをみて思い出しましたが、
八幡市の時代の正式な地名です。
五市合併して、八幡区中央区じゃ可笑しいので中央町になったと思います。
奥様孝行のためにも、来年は是非、中央町&工場見学へお越し下さい。
起業祭の思いでは、次から次へと
(
hobashira
)
2010-11-08 19:25:50
natukasiiさんへ、
今でも中央町に、鶴屋はあります。 亀や、木村屋は、チョット自信ないけどあると思いますよ。
起業祭の名物の詳細な説明、有難うございます。
「親の因果が子に報い」、これ学校で、面白半分に良く使ってましたよ。
失敗したり、悪いことが起こった時なんか。
賑わってますね
(
けいみょう
)
2010-11-08 19:36:12
起業祭といえば八幡製鐵所の起業祭が起源ですか?
百万夏祭りよりも賑わっている感じですね。
110年続いているお祭りです。
(
hobashira
)
2010-11-08 19:38:42
kinucocoさんへ、
1901年の製鉄所創業以来、110年も続いているお祭りです。
八幡っ子の楽しみ?は、盆と正月と起業祭です。
だから、起業祭の思いでは子供の頃の思い出と重なりますね。
でもね、これは昔の子。 今の子は、そうでもないかもしれません。
式秀部屋の式秀親方は、元小結大潮で八幡の出身です。
まだ関取(十両以上)は、出ていません。
八幡は製鉄所の城下町です。
(
hobashira
)
2010-11-08 19:59:50
けいみょうさんへ、
起業祭は八幡製鉄所の創業記念日のまつりです。
一企業の祭りですが、当初は官営製鉄所だから、町をあげての祭りとし祝っていたようです。
民営化されても、そのスタイルは変わっていません。
昔も今も、八幡は製鉄所の城下町ですから。
その昔
(
ひまわり
)
2010-11-08 20:29:14
こんばんは~♪
小学校低学年の頃は学校が11月18日休みでした
その内半ドンになり休みでなくなっていきましたね
中央町まで歩いて見に行ってました
あの頃は創業記念日の前後でお祭りをしていましたが
今は市民の祭りに変わったのでしょう
初雪が降るのも起業祭の頃ってイメージが強かったです
懐かしい思い出です
今年も賑わっていますねーー
万国旗
(
kuntarou
)
2010-11-08 21:18:51
起業祭、懐かしいですね。
小学生のときは起業祭は学校休みでした。
また、サーカスには小学校の行事の一環として団体で見に行ったことがあります。
家の前の道には万国旗が張られていました。
昔は今よりもっとにぎやかだったような気がします。
八幡製鉄所起業祭
(
natukasii
)
2010-11-08 22:03:26
日清戦争(1894年)・日露戦争(1904年)の狭間の激動の時代。
1901(明治34)年2月5日ドイツ人技師の指揮の下に溶鉱炉の火入れが行われました。
1901(明治34)年11月18日来賓800人を招いた盛大な作業開始式が行われました。この日を記念して、毎年起業祭が行われるようになりました。
八幡村に官営製鉄所を誘致するのも相当な苦労だった様で、作業開始からも予定の出銑量と銑質を達成出来ずに苦労の連続だったようです。
日本国の歴史と共に。
起業祭には・・・
(
momomama
)
2010-11-08 22:16:03
こんばんは。いろんな思い出があります。
今日はお寺参りをしたせいか 友達とのことじゃなく
父の思い出
私は20歳で免許をとって会社が車を買ってくれたから
44年前からマイカーもちなんです。
父はバイクしか持っていませんでした。
会社が前田町でしたし 起業祭はいつも行きました。
父が盆栽をしていて植木市に行くためです。
ドライブなど今の様に行かないから 知らなかったけど田主丸から来てたんです。植木屋さん
それを耳で たのしまる って聞いていました。
椎の実を枡ではかって買いました。
昨日と今日 国東に行きました 今日国東のお寺でギンナンを買って 起業祭っていつだっけとおもったばかりでした。
懐かしい写真をありがとうございます。
雪がちらつく起業祭が懐かしいです。
(
hobashira
)
2010-11-09 07:43:19
ひまわりさんへ、
18日が休みだった時代ですか、かなり古いなあ~!
