コメント
日本人の・・・
(
momomama
)
2010-12-17 17:50:31
哀れさを好む心情があちこちでたくさんの物語を作っているんですね。
かく申す私典型的な判官贔屓で義経は奥州では死なずに モンゴルに渡ったって信じてますからね。
涙が出そうですね。。壇ノ浦の合戦 この場面は哀れですね。
小倉にこんな祭があると走りませんでした。。良く伝わりましたよ。。
幼帝入水は可哀想だから落ちのびたと思いたいですよね。
実は 私の記事 大君地区・・・の大君は安徳天皇の事で史跡があります。
http://blog.goo.ne.jp/momo606_2005/e/61f046b8d67b716bd3552616d5c309f8
珍しいお祭のご紹介ありがとうございました。
今晩は~♪
(
ゆめ吉
)
2010-12-17 20:34:06
hobashiraさん、沢山の写真と説明ありがとうございました。
凄く興味深く見させて頂きましたよ。
「隠蓑」という地名は知っていましたが、こんな由来があったのですね。
確かに安徳天皇は、関門の海で亡くなっていないと云う伝説も色々ありますね。
毎年「しび着せ祭」があってるなんて、全然知りませんでした。
hobashiraさんのお陰で、様子がよ~く分かりました。
まだまだ知らないお祭りや行事って、沢山あるんですね。
歴史の勉強会??
(
とん子
)
2010-12-17 22:07:53
場所は全然わかりませんが?・
素晴らしい解説で解った気分になれました
子供たちの無邪気な声に昔遊んだ記憶が重なりました
大分県での思い出です。藁を掛けっこして??元気なお子さんに成長して貰いたいですね!!
旧豊前小倉の三大奇祭の一つです。
(
hobashira
)
2010-12-17 22:36:44
momomamaさんへ、
この安徳天皇伝説も判官贔屓でしょうか、私は真実だと信じていますが。
義経の伝説も有名ですね。
東北・北海道に義経神社があり、そこを転々としたと言う伝説。
ひょとして、
高木彬光の「成吉思汗(ジンギスカン)の秘密」を読まれたのでは?
昔、読みましたよ。 もの凄い説得力があったのを覚えています。
大君神社、
調べたら壇ノ浦の戦いの2年前に、仮の御所があったところです。
山鹿(芦屋)も歴史ある所、これは郷土の自慢の種ですよ。
撮影会かな?
(
hobashira
)
2010-12-17 23:01:13
ゆめ吉さんへ、
実は、ゆめ吉さんの記事の中の「句塚」の写真を見て、
思い出したんです。
初めて行ったのは3年前だったか、今回で2回目です。
カメラマンがズラリ、それも高価そうな一眼レフで、脚立も用意してるので、
撮影の時は、全然動きません。
私はコンデジで、ウロウロしてました。
最初の安徳天皇役の子供に藁を降り掛ける時、カメラを意識して、
向きを変えて(ぐるっと一回り)、何度も何度も、やってくれます。
だから、これはもう撮影会みたいでした。
ゆめ吉さんも来年行ってみたら? でも、この時期は寒いです。
正史と外史を勉強しましょう!
(
hobashira
)
2010-12-17 23:13:18
とん子さんへ、
歴史の勉強会??、祭りの紹介のつもりでしたが、
そうですね。 正史と外史(正史の反対)をチョッピリ。
教科書の歴史が真実とは限りませんからね。
義経生存説と同様、安徳天皇生存説も、正統な歴史家からは嫌われているそうです。
とん子さんは子供の頃、藁を投げ合って遊んだことがある、
都会?育ちの私は、そんな記憶はありません。
奇祭
(
ひまわり
)
2010-12-19 19:16:41
こんばんは~
こういうお祭りがあるのですね
知らなかったです
しび着せ祭りって言うのですね
安徳天皇は二位の尼に抱かれ入水
一緒に入水した侍女達の中で生き残った人が
おいらんとなったと聞きましたが・・・
こういう由緒があるお祭りは残っていって欲しいですね
歴史のロマンです。
(
hobashira
)
2010-12-19 23:02:49
ひまわりさんへ、今晩は!
こんな祭り、ホント珍しいですね。
数年前のNHK大河ドラマでも、何となくぼかしているし、替え玉説も?
安徳天皇生存説は、各地に残る平家の落人と同様に
歴史研究家のロマンでしょうか?
下関・赤間神宮の先帝祭、一度行ってみたいと思ってます。
(おいらん道中を見たいです。)
現在までよく伝わりましたね
(
kinucoco
)
2010-12-22 23:12:33
hobashiraさん
こんばんは!
関西住みの私には、初めて知った
小倉、隠蓑の しび着せ祭・・
物語を読むように拝読させていただきました。
戦前までは、密かに行われていた、なんて神秘的ですねぇ
安徳天皇生存説、信じますよ☆
ひまわりさんのコメント
>侍女達の中で生き残った人がおいらんとなった・・
これまた艶っぽい伝説ですね^^
1月に、下関ふぐ尽くしツアー、って言う
一泊弾丸旅行に行きます
ちょっとだけ門司レトロ地区にも寄りますよ~
赤間神宮
(
hobashira
)
2010-12-23 22:31:38
kinucocoさんへ、今晩は!
>安徳天皇生存説、信じますよ☆
でもね、一般的には赤間神宮に祀られていることになっています。
(宮内庁公認ですから)
歴史のロマンは持ち続けたいですね。
下関のツアーなら、ここ赤間神宮も入っているのでは?
