コメント
お飾りは
(
caramelpapa
)
2012-01-09 16:26:22
松の内過ぎたら
地元の神社に持って行きます
鶴の形は
宮崎が発祥だとか?
高天原かも?
懐かしい!
(
八幡の子
)
2012-01-09 17:55:57
お飾り・・鶴ですね!暮れは正月準備で賑わう活気溢れる黒崎商店街でしめ縄飾りを選ぶ事も楽しいイベントでした。お正月は八幡東区の商店街や近くの高台にある社宅にご挨拶に連れて行ってもらったり(父は八幡製鉄でした)・・大蔵U+2049 尾倉?地名ははっきりしませんが、その頃の風景が浮かびます
どんど焼き
(
ゆめ吉
)
2012-01-09 19:46:49
こんばんは~♪
「どんど焼き」って、私まだ実際に見たこと無いんですよ。
近所ではやってないし・・・
ここのどんど焼きは楽しそうですね!
餅焼きに興味津々♪
私も参加したかったなぁ~なんてね。
鶴の注連縄ってここら辺ではよく見かけますよね。
そうか~これって珍しいのですね。
地元から離れることがないもんだから、
これってどこでもあるのかと思いましたよ。
あ~ 残念
(
momomama
)
2012-01-09 21:08:06
hobashiraさん こんばんは。
3日に岡湊神社に行った時 書いてあった
今年こそ行こうと思ったのに・・・・今日だった・・
忘れていました。
私はお札は神社やお寺に納めます。忘れても大丈夫 お寺さんが来られた時に お炊き上げお願いしますと言って預けます。
お飾りは ゴミに出すんですが別袋に入れてお塩をいれます。
玄関飾り これ珍しいんですか?
そういえばブログ友達の四国の方は違いますね。
そういえば津屋崎も違ったゾウ・・・・
hobashiraさん 中々更新されなかったから風邪かと思った 安心しました。
高天原とは?
(
hobashira
)
2012-01-09 21:42:51
caramelpapaさんへ、今晩は!
お飾り類を神社へ、結構、聞きます。
鶴の形の注連縄の発祥は宮崎ですか、
九州では、何処でも見かけるのだろうか?
「鶴じめ」の注連縄
(
hobashira
)
2012-01-09 21:49:18
八幡の子さんへ、今晩は!
年末の30、31日あたりに、しめ縄専門の出店が出ますね。
ここの近くでは、相生町です。
玄関用は、殆どがこの「鶴じめ」です。
他に、神社で飾る注連縄の小型版?がありました。
ところ変われば、正月の注連縄も?
(
hobashira
)
2012-01-09 22:08:14
ゆめ吉さんへ、今晩は!
どんど焼き、見たこと無いですか、
和布刈神社あたりで、やっていそうな気がしますが?
この「どんど焼き」の残り火で焼いた餅を食べると、
その年は、病にかからないそうです。
(まぎれて、スルメやメザシも焼いていました。)
鶴の形の注連縄、ホント珍しいそうですよ。
ゆめ吉さんの遠くのブログ友に、聞いてみるのも面白いです。
どんど焼き
(
ひまわり
)
2012-01-09 22:13:08
こんばんは~
わが町内でもどんど焼きをしています
かっぽ酒やぜんざいが振舞われますが
私は最近はしめ飾りをしないので行かなくてすみます
以前は行って燃やしていました
鶴といえば普通に見ていたような
一年中しめ飾りをしてる地域もありますね
こういう風習はなくならないでほしいものです
寒に入っているから寒いはず
(
hobashira
)
2012-01-09 22:47:01
momomamaさんへ、今晩は!
岡湊神社では、「どんど焼き」をやるんですね。
忘れてた。 それは残念でした。
玄関飾りの注連縄は、これが正統派だと思いますね。
最近は、洒落たのが出ていますが、・・・
はい、少々風邪気味です。
年寄りの何とかで、我慢をしていたが、
昨日から、力道山パンツを穿いています。
どんど焼きは、大人の楽しみ
(
hobashira
)
2012-01-09 23:12:39
ひまわりさんへ、今晩は!
えっ、しめ飾りはしないんですか、
そう云えば、我が家でも、しない時もありました。
どんど焼きは、子供が喜ぶかと思ったら大人がですね。
一杯
やりながら、新年の挨拶です。
鶴の形の注連縄は、北九州では普通なんですがね、
郷土歴史研究会?としては、
各地の(正月用)玄関の注連縄を調べるのも面白いテーマでは?
