コメント
馬上ゆたかな美少年
(
caramelpapa
)
2012-05-11 16:06:30
九州自動車道で
「田原坂」の看板を見る度で悩むのが
「馬上豊かな美少年」でした
いったい彼は
何が豊かだったのだろうと
「馬上豊か」って
言葉があるのですね
駅からだと・・・
(
momomama
)
2012-05-11 20:04:38
hobashiraさん こんばんは。
・・・吉岡の眼鏡橋は通らないんですか?
坂の手前なんだけど・・・残念だなぁ~
西南の役の史跡は色々ありますね。。
でも私 頂上だけしか 行っていません。。
こんなところがあるんだ~
ガイドもいないし・・・ 石橋を探しに行ってついでに登っただけでした。
ひとつひとつ自分の足で歩くと またその時間の経過がいいでしょうね。。。
そういえば
(
ひまわり
)
2012-05-11 21:37:34
こんばんは~
田原坂行ったことがありました
歩いたのではないですが・・・
熊本に研修に行き、その帰りのこの資料館に
寄ったこと思い出しました
その頃、今のように歴史に興味もあまりなく
よく覚えていない・・・・
色々と勉強すると興味も変わってきますね
お孫さんと頑張ったのですね
気を使ってお疲れになったのではないですか
田原坂
(
ゆめ吉
)
2012-05-11 22:22:01
こんばんは~!
田原坂は昔、車で通った記憶があります。
でも殆ど覚えていない状態・・・
日本史って苦手だったので、何も知らずに通ってた気がしますわぁ。
お孫さんと一緒に歩かれたのですね。
よく頑張りましたね!
「植木」と言えば「スイカ」ですよね。
ここの初生りスイカを頂いた事があります。
そりゃ~美味しかったですよ~♪
お孫さんとのウォーキングも大変だったでしょうけど
良い思い出になったのでは!
馬上豊かな美少年はイケメン?
(
hobashira
)
2012-05-11 22:43:09
caramelpapaさんへ、今晩は!
『馬上ゆたかな美少年』の、『馬上豊かな』ですか?
何となく分っているのだが、・・・・
この美少年像は、いつ頃の作なんですかね?
モデルは、色々と言われているようだから、
「田原坂の戦いで散った若者たちすべての象徴である」
の文に、なったのかも知れないです。
実際に見たら、特に今風のイケメンとは思わなかった。
機会があったらもう一度、
(
hobashira
)
2012-05-11 22:50:13
momomamaさんへ、今晩は!
「吉岡の眼鏡橋」?、「豊岡の眼鏡橋」じゃないですか?
momomamaさんのブログで「田原坂」で検索しました。
まだ未熟な若輩ですから、
豊岡の眼鏡橋が、どの辺にあるのか?サッパリです。
と言うより、最初から石橋のことは頭になかった。
頂上とは、「田原坂公園」のことですね。
薩軍・官軍の墓地は、
植木に抜ける大きな道路に標識がありました。
今回は時間が気になって、資料館に入ってないし、
機会があったらもう一度、「豊岡の眼鏡橋」を含めて、
ゆっくり廻りたいですね。
次回は是非資料館へ、
(
hobashira
)
2012-05-11 22:56:37
ひまわりさんへ、今晩は!
若い頃?、資料館に入ったんですね。
本当は入りたかったが、
スイカの試食が1時からで、
公園内のスタンプラリーをやるは、
(出)店が出ていて、見て廻るは、
玉名温泉の足湯サービスが、それは止めとけ!
で結局、時間がなく入れなかったです。
孫は小5と小3ですから、手がかからない?
やっぱり気を使いますね。
ウロウロするから、チョット見えなくなったらオロオロです。
今のスイカは高級品です。
(
hobashira
)
2012-05-11 23:12:25
ゆめ吉さんへ、今晩は!
田原坂はテレビ(KBC)で良くやって(紹介)ました。
実際、行って見ると、どんな内容だったか、
ケロッと忘れていた。 (歳だなあ!?)
「植木」と言えば「スイカ」で有名なんですね。
実は知らなかったです。
「すいか祭り」?、へぇ~でした。
試食は美味しかったですよ。
即売もしていたが、チョット高いです。
でも結構、売れていました。(商売だからなあ!
孫のウォーキングの感想?
聞いてないです。
田原坂
(
TOSHIHIRO
)
2012-05-12 12:39:33
こんにちは。
昔読んだ、司馬遼太郎著「翔ぶが如く」を思い出します。田原坂は歴史好きとしては一度訪れてみたいところです。
実はこの連休、鹿児島の入院中の母の具合が急に悪くなり、帰省して来ました。幸い持ち直しましたので帰りに八幡に寄ろうと思いましたが、果たせませんでした(残念)。
当時の電信技術は?