当時のひまわりさん宅は、どの辺りか分からないが、
みんな歩いて大谷に行ってましたね。
市民の祭りになっても、創業記念日は18日で、社員は休日の筈です。
昔ほどないが、けっこう賑わっています。
起業祭は八幡東区の祭りへ
(
hobashira
)
2010-11-09 07:50:23
kuntarouさんへ、
小学校のころは、18日は休みもあったが1時間授業とかもありました。
万国旗は電車通りには、黒崎から辺りからあったのを覚えています。
それに比べると、今はホント小規模?です。
八幡区が東西に別れてからは西区は、ノータッチ?です。
起業祭は東区の祭り、西区は黒崎宿を中心とした祭りが主です。
有難うございます。
(
hobashira
)
2010-11-09 07:57:05
natukasiiさんへ、
又又、丁寧な解説を有難うございます。
明治34年の第1回起業祭の模様のパネル写真が2、3枚ありました。
100年以上前ですが、資料なんかも残っているようです。
来年はどうぞ!!
(
hobashira
)
2010-11-09 08:11:44
momomamaさんへ、
国東は、そろそろ結願ですか? ご苦労さまです。
起業祭の植木市は今年もやってましたよ。
椎の実・ギンナンを売ってる店もちゃんとありました。
屋台の店を見て廻る、流行?が分かって見るだけで楽しいです。
この辺が起業祭の魅力?かな!
元前田の住民さん、昔を思い出して、来年はどうぞ!!
我が家の歴史は八幡製鉄所と共に
(
natukasii
)
2010-11-09 23:06:40
祖父は創業当時からの製鉄マンで、父は沖縄戦から帰って直ぐに八幡製鉄に入りました。従姉妹2人も母が婿を製鉄マンに世話しました。
八幡製鉄所が新日鉄になってから我が家も八幡から離れ私達は製鉄マンとなれませんでした。2人の従姉妹も新日鉄東京本社に移動。
八幡製鉄所起業際は我が家の大きなメモリアル。
起業時には全国から人々が集まって新しい町を作って発展と共に賑わいました。
戦後の高度成長も重工業を牽引して北九州の中心でした。
我が家と同じような思い出をもつ家族は全国に大勢居るでしょう。さぞ感無量でしょう。
hobashiraさんのお陰です。
博多や小倉の祭りはなじめませんし見た事がありません。フンドシを絞めて御神輿を担ぐ町人の祭りは今でも?何と言っても「起業際」が九州の祭りの王様です。
natukasiiさんへ、
(
hobashira
)
2010-11-10 18:48:43
natukasiiさん処は、創業以来の製鉄マン一家だったとは、凄いですね。
我が家も平野に住んでいまして、まぁ個人情報はこれくらいで、・・・
処で、natukasiiさんもご存知だと思いますが、
昭和33年八幡が舞台の映画「この天の虹」を、観る機会がありました。
撮影ロケの時(桃園アパート)、遠巻きに見ていた記憶があります。
この映画、ハッキリ言って、八幡製鉄所のPR映画ですね。
八幡製鉄所の生い立ちから、工場、製造工程、勤務、役員の紹介、
社宅を始め厚生施設の紹介等など、その都度ナレーションが入っています。
内容は兎も角、何と言うか、
決して戻る事の出来ない52年前に、タイムスリップした感じでした。
桃園アパート、穴生アパート(この2つは主人公の住まいで良く出てきます。)
他に、門田会館、体育館、高炉台公園、製鉄病院、八幡駅、前田の購買会、・・・。
大谷プールの水上カーニバルの模様はありますが、(全員エキストラ?)
起業祭はありませんでした。(確かロケは5、6月頃?)