はじめまして
(
TOSHIHIRO
)
2012-01-10 00:05:56
hobasira様 はじめまして。
東京在住の50代の男性です。中学二年まで八幡に住んでおりました。それ以来八幡へは帰っていません。懐かしさのあまりにメールをしました。少年時代を八幡過ごした思い出は、今では心の財産となっています。
時々おじゃまさせて下さい。
注連飾り
(
caramelpapa
)
2012-01-10 00:53:23
たぶんですが
注連飾りというか
お正月の玄関の飾りは
年神様をお迎えするためなのだから
神社の注連飾りが
全国的には一般的なのだと思いたいです
想像すれば
玄関飾りはやっぱり
鏡餅のような注連縄のような
めでたい意匠のものが年神様も喜ぶのかなぁと
どんど焼きは
八幡では何処でもするのだと
なんとなく思っていました
空き地があれば何処でも
今は防災意識が高いから
大きい公園じゃないと出来ませんね
しかし
この場所には
いろいろな方が集まってこられて
楽しいです
hobashiraさんが
豆に写真を撮られて
詳しい解説を載せる
お人柄が出ているのでしょうね
書かせていただいて
うれしいです
正月の飾り物
(
春休みのデッサン室
)
2012-01-10 11:13:35
しめ縄や門松、鏡餅について以前、ミニコミ情報誌で
特集として調べて掲載したことがありました。
でもその由来、忘れちゃった。
その情報誌を探せばわかるけどまた今度にします。
門松は神様が降りてくる目標とかの記憶もあります。
お正月の飾り物はさすがにゴミ出しには出しませんよ。
これ以上バチがあたってはかないませんから。
近くの神社、当方は葛原八幡神社に持って行きます。
どんど焼きなどで焼いてくれるようです。
八幡も頑張っています!
(
hobashira
)
2012-01-10 18:38:29
TOSHIHIROさんへ、ようこそ!
もう40年位、八幡には帰ってないんですか、
どの辺りに、お住まいだったか分りませんが、
すっかり変わってしまっていますよ。
私が感じるのは、人口は減っているのに、
やたらに?高い建物(ビル)が、多くなっています。
街も綺麗になっていますが、昔の様な活気はイマイチです。
この記事の、
お正月用の玄関の飾り、八幡では見かけたと思いますが、
関東では、この鶴の形をした注連縄はどうなんでしょう?
その土地・地方によって、正月用の注連縄も色々のようですね。
これを機会に、これからも宜しくお願いします。
どんど焼きの裏事情?
(
hobashira
)
2012-01-10 19:02:26
caramelpapaさんへ、今晩は!
そうですね。
玄関に飾る注連縄も、神社の注連縄の小型版が標準でしょうね。
それがどうして、ここでは鶴の形をした「鶴じめ」なのか?
まあ、この地方の伝統でしょうか。
「どんど焼き」も大変だと思いますよ。
北九州市では、市街地での焚き火は原則禁止されている様で、
消防の許可、周りの住民へのお願い(灰が飛んで洗濯物が干せない)等、
でも、続けて欲しいですね。
このブログのことですか?
稚拙で、文章的にも可笑しなところが多く、
(国語・作文は苦手でしたから、)恥ずかしい限りです。
皆さんのコメントは励みになります。
問題は、いつ更新するか(出来るか)、自分でも分らないです。
門松は冥土の・・・
(
hobashira
)
2012-01-10 19:11:26
春休みのデッサン室さんへ、今晩は!
お正月の注連縄・門松・鏡餅、等など
受け継がれた伝統は、次の世代へ継承すべきものですね。
「門松は冥土の旅の一里塚、・・・」
段々と実感がこもってくる様な??
以前、社宅時代は、
お正月の飾り物は一般ゴミと一緒に、・・・。
それで、バチが当たって、今でも冴えないのかなぁ?
はじめまして。
(
桃
)
2012-01-10 21:15:34
たまたまこちらのblogを見付けました。
毎年別所公園のどんど焼きに行ってるので嬉しくてコメントしました。
今年は自宅から音と消防車を見てました(笑)
地元情報たくさんなので,また遊びにきます~
説明不足ですみません
(
TOSIHIRO
)
2012-01-10 23:59:56
hobasira様
コメントありがとうございます。私は西台良町に住んでいました(中学の頃は平野アパート)。笹尾橋(名前は知らなかったです)を少し下ったところです。私はS30年生、にったいさんのたちばな幼稚園→平野小学校→花尾中学校(2年まで)に通いました。前者2つはもうないですね。皿倉山、花尾城、にったいさん、河頭山等はまさに遊びの行動範囲でしたね。
注連縄はやはり独自のものだと思います。東京出身の妻に聞いても見た事がないと言っていました。
同じ区会?