近くにある「・・・波の下にも みやこありとは」の石碑も是非ご覧下さい。
関門トンネルも補修工事も終わったし、歩いて和布刈に渡れます。
安徳天皇の命日に、花魁に身を落した平家の官女達が参拝したことから、
始まったと云われる「先帝祭」、(今は新暦で、5月の連休中にあります。)
おいらん道中と言って、十二単衣に打ち掛け姿の大夫が、
外八文字を踏んで参拝します。(この赤間神宮でです。)
一度は見たいと思ってますが、大勢の人出とチョット恥ずかしい気もあり?
もうそんな歳でもないし、出来たら来年は行ってみようかな?
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かく申す私典型的な判官贔屓で義経は奥州では死なずに モンゴルに渡ったって信じてますからね。
涙が出そうですね。。壇ノ浦の合戦 この場面は哀れですね。
小倉にこんな祭があると走りませんでした。。良く伝わりましたよ。。
幼帝入水は可哀想だから落ちのびたと思いたいですよね。
実は 私の記事 大君地区・・・の大君は安徳天皇の事で史跡があります。
http://blog.goo.ne.jp/momo606_2005/e/61f046b8d67b716bd3552616d5c309f8
珍しいお祭のご紹介ありがとうございました。
凄く興味深く見させて頂きましたよ。
「隠蓑」という地名は知っていましたが、こんな由来があったのですね。
確かに安徳天皇は、関門の海で亡くなっていないと云う伝説も色々ありますね。
毎年「しび着せ祭」があってるなんて、全然知りませんでした。
hobashiraさんのお陰で、様子がよ~く分かりました。
まだまだ知らないお祭りや行事って、沢山あるんですね。
素晴らしい解説で解った気分になれました
子供たちの無邪気な声に昔遊んだ記憶が重なりました
大分県での思い出です。藁を掛けっこして??元気なお子さんに成長して貰いたいですね!!
この安徳天皇伝説も判官贔屓でしょうか、私は真実だと信じていますが。
義経の伝説も有名ですね。
東北・北海道に義経神社があり、そこを転々としたと言う伝説。
ひょとして、
高木彬光の「成吉思汗(ジンギスカン)の秘密」を読まれたのでは?
昔、読みましたよ。 もの凄い説得力があったのを覚えています。
大君神社、
調べたら壇ノ浦の戦いの2年前に、仮の御所があったところです。
山鹿(芦屋)も歴史ある所、これは郷土の自慢の種ですよ。
実は、ゆめ吉さんの記事の中の「句塚」の写真を見て、
思い出したんです。
初めて行ったのは3年前だったか、今回で2回目です。
カメラマンがズラリ、それも高価そうな一眼レフで、脚立も用意してるので、
撮影の時は、全然動きません。
私はコンデジで、ウロウロしてました。
最初の安徳天皇役の子供に藁を降り掛ける時、カメラを意識して、
向きを変えて(ぐるっと一回り)、何度も何度も、やってくれます。
だから、これはもう撮影会みたいでした。
ゆめ吉さんも来年行ってみたら? でも、この時期は寒いです。
歴史の勉強会??、祭りの紹介のつもりでしたが、
そうですね。 正史と外史(正史の反対)をチョッピリ。
教科書の歴史が真実とは限りませんからね。
義経生存説と同様、安徳天皇生存説も、正統な歴史家からは嫌われているそうです。
とん子さんは子供の頃、藁を投げ合って遊んだことがある、
都会?育ちの私は、そんな記憶はありません。
こういうお祭りがあるのですね
知らなかったです
しび着せ祭りって言うのですね
安徳天皇は二位の尼に抱かれ入水
一緒に入水した侍女達の中で生き残った人が
おいらんとなったと聞きましたが・・・
こういう由緒があるお祭りは残っていって欲しいですね
こんな祭り、ホント珍しいですね。
数年前のNHK大河ドラマでも、何となくぼかしているし、替え玉説も?
安徳天皇生存説は、各地に残る平家の落人と同様に
歴史研究家のロマンでしょうか?
下関・赤間神宮の先帝祭、一度行ってみたいと思ってます。
(おいらん道中を見たいです。)
関西住みの私には、初めて知った
小倉、隠蓑の しび着せ祭・・
物語を読むように拝読させていただきました。
戦前までは、密かに行われていた、なんて神秘的ですねぇ
安徳天皇生存説、信じますよ☆
ひまわりさんのコメント
>侍女達の中で生き残った人がおいらんとなった・・
これまた艶っぽい伝説ですね^^
1月に、下関ふぐ尽くしツアー、って言う
一泊弾丸旅行に行きます
ちょっとだけ門司レトロ地区にも寄りますよ~
>安徳天皇生存説、信じますよ☆
でもね、一般的には赤間神宮に祀られていることになっています。
(宮内庁公認ですから)
歴史のロマンは持ち続けたいですね。
下関のツアーなら、ここ赤間神宮も入っているのでは?
近くにある「・・・波の下にも みやこありとは」の石碑も是非ご覧下さい。
関門トンネルも補修工事も終わったし、歩いて和布刈に渡れます。
安徳天皇の命日に、花魁に身を落した平家の官女達が参拝したことから、
始まったと云われる「先帝祭」、(今は新暦で、5月の連休中にあります。)
おいらん道中と言って、十二単衣に打ち掛け姿の大夫が、
外八文字を踏んで参拝します。(この赤間神宮でです。)
一度は見たいと思ってますが、大勢の人出とチョット恥ずかしい気もあり?
もうそんな歳でもないし、出来たら来年は行ってみようかな?
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。