遠く離れた八幡出身者には是非見てもらいのだが、単独DVDは今のところ無いようで、
「木下惠介DVD-BOX 第四集」の中に入っていますが、ちょっと高いです。
昔八幡市民
(
まる
)
2010-11-11 07:59:34
起業祭、今でも賑わっていますね。
でも私は18日の半ドンの思い出ですね。
この頃は寒かったですが。
家の爺ちゃんの誕生日でもあり、
たのしかったです。
この日のウォーキングに行く予定でしたが、
出張が入り、午後から移動で断念しました。
18日の起業祭が懐かしい
(
hobashira
)
2010-11-11 09:02:43
まるさんへ、おはようございます。
このブログ、見てくれていたんですね。
(こんな絵文字が使えます)
11月3日前後の起業祭も慣れました。 もう25年だそうです。
爺ちゃん、八幡で一番の祝日が誕生日だったとは、羨ましい限りです。
ウォーキングは、黒崎駅から歩きました。
スペースワールドからは、元の製鉄所構内を歩いて、八幡駅へ。
だから写真も昼間のものです。
前の記事にもあるように、前原から周船寺を歩きましたよ。
九大の伊都キャンバスを遠くから見ましたが、まあ良くもあんな所に?
優秀な学生は集まらないのでは? (いや、逆かな?)
結構、忙しいようですね。
じゃんじゃん稼いで、・・・を、ホント期待してます。
涙が!!
(
芯は八幡
)
2010-11-11 15:42:26
このブログの御蔭で3日に「この天の虹」行って参りました。構内は勿論の事 門田クラブ・独身寮・その後ろには徒歩で中央区から通園した小百合保育園の教会の白い塔が、煉瓦作りのキャバレー美松、カマボコ型の体育館とその食堂からは八幡警察署の望楼も、大谷プールに高炉台と ソレハソレハ懐かしさで胸一杯になりました。有難う御座いました。 そして 今日 又 この写真の左上のは 家から電車道を渡った所にあった市民広場とその舞台に後ろの塔は八幡警察署じゃあありませんか!この右手に期間中は沢山の菊の展示がしてありました。又 左下は昭和40年の大谷広場でキグレサーカスが出てますね。この年を限りに残念乍サーカスは姿を消しました。その前年は東京オリンピックの年で木下サーカスが来てました。日に何回も大谷広場に登って色んな物をおねだりして買って貰ってました。 又 戦前からの風習で商家では(多分 普通の家でも)甘酒を甕に沢山作って 皆に振舞っていました。祭の後も残っていたのをコッソリ飲むとスイくなっていたのも懐かしい思い出です。息が出来ない位の人いきれの中を大谷広場へ行き帰り、小さい自分は舞い上がっていました。
有難う御座いました。
タイムスリップ
(
hobashira
)
2010-11-11 18:48:23
芯は八幡さんへ、コメント有難うございます。
確か、以前(昔)、中央町商店街にお住まいと言ってた方でしたね。
さぞかし、起業祭の思い出は、一杯あることでしょう。
左上の写真、市民広場と云ってましたか、起業祭の時はここの舞台も人だかりでしたね。
ちなみに、この写真は昭和25年とありました。
テレビの放送が開始された当時、ここにNHKの公開テレビが設置されていたのを覚えています。
「この天の虹」を観られたんですね。 あの記事が役立って良かったです。
私は10月30日に行きました。
高炉台公園は、出来たばかりの頃でしょうか、ハゲ山で木は殆んど植わってなかったし、本当にあんなに煙が出ていたのかなあ? 撮影の為に、サービスで余計に出したのでは?
道はあまり舗装されてなく、車が通った後の砂埃も懐かしく感じました。
私は兎に角、50年前にタイムスリップでき、感激・懐かしさで一杯でした。
映画「この天の虹」は、
(
natukasii
)
2010-11-12 00:34:49
hobasiraさん、こんばんは
八幡製鉄所の煙突からの煙がモクモクと7色の虹色に立ち込めたということでした?