(
hobashira
)
2012-01-11 18:23:04
桃さんへ、ようこそ!
えっ、別所公園の近くの方ですか?
これは恐れ入りました。
私も、ほゞ毎年参加しています。
同じ区会と云いても、外れの方ですから、天候次第で?
今年初めて、消防の放水テスト?をしているところを見ました。
一応、配置だけと思ったら、用意万全なんですね。
まあ、大したことは書いていませんが、画像は豊富です。
これからも、宜しくお願いします。
後輩さんですか、
(
hobashira
)
2012-01-11 18:36:53
TOSIHIROさんへ、今晩は!
私とは一回り違うようですが、私も平野小→花尾中です。
小3から20年以上、平野アパートにいました。
平野小の裏、西台良町、分ります。
去年、龍尾橋・笹尾橋と記事にしましたが、
名前なんか、分らなかったです。(後で調べました。)
子供の頃は、私も花尾城、にったいさん、河頭山には、
(友達との)少し遠出の遊び場でした。
その先の屋形船は、高速が通って無くなりましたが、
廻りの雰囲気は残っていますよ。
再三すみません
(
TOTSHIHIRO
)
2012-01-11 23:48:05
hobasira様
先輩でしたか!屋形船は花見の名所でしたね。八幡を離れる頃未だ工事していました。池をつぶすため水抜きをした時の事を覚えています。魚取り放題だったとか。数日遅れで駆けつけ、やっと大きな鯉一匹捕えましたが、持ち帰れませんでした(笑)。近くの小さな小川に透明なエビもいましたね。河頭山にいくつかあった洞穴、未だあるのでしょうか。よく蝋燭灯して探検しました。この洞穴と花尾城がどこかでつながっているという伝説が我々悪ガキの間にありました。
岡田宮 どんど焼き神事
(
八幡の子
)
2012-01-12 17:42:12
岡田宮(黒崎)のどんど焼き祭は1月15日 9:30~ですね。岡田宮ブログに鶴、鶴、鶴の注連縄たくさん載ってますね。私にはお正月飾りといえばやはり、鶴!です。今も住んでいたらお焚き上げに持参するのになぁ~
こちら神奈川では鶴のもの・・見かけないと思います!
桜の名所「東洋公園?」
(
hobashira
)
2012-01-12 20:08:12
TOTSHIHIROさんへ、今晩は!
屋形船の水抜きで(その後でも)、大きな鯉を、いい思い出ですね。
そんな企画があったとは、知らなかったです。
河頭山の洞穴、
小学生の頃に行ったことがあるが、あまり思い出せません。
機会があったら、行って見ます。
花尾城の抜け道? そんな噂も聞いたこともあります。
ご存知かもしれませんが、
河頭山の中央高校に面した斜面を造成して、団地になっています。
そうそう、西台良と言えば、桜の名所「東洋公園?」がありましたね。
今は無くなって、宅地になっていたのは知ってたんですが、
去年、龍尾橋・笹尾橋を見に行った時、あの辺りを歩きました。
斜面に、ぎっしりと住宅が、昔の面影は全然無かったです。
鶴の注連縄は高級品
(
hobashira
)
2012-01-12 20:34:58
八幡の子さんへ、今晩は!
どんど焼きは、
1月15日の小正月に、やるのが一般的のようですね。
岡田宮の、「岡田宮ブログ~八咫烏の声~」見ました。
鶴の注連縄、「鶴じめ」ばかりで、高級な感じがします。
神奈川には有りませんか?
多分、九州だけのような気がします。
各地のお正月用の注連縄、
テレビで(特集で)、取り上げてくれたら面白いのだがなぁ!
どんど焼き
(
はったいご
)
2012-01-12 21:59:01
hobashiraさんこんばんは
うちの町内では、この土曜日に小学校の
運動場で「どんど焼き」をおこないます。
玄関飾りやら、いろんな神社から集まった
お札を持って行って燃やしてもらいます。
お餅もちょうどなくなったし、
少しずつ正月気分から抜け出さなくてはと
思っています。
覚えてます。懐かしい!
(
TOSHIHIRO
)
2012-01-13 00:08:59
hobasira様
東洋公園(字は解りませんが)は遊び場のひとつでした。家からすぐでした。桜の木でうっそうとしていてよく蝉取りをしたところです。木に登って毛虫に刺されました(笑)。井戸がありましたね。北側が開けて眺めが良くて確かすぐ下が平野小でしたかね。河頭山の宅地の場所は私がいた頃整地されていた記憶があります。北側に石切り場があってそこで水晶を見つけたことがあります。 八幡の変わり様に年月の流れを感じます。いろいろと教えていただいてありがとうございます。
今風の餅は?
(
hobashira
)
2012-01-13 18:24:36
はったごさんへ、今晩は!
どんど焼きは、小正月の15日にするのが正統らしいです。
古い習慣の伝承?の意味でも、続けて欲しいですね。
餅・お鏡は、
はったいごさんちは、(自分とこで)ついた餅でしょうね。
我が家は、スーパーで買っています。
雑煮用の小餅と、お鏡はプラスチックで真空パックです。
鏡開き?では、中から小餅がザックザック~です。
この餅、少々のことでは、カビも生えません。(大丈夫かなあ!?)
想いは巡る
(
hobashira
)
2012-01-13 18:35:05
TOSHIHIROさんへ、今晩は!
子供の頃、「とうようこうえん、とうようこうえん」、と言ってた。
そう云えば、どんな字だろう?
「東洋」ではチョット可笑しいような気もします。
小学生の頃、家族で2、3回 花見に行った記憶があります。
確か、個人の所有だったそうでね。
河頭山の石切り場の水晶、私も覚えています。
断崖絶壁の上を歩いて、恐かったなあ!
それで水晶は見つかったのか、そのへんが、はっきり思い出せない。
友達、数人集まれば少々危ない遊びでも、ってことかな。
想いは、いつまでも巡りますね。
お餅!
(
八幡の子
)
2012-01-13 21:06:09
hobashiraさん、こんばんは!
八幡に居た時は、お餅は丸!と決まっていました。暮れになると餅をついてもらい木の箱に並べた丸餅と鏡餅を届けて貰っていた記憶があります。小学校高学年頃になるともう真空パック入りを買っていたのかな?いずれにしても形は丸!関東は四角が主流です。(ここに来ると八幡に住んでいる気分になれるのでついついお邪魔してしまいます。主人の勤務地がまた九州に戻る事を願ってやまない者です!)
餅箱
(
はったいご
)
2012-01-14 11:46:14
hobashiraさん、こんにちは
正月のお餅は自分の家で作ります。
「作りますは変で、搗くでしょう?」
と思われるかも知れませんが、
電動でグリグリ捏ね回すので搗くとはいい難いのです。
父親が存命の頃は、石臼で私が搗いて、
父親が臼取りをするのが慣わしでしたが、
その石臼が倉庫の横で伏せられたまま眠っています。
屋外に竈を作って蒸篭で米を蒸し臼と杵で搗く。
もう一度やってみたいですね。
子どもたちもいい歳なんですが、
たぶん私が若い頃のように、
1斗の餅を一人で搗いたなんてことは
できないんだろうな。
で、今日お餅がなくなったので、
餅箱を洗いました。
箱の横に、購入日が父親の手で墨で書かれており、
昭和23年12月15日求とありました。
60年も前のもので気が遠くなるような昔です
丸餅と角餅
(
hobashira
)
2012-01-14 20:42:21
八幡の子さんへ、今晩は!
丸餅は九州というより、関西より西で、東日本は角餅のようですね。
子供の頃、(社宅でも)ご近所さんが集まって、
臼と杵で餅つきをしていました。
木の箱、我が家にもあったのだが、・・・。
ご主人は転勤族?
希望が叶えるといいですね。 (故郷の山は呼んでますよ。)
そろそろ、無形文化財に、
(
hobashira
)
2012-01-14 20:55:37
はったいごさんへ、今晩は!
やっぱり
、電動餅つき機でついた餅でも、一家あげて?
後は、みんな(人手)で、子餅など丸めて、あん餅も作って、
出来立てを、大根おろしの酢醤油で食べるのも、乙なものですね。
餅箱、我が家にもあったのだが、
使わないので引越しで処分した様です。
昔の人は、ちゃんと日付・名前を書いていましたね。
餅つきも、今じゃ、お相撲さんの専売特許?
4~5段の蒸篭で蒸して、臼と杵で、
何年後かは、無形文化財に指定されているかも?
望郷!
(
八幡の子
)
2012-01-15 12:37:57
hobashiraさん、こんにちは!
転勤族ほど頻繁ではないですが、僅かな望みにかけてます。父は(10年前に他界)私が
12才の時に八幡から君津に転勤になりました・・なので自分か就職した時はここぞとばかりに九州勤務を希望・・結婚後は福津市に、娘が生まれて(かなりの高齢出産)からは、皿倉山に雪が積もるとソリ遊びに連れて行ったり、筒井小、黒崎、山笠~色々連れて行き自分が一番楽しんでました。
関東に転勤になり7年、娘も4月から中学生
一緒に八幡に遊びに行けなくなりますが、
私は毎年故郷の空気を感じ、変わりゆく街並みを確かめに帰ります!