今の時代では二度と再現できない出来事ですね。
しかし、八幡に煙がなくなって故郷の面影が無くなってしまいました。
普通世間では、ふるさとと言えばウサギ追いしあの山でしょうが。
赤茶けた工場の後も緑地になって、機関車から身を乗り出して旗を振る製鉄マンも居なくなった。
煙を上げて走るD51を懐かしむ思いともまた違って、時代と言うか日常的な光景。
起業際の人出の多さは八幡らしい賑やかさ。
「この天の虹」はhobasiraさんと同じで、夜の照明ライトに浮かぶ西4棟辺りの撮影を遠巻きに眺めた思い出。
コメントを投稿する
現在、コメントを受け取らないよう設定されております。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。
起業祭、なつかしいです♪
ほんと毎年楽しみでした。
小学生の頃は、工場見学→起業祭っていうのが定番で、当時はスーパーカーショーなんかもやってましたね。
起業祭の雰囲気が写真からも伝わってきて、また行きたくなりました!^^
今日なんて暑くってたまりませんでしたよね。
それにしても賑わっていますねぇ。
門司っ子の私は、一度も行ったことないのですが・・・。
一度は行ってみたいと思いつつ、今年も・・・。
でもhobashiraさんの写真で、楽しんでいます。
昔は起業祭には八幡製鉄所から甘酒(麹)の配給がありました。
起業祭といえば寒い季節で、甘酒をどこでも作っていました。
それと台湾バナナ。小学生の頃、5人の仲間とバナナの叩き売りを1本50円(1人10円が限界)で競り落として、1本の貴重なバナナを5人で分け合ってあまり美味しくはなかったがこんなものかと思い出だけが残った。
今でも果物の王様のトラウマから完全に抜け出せない。
八幡で生まれ育った子は、お祭りと言えば、やっぱり起業祭ですね。
「スーパーカーショー」ですか、大体の年代が分かりました。
現在どちら辺りにお住まいか、分かりませんが、機会があればいいですね。
以前は11月17~19日でしたから、霙なんかも降った年もあり寒かったです。
トップの画像(ポスター)にあるように、25年前から「市民のまつり」と
なってから、11月3日の文化の日と土日を組み合わせた日にちを決めています。
今年は上手くいかず、5~7日となりました。
是非、一度はお越し下さい。
起業祭は、家では正月並みのご馳走と甘酒も作ってましたね。
当時はバナナとか玉子は高級品で、病気にならないと食べられなかった。
八幡育ちの者は、起業祭と聞くと幼い頃の自分を思い出します。
中央町の人は中央区といいますね、
拝見してこの商店街がにぎわっている画像で
びっくりうれしい思いです。
家内が「起業祭に行った事がない」と言いはじめましたが
ちょうど忙しく、却下せざるを得ませんでした。
来年行きましょう。
階段にステンドグラスがあってモダンな建物。
九州では唯一のメジャーの百貨店でした。
高見から桃園アパートに移って、中間の中央区のみしま小児科医院にかかりつけでしたが、病院帰りには丸物でおもちゃを買って貰って病気になるのも変な楽しみに。
鶴屋の八幡饅頭・亀やの最中・木村屋のフランスパンは中央区の名物。
京都丸物本店は近鉄百貨店に70年代に変わり、今年からヨドバシカメラに。
東京丸物はパルコになってしまって時代の変化。
百貨店がわくわくする所でなくなってしまった時代のつまらなさ。
木暮サーカス・木下サーカス・矢野サーカスとあったが、写真のように木暮サーカスが八幡の起業祭には定番?大谷会館下で表に象やライオンが出迎えていました。
見世物小屋の名物はへび娘の花ちゃん。「親の因果が子に報い」でおどろおどろしくオジサンがマイクで呼び込み。身体の下半身がへびの大看板。へび娘の花ちゃんが顔だけ時々幕間から表を覗く。中に入ると、花ちゃんがへびを鼻から出したり引っ込めたりへびを美味しく食したり。
がまの油売りは、子供がサクラで切られ役。切られた所を痛そうに手で押さえ油売りのオジサンががまの油を塗ってしまえば元通り。我先にとお札を差し出す。
球体バイクは直径15メートルくらいの鉄製の網目の球体の中でバイクがぐるぐる回りして曲芸。
テレビのない時代、八幡市民の娯楽の王様でした。
わあわんさ&わんさの人出やね!
盛況ぶりが伝わって来ました
みなさんのコメントを読ませていただいても
子供の頃の思い出がたくさん
「起業祭」って言うとじっとしてられないー
八幡っ子にとっては「盆と正月がやって来た」お祭りなんですね
九州場所、日曜から始まりますね~どすこい!