お正月は書初め大会で尾倉?大蔵?平野?
小学校へお邪魔したのを思い出しました。
どの学校だったか定かでないですが
八幡の子さん、今晩は!
(
hobashira
)
2012-01-15 18:22:47
すごい望郷の念があるんですね。 (事情は分かりました。)
私は若い頃は、都会に憧れていたが、ズルズル~っと、そのままです。
今となっては、それが良かったのかなあ!
昭和40年代、多くの人が君津に転勤で行っていますね。
私の友人もかなり居ます。
住めば都でしょうか、あちらで家も建てているので、戻る気配も無いです。
親戚が此方に居るようで、たまに、帰省で逢うこともありますが、
まあ、それぞれの人生でしょうね。
何度もすみません。
(
TOSHIHIRO
)
2012-01-15 22:13:40
hobasira様
私も父が八幡製鉄で君津への転勤組です。大きな団地に住んでいました。同級生にも八幡出身者が何人もいて九州弁が飛び交っていましたよ。今でも大の悪友は黒崎出身です。君津には最初馴染めなかったですね。文通していた八幡の友人とも何時しか音信がとだえ、父が定年になり両親とも故郷の鹿児島に帰ってしまい、帰省先が鹿児島になって八幡とは縁が切れてしまいました。あのまま八幡にいたらどうなっていましたかね。
本当に地元に残る人、九州へ帰る人様々でした。
今を大切に!
(
hobashira
)
2012-01-16 15:26:25
TOSHIHIROさんへ、
昭和40年代、八幡(製鐵)の運命を賭けた君津製鐵所の建設、
転勤は若い人が中心でしたが、独身・新婚なら、まあまあでしょうが、
家族持ち、特にお子さんが小中学生だと、大変でしたでしょうね。
もちろん子供本人も、それがTOSHIHIROさん。
もし、・・・・・だったら?
あまり考えない方がいいですよ。 今を大事に、大切に!!
君津は出張で、何回か行ったことがあります。
大和田団地でしたか、クラブがあるのは、そこで飲んだことも。
今の時期、一番吃驚したのは、富士山が目の前に見えたことです。
これには驚きました。
東京湾・三浦半島越しに見えるんですね。 それも大きく!!
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地元の神社に持って行きます
鶴の形は
宮崎が発祥だとか?
高天原かも?
「どんど焼き」って、私まだ実際に見たこと無いんですよ。
近所ではやってないし・・・
ここのどんど焼きは楽しそうですね!
餅焼きに興味津々♪
私も参加したかったなぁ~なんてね。
鶴の注連縄ってここら辺ではよく見かけますよね。
そうか~これって珍しいのですね。
地元から離れることがないもんだから、
これってどこでもあるのかと思いましたよ。
3日に岡湊神社に行った時 書いてあった
今年こそ行こうと思ったのに・・・・今日だった・・
忘れていました。
私はお札は神社やお寺に納めます。忘れても大丈夫 お寺さんが来られた時に お炊き上げお願いしますと言って預けます。
お飾りは ゴミに出すんですが別袋に入れてお塩をいれます。
玄関飾り これ珍しいんですか?
そういえばブログ友達の四国の方は違いますね。
そういえば津屋崎も違ったゾウ・・・・
hobashiraさん 中々更新されなかったから風邪かと思った 安心しました。
お飾り類を神社へ、結構、聞きます。
鶴の形の注連縄の発祥は宮崎ですか、
九州では、何処でも見かけるのだろうか?
年末の30、31日あたりに、しめ縄専門の出店が出ますね。
ここの近くでは、相生町です。
玄関用は、殆どがこの「鶴じめ」です。
他に、神社で飾る注連縄の小型版?がありました。
どんど焼き、見たこと無いですか、
和布刈神社あたりで、やっていそうな気がしますが?
この「どんど焼き」の残り火で焼いた餅を食べると、
その年は、病にかからないそうです。
(まぎれて、スルメやメザシも焼いていました。)
鶴の形の注連縄、ホント珍しいそうですよ。
ゆめ吉さんの遠くのブログ友に、聞いてみるのも面白いです。
わが町内でもどんど焼きをしています
かっぽ酒やぜんざいが振舞われますが
私は最近はしめ飾りをしないので行かなくてすみます
以前は行って燃やしていました
鶴といえば普通に見ていたような
一年中しめ飾りをしてる地域もありますね
こういう風習はなくならないでほしいものです
岡湊神社では、「どんど焼き」をやるんですね。
忘れてた。 それは残念でした。
玄関飾りの注連縄は、これが正統派だと思いますね。
最近は、洒落たのが出ていますが、・・・
はい、少々風邪気味です。
年寄りの何とかで、我慢をしていたが、
昨日から、力道山パンツを穿いています。
えっ、しめ飾りはしないんですか、
そう云えば、我が家でも、しない時もありました。
どんど焼きは、子供が喜ぶかと思ったら大人がですね。
一杯やりながら、新年の挨拶です。
鶴の形の注連縄は、北九州では普通なんですがね、
郷土歴史研究会?としては、
各地の(正月用)玄関の注連縄を調べるのも面白いテーマでは?
東京在住の50代の男性です。中学二年まで八幡に住んでおりました。それ以来八幡へは帰っていません。懐かしさのあまりにメールをしました。少年時代を八幡過ごした思い出は、今では心の財産となっています。
時々おじゃまさせて下さい。
注連飾りというか
お正月の玄関の飾りは
年神様をお迎えするためなのだから
神社の注連飾りが
全国的には一般的なのだと思いたいです
想像すれば
玄関飾りはやっぱり
鏡餅のような注連縄のような
めでたい意匠のものが年神様も喜ぶのかなぁと
どんど焼きは
八幡では何処でもするのだと
なんとなく思っていました
空き地があれば何処でも
今は防災意識が高いから
大きい公園じゃないと出来ませんね
しかし
この場所には
いろいろな方が集まってこられて
楽しいです
hobashiraさんが
豆に写真を撮られて
詳しい解説を載せる
お人柄が出ているのでしょうね
書かせていただいて
うれしいです
特集として調べて掲載したことがありました。
でもその由来、忘れちゃった。
その情報誌を探せばわかるけどまた今度にします。
門松は神様が降りてくる目標とかの記憶もあります。
お正月の飾り物はさすがにゴミ出しには出しませんよ。
これ以上バチがあたってはかないませんから。
近くの神社、当方は葛原八幡神社に持って行きます。
どんど焼きなどで焼いてくれるようです。
もう40年位、八幡には帰ってないんですか、
どの辺りに、お住まいだったか分りませんが、
すっかり変わってしまっていますよ。
私が感じるのは、人口は減っているのに、
やたらに?高い建物(ビル)が、多くなっています。
街も綺麗になっていますが、昔の様な活気はイマイチです。
この記事の、
お正月用の玄関の飾り、八幡では見かけたと思いますが、
関東では、この鶴の形をした注連縄はどうなんでしょう?
その土地・地方によって、正月用の注連縄も色々のようですね。
これを機会に、これからも宜しくお願いします。
そうですね。
玄関に飾る注連縄も、神社の注連縄の小型版が標準でしょうね。
それがどうして、ここでは鶴の形をした「鶴じめ」なのか?
まあ、この地方の伝統でしょうか。
「どんど焼き」も大変だと思いますよ。
北九州市では、市街地での焚き火は原則禁止されている様で、
消防の許可、周りの住民へのお願い(灰が飛んで洗濯物が干せない)等、
でも、続けて欲しいですね。
このブログのことですか?
稚拙で、文章的にも可笑しなところが多く、
(国語・作文は苦手でしたから、)恥ずかしい限りです。
皆さんのコメントは励みになります。
問題は、いつ更新するか(出来るか)、自分でも分らないです。
お正月の注連縄・門松・鏡餅、等など
受け継がれた伝統は、次の世代へ継承すべきものですね。
「門松は冥土の旅の一里塚、・・・」
段々と実感がこもってくる様な??
以前、社宅時代は、
お正月の飾り物は一般ゴミと一緒に、・・・。
それで、バチが当たって、今でも冴えないのかなぁ?
たまたまこちらのblogを見付けました。
毎年別所公園のどんど焼きに行ってるので嬉しくてコメントしました。
今年は自宅から音と消防車を見てました(笑)
地元情報たくさんなので,また遊びにきます~
コメントありがとうございます。私は西台良町に住んでいました(中学の頃は平野アパート)。笹尾橋(名前は知らなかったです)を少し下ったところです。私はS30年生、にったいさんのたちばな幼稚園→平野小学校→花尾中学校(2年まで)に通いました。前者2つはもうないですね。皿倉山、花尾城、にったいさん、河頭山等はまさに遊びの行動範囲でしたね。
注連縄はやはり独自のものだと思います。東京出身の妻に聞いても見た事がないと言っていました。
えっ、別所公園の近くの方ですか?