中央区ですか、昔はそう云ってましたね。
natukasiiさんのコメントのタイトルをみて思い出しましたが、
八幡市の時代の正式な地名です。
五市合併して、八幡区中央区じゃ可笑しいので中央町になったと思います。
奥様孝行のためにも、来年は是非、中央町&工場見学へお越し下さい。
今でも中央町に、鶴屋はあります。 亀や、木村屋は、チョット自信ないけどあると思いますよ。
起業祭の名物の詳細な説明、有難うございます。
「親の因果が子に報い」、これ学校で、面白半分に良く使ってましたよ。
失敗したり、悪いことが起こった時なんか。
百万夏祭りよりも賑わっている感じですね。
1901年の製鉄所創業以来、110年も続いているお祭りです。
八幡っ子の楽しみ?は、盆と正月と起業祭です。
だから、起業祭の思いでは子供の頃の思い出と重なりますね。
でもね、これは昔の子。 今の子は、そうでもないかもしれません。
式秀部屋の式秀親方は、元小結大潮で八幡の出身です。
まだ関取(十両以上)は、出ていません。
起業祭は八幡製鉄所の創業記念日のまつりです。
一企業の祭りですが、当初は官営製鉄所だから、町をあげての祭りとし祝っていたようです。
民営化されても、そのスタイルは変わっていません。
昔も今も、八幡は製鉄所の城下町ですから。
小学校低学年の頃は学校が11月18日休みでした
その内半ドンになり休みでなくなっていきましたね
中央町まで歩いて見に行ってました
あの頃は創業記念日の前後でお祭りをしていましたが
今は市民の祭りに変わったのでしょう
初雪が降るのも起業祭の頃ってイメージが強かったです
懐かしい思い出です
今年も賑わっていますねーー
小学生のときは起業祭は学校休みでした。
また、サーカスには小学校の行事の一環として団体で見に行ったことがあります。
家の前の道には万国旗が張られていました。
昔は今よりもっとにぎやかだったような気がします。
1901(明治34)年2月5日ドイツ人技師の指揮の下に溶鉱炉の火入れが行われました。
1901(明治34)年11月18日来賓800人を招いた盛大な作業開始式が行われました。この日を記念して、毎年起業祭が行われるようになりました。
八幡村に官営製鉄所を誘致するのも相当な苦労だった様で、作業開始からも予定の出銑量と銑質を達成出来ずに苦労の連続だったようです。
日本国の歴史と共に。
今日はお寺参りをしたせいか 友達とのことじゃなく
父の思い出
私は20歳で免許をとって会社が車を買ってくれたから
44年前からマイカーもちなんです。
父はバイクしか持っていませんでした。
会社が前田町でしたし 起業祭はいつも行きました。
父が盆栽をしていて植木市に行くためです。
ドライブなど今の様に行かないから 知らなかったけど田主丸から来てたんです。植木屋さん
それを耳で たのしまる って聞いていました。
椎の実を枡ではかって買いました。
昨日と今日 国東に行きました 今日国東のお寺でギンナンを買って 起業祭っていつだっけとおもったばかりでした。
懐かしい写真をありがとうございます。
18日が休みだった時代ですか、かなり古いなあ~!
当時のひまわりさん宅は、どの辺りか分からないが、
みんな歩いて大谷に行ってましたね。
市民の祭りになっても、創業記念日は18日で、社員は休日の筈です。
昔ほどないが、けっこう賑わっています。
小学校のころは、18日は休みもあったが1時間授業とかもありました。
万国旗は電車通りには、黒崎から辺りからあったのを覚えています。
それに比べると、今はホント小規模?です。
八幡区が東西に別れてからは西区は、ノータッチ?です。
起業祭は東区の祭り、西区は黒崎宿を中心とした祭りが主です。
又又、丁寧な解説を有難うございます。
明治34年の第1回起業祭の模様のパネル写真が2、3枚ありました。
100年以上前ですが、資料なんかも残っているようです。
国東は、そろそろ結願ですか? ご苦労さまです。
起業祭の植木市は今年もやってましたよ。
椎の実・ギンナンを売ってる店もちゃんとありました。
屋台の店を見て廻る、流行?が分かって見るだけで楽しいです。
この辺が起業祭の魅力?かな!
元前田の住民さん、昔を思い出して、来年はどうぞ!!