これは恐れ入りました。
私も、ほゞ毎年参加しています。
同じ区会と云いても、外れの方ですから、天候次第で?
今年初めて、消防の放水テスト?をしているところを見ました。
一応、配置だけと思ったら、用意万全なんですね。
まあ、大したことは書いていませんが、画像は豊富です。
これからも、宜しくお願いします。
私とは一回り違うようですが、私も平野小→花尾中です。
小3から20年以上、平野アパートにいました。
平野小の裏、西台良町、分ります。
去年、龍尾橋・笹尾橋と記事にしましたが、
名前なんか、分らなかったです。(後で調べました。)
子供の頃は、私も花尾城、にったいさん、河頭山には、
(友達との)少し遠出の遊び場でした。
その先の屋形船は、高速が通って無くなりましたが、
廻りの雰囲気は残っていますよ。
先輩でしたか!屋形船は花見の名所でしたね。八幡を離れる頃未だ工事していました。池をつぶすため水抜きをした時の事を覚えています。魚取り放題だったとか。数日遅れで駆けつけ、やっと大きな鯉一匹捕えましたが、持ち帰れませんでした(笑)。近くの小さな小川に透明なエビもいましたね。河頭山にいくつかあった洞穴、未だあるのでしょうか。よく蝋燭灯して探検しました。この洞穴と花尾城がどこかでつながっているという伝説が我々悪ガキの間にありました。
こちら神奈川では鶴のもの・・見かけないと思います!
屋形船の水抜きで(その後でも)、大きな鯉を、いい思い出ですね。
そんな企画があったとは、知らなかったです。
河頭山の洞穴、
小学生の頃に行ったことがあるが、あまり思い出せません。
機会があったら、行って見ます。
花尾城の抜け道? そんな噂も聞いたこともあります。
ご存知かもしれませんが、
河頭山の中央高校に面した斜面を造成して、団地になっています。
そうそう、西台良と言えば、桜の名所「東洋公園?」がありましたね。
今は無くなって、宅地になっていたのは知ってたんですが、
去年、龍尾橋・笹尾橋を見に行った時、あの辺りを歩きました。
斜面に、ぎっしりと住宅が、昔の面影は全然無かったです。
どんど焼きは、
1月15日の小正月に、やるのが一般的のようですね。
岡田宮の、「岡田宮ブログ~八咫烏の声~」見ました。
鶴の注連縄、「鶴じめ」ばかりで、高級な感じがします。
神奈川には有りませんか?
多分、九州だけのような気がします。
各地のお正月用の注連縄、
テレビで(特集で)、取り上げてくれたら面白いのだがなぁ!
うちの町内では、この土曜日に小学校の
運動場で「どんど焼き」をおこないます。
玄関飾りやら、いろんな神社から集まった
お札を持って行って燃やしてもらいます。
お餅もちょうどなくなったし、
少しずつ正月気分から抜け出さなくてはと
思っています。
東洋公園(字は解りませんが)は遊び場のひとつでした。家からすぐでした。桜の木でうっそうとしていてよく蝉取りをしたところです。木に登って毛虫に刺されました(笑)。井戸がありましたね。北側が開けて眺めが良くて確かすぐ下が平野小でしたかね。河頭山の宅地の場所は私がいた頃整地されていた記憶があります。北側に石切り場があってそこで水晶を見つけたことがあります。 八幡の変わり様に年月の流れを感じます。いろいろと教えていただいてありがとうございます。
どんど焼きは、小正月の15日にするのが正統らしいです。
古い習慣の伝承?の意味でも、続けて欲しいですね。
餅・お鏡は、
はったいごさんちは、(自分とこで)ついた餅でしょうね。
我が家は、スーパーで買っています。
雑煮用の小餅と、お鏡はプラスチックで真空パックです。
鏡開き?では、中から小餅がザックザック~です。
この餅、少々のことでは、カビも生えません。(大丈夫かなあ!?)
子供の頃、「とうようこうえん、とうようこうえん」、と言ってた。
そう云えば、どんな字だろう?
「東洋」ではチョット可笑しいような気もします。
小学生の頃、家族で2、3回 花見に行った記憶があります。
確か、個人の所有だったそうでね。
河頭山の石切り場の水晶、私も覚えています。
断崖絶壁の上を歩いて、恐かったなあ!