八幡製鉄所が新日鉄になってから我が家も八幡から離れ私達は製鉄マンとなれませんでした。2人の従姉妹も新日鉄東京本社に移動。
八幡製鉄所起業際は我が家の大きなメモリアル。
起業時には全国から人々が集まって新しい町を作って発展と共に賑わいました。
戦後の高度成長も重工業を牽引して北九州の中心でした。
我が家と同じような思い出をもつ家族は全国に大勢居るでしょう。さぞ感無量でしょう。
hobashiraさんのお陰です。
博多や小倉の祭りはなじめませんし見た事がありません。フンドシを絞めて御神輿を担ぐ町人の祭りは今でも?何と言っても「起業際」が九州の祭りの王様です。
我が家も平野に住んでいまして、まぁ個人情報はこれくらいで、・・・
処で、natukasiiさんもご存知だと思いますが、
昭和33年八幡が舞台の映画「この天の虹」を、観る機会がありました。
撮影ロケの時(桃園アパート)、遠巻きに見ていた記憶があります。
この映画、ハッキリ言って、八幡製鉄所のPR映画ですね。
八幡製鉄所の生い立ちから、工場、製造工程、勤務、役員の紹介、
社宅を始め厚生施設の紹介等など、その都度ナレーションが入っています。
内容は兎も角、何と言うか、
決して戻る事の出来ない52年前に、タイムスリップした感じでした。
桃園アパート、穴生アパート(この2つは主人公の住まいで良く出てきます。)
他に、門田会館、体育館、高炉台公園、製鉄病院、八幡駅、前田の購買会、・・・。
大谷プールの水上カーニバルの模様はありますが、(全員エキストラ?)
起業祭はありませんでした。(確かロケは5、6月頃?)
遠く離れた八幡出身者には是非見てもらいのだが、単独DVDは今のところ無いようで、
「木下惠介DVD-BOX 第四集」の中に入っていますが、ちょっと高いです。
でも私は18日の半ドンの思い出ですね。
この頃は寒かったですが。
家の爺ちゃんの誕生日でもあり、
たのしかったです。
この日のウォーキングに行く予定でしたが、
出張が入り、午後から移動で断念しました。
このブログ、見てくれていたんですね。(こんな絵文字が使えます)
11月3日前後の起業祭も慣れました。 もう25年だそうです。
爺ちゃん、八幡で一番の祝日が誕生日だったとは、羨ましい限りです。
ウォーキングは、黒崎駅から歩きました。
スペースワールドからは、元の製鉄所構内を歩いて、八幡駅へ。
だから写真も昼間のものです。
前の記事にもあるように、前原から周船寺を歩きましたよ。
九大の伊都キャンバスを遠くから見ましたが、まあ良くもあんな所に?
優秀な学生は集まらないのでは? (いや、逆かな?)
結構、忙しいようですね。
じゃんじゃん稼いで、・・・を、ホント期待してます。
有難う御座いました。
確か、以前(昔)、中央町商店街にお住まいと言ってた方でしたね。
さぞかし、起業祭の思い出は、一杯あることでしょう。
左上の写真、市民広場と云ってましたか、起業祭の時はここの舞台も人だかりでしたね。
ちなみに、この写真は昭和25年とありました。
テレビの放送が開始された当時、ここにNHKの公開テレビが設置されていたのを覚えています。
「この天の虹」を観られたんですね。 あの記事が役立って良かったです。
私は10月30日に行きました。
高炉台公園は、出来たばかりの頃でしょうか、ハゲ山で木は殆んど植わってなかったし、本当にあんなに煙が出ていたのかなあ? 撮影の為に、サービスで余計に出したのでは?
道はあまり舗装されてなく、車が通った後の砂埃も懐かしく感じました。
私は兎に角、50年前にタイムスリップでき、感激・懐かしさで一杯でした。
八幡製鉄所の煙突からの煙がモクモクと7色の虹色に立ち込めたということでした?
今の時代では二度と再現できない出来事ですね。
しかし、八幡に煙がなくなって故郷の面影が無くなってしまいました。
普通世間では、ふるさとと言えばウサギ追いしあの山でしょうが。
赤茶けた工場の後も緑地になって、機関車から身を乗り出して旗を振る製鉄マンも居なくなった。
煙を上げて走るD51を懐かしむ思いともまた違って、時代と言うか日常的な光景。
起業際の人出の多さは八幡らしい賑やかさ。
「この天の虹」はhobasiraさんと同じで、夜の照明ライトに浮かぶ西4棟辺りの撮影を遠巻きに眺めた思い出。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。