それで水晶は見つかったのか、そのへんが、はっきり思い出せない。
友達、数人集まれば少々危ない遊びでも、ってことかな。
想いは、いつまでも巡りますね。
八幡に居た時は、お餅は丸!と決まっていました。暮れになると餅をついてもらい木の箱に並べた丸餅と鏡餅を届けて貰っていた記憶があります。小学校高学年頃になるともう真空パック入りを買っていたのかな?いずれにしても形は丸!関東は四角が主流です。(ここに来ると八幡に住んでいる気分になれるのでついついお邪魔してしまいます。主人の勤務地がまた九州に戻る事を願ってやまない者です!)
正月のお餅は自分の家で作ります。
「作りますは変で、搗くでしょう?」
と思われるかも知れませんが、
電動でグリグリ捏ね回すので搗くとはいい難いのです。
父親が存命の頃は、石臼で私が搗いて、
父親が臼取りをするのが慣わしでしたが、
その石臼が倉庫の横で伏せられたまま眠っています。
屋外に竈を作って蒸篭で米を蒸し臼と杵で搗く。
もう一度やってみたいですね。
子どもたちもいい歳なんですが、
たぶん私が若い頃のように、
1斗の餅を一人で搗いたなんてことは
できないんだろうな。
で、今日お餅がなくなったので、
餅箱を洗いました。
箱の横に、購入日が父親の手で墨で書かれており、
昭和23年12月15日求とありました。
60年も前のもので気が遠くなるような昔です
丸餅は九州というより、関西より西で、東日本は角餅のようですね。
子供の頃、(社宅でも)ご近所さんが集まって、
臼と杵で餅つきをしていました。
木の箱、我が家にもあったのだが、・・・。
ご主人は転勤族?
希望が叶えるといいですね。 (故郷の山は呼んでますよ。)
やっぱり、電動餅つき機でついた餅でも、一家あげて?
後は、みんな(人手)で、子餅など丸めて、あん餅も作って、
出来立てを、大根おろしの酢醤油で食べるのも、乙なものですね。
餅箱、我が家にもあったのだが、
使わないので引越しで処分した様です。
昔の人は、ちゃんと日付・名前を書いていましたね。
餅つきも、今じゃ、お相撲さんの専売特許?
4~5段の蒸篭で蒸して、臼と杵で、
何年後かは、無形文化財に指定されているかも?
転勤族ほど頻繁ではないですが、僅かな望みにかけてます。父は(10年前に他界)私が
12才の時に八幡から君津に転勤になりました・・なので自分か就職した時はここぞとばかりに九州勤務を希望・・結婚後は福津市に、娘が生まれて(かなりの高齢出産)からは、皿倉山に雪が積もるとソリ遊びに連れて行ったり、筒井小、黒崎、山笠~色々連れて行き自分が一番楽しんでました。
関東に転勤になり7年、娘も4月から中学生
一緒に八幡に遊びに行けなくなりますが、
私は毎年故郷の空気を感じ、変わりゆく街並みを確かめに帰ります!
お正月は書初め大会で尾倉?大蔵?平野?
小学校へお邪魔したのを思い出しました。
どの学校だったか定かでないですが
私は若い頃は、都会に憧れていたが、ズルズル~っと、そのままです。
今となっては、それが良かったのかなあ!
昭和40年代、多くの人が君津に転勤で行っていますね。
私の友人もかなり居ます。
住めば都でしょうか、あちらで家も建てているので、戻る気配も無いです。
親戚が此方に居るようで、たまに、帰省で逢うこともありますが、
まあ、それぞれの人生でしょうね。
私も父が八幡製鉄で君津への転勤組です。大きな団地に住んでいました。同級生にも八幡出身者が何人もいて九州弁が飛び交っていましたよ。今でも大の悪友は黒崎出身です。君津には最初馴染めなかったですね。文通していた八幡の友人とも何時しか音信がとだえ、父が定年になり両親とも故郷の鹿児島に帰ってしまい、帰省先が鹿児島になって八幡とは縁が切れてしまいました。あのまま八幡にいたらどうなっていましたかね。
本当に地元に残る人、九州へ帰る人様々でした。
昭和40年代、八幡(製鐵)の運命を賭けた君津製鐵所の建設、
転勤は若い人が中心でしたが、独身・新婚なら、まあまあでしょうが、
家族持ち、特にお子さんが小中学生だと、大変でしたでしょうね。
もちろん子供本人も、それがTOSHIHIROさん。
もし、・・・・・だったら?
あまり考えない方がいいですよ。 今を大事に、大切に!!
君津は出張で、何回か行ったことがあります。
大和田団地でしたか、クラブがあるのは、そこで飲んだことも。
今の時期、一番吃驚したのは、富士山が目の前に見えたことです。
これには驚きました。
東京湾・三浦半島越しに見えるんですね。 それも大きく!!
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