(
hobashira
)
2012-05-12 18:52:17
TOSHIHIROさんへ、今晩は!
歴史が好きなんですね。
それなら是非、田原坂は必見です。
その時は是非、資料館にも、
当時使用された銃器類や戦況を伝える電文、錦絵、
西南戦争当時の写真なども展示しているそうです。
官軍は電信で、情報交換や伝達をやってたんですね。
これだけでも勝負あったり!?
お母様、心配でしたね。
八幡は逃げませんから、又の機会にゆっくりと!
くまモン~^o^*♪
(
coco
)
2012-05-13 13:31:20
hobashiraさん
こんにちは!
田原坂・・たばるざか って読むんですねえ
西南戦争って何だ
私はそこからお勉強です~
検索して知りましたが映画「ラストサムライ」
戦いのシーンは田原坂の戦いがモデルになったとか
大人気のくまモン
先日 熊本出身の人にくまモンを知ってるよ
って言ったら会話が弾みましたよ(笑)
滋賀県彦根市の ひこにゃん
人気を抜かす勢いだなあ
おいしいスイカも頂いて
お孫さんとのGWウオーキング 楽しいひと時でしたね!
原は「はる」or「ばる」
(
hobashira
)
2012-05-13 19:41:06
cocoさんへ、今晩は!
九州の地名で『原』は、『はる』又は『ばる』
と読む場合が多いです。
原田(はるだ)、中原(なかばる)、長者原(ちょうじゃばる)、
新田原(しんでんばる)これは福岡県で、
宮崎の自衛隊基地のある新田原(基地)は
【ニュータバル】と読むらしいです。
「くまモン」は人気がありますね。
熊本県出身の人と話が弾んだのも、このブログのお蔭?
最後から2番目の写真は、
くたびれたゴール直前のお二人さんです。
はいはい、こちらもくたびれれました。
田原坂と植木のすいか
(
八幡の子
)
2012-05-15 09:08:13
hobashira様、こんにちは!
天草にいる母に会いに行く時、九州自動車道で田原坂通過してましたが降りたことはなく、公園や墓地がこんなに綺麗に整備されていると、古い歴史の教科書のイメージとかなり違いますね!
熊本といえば植木のすいか! 美味しいですよね~ この時季、こちら関東でも「植木のすいか」と名札つけられ店頭にならんでますよ!
田原坂
(
春休みのデッサン室
)
2012-05-15 13:36:48
素敵なおじいちゃんをされたのですね。
その様子を想うとこちらまで心ほっこりします。
くまモンにも会えてラッキーだったですね。
ボクも会いたいものです。
田原坂の歌、話はボクもよく知っています。
小学生の頃だったか、その頃に知りました。
子供心にも勇猛な少年剣士の姿を思いえがき
その悲劇的な生き様にも心をよせました。
散り急ぐ姿がなんとも日本人の心をうちますね。
とくに
「右手に血刀、左手に手綱、馬上ゆたかな美少年」の
一節は大変心に染み入りました。
特攻隊にも共通の戻れない道に一途に進んで行く姿は
ひとつの信念を真っすぐ信じて進む姿は
ことの善し悪しは別として
誰しもの心に馬上ゆたかな美少年として写るでしょうね。
こういう歴史を見るたびに今の時代にい来るボクたちは
「これでいいのか」、と問われているような思いになります。
ある意味、時代の犠牲であったかもしれない若者たちに報えるよう、
ボクはしっかり精一杯行きて行かねばと思います。
田原坂の歴史
(
hobashira
)
2012-05-15 19:42:05
八幡の子さんへ、今晩は!
田原坂に行ったのは、初めてでした。
ホント歴史を感じますよ。
田原坂公園の「西南の役戦没者慰霊之碑」には、
一人一人の名前が、出身地別に刻まれています。
薩軍、官軍の墓地もビックリです。
荒れ果てた「つわ者どもの夢の跡」なんかを想像していましたが、
近代日本建設のためには、無駄な戦いでは無かったかも知れない。
「植木のすいか」は有名なんですね。
恥ずかしながら、高級品には縁が無いもんで。
「すいか」と云えば、若松有毛かな!?
文明開化のスピード
(
hobashira
)
2012-05-15 20:14:05
春休みのデッサン室さんへ、今晩は!
明治10年、文明開化のスピードは凄いですね。
確か陸蒸気は、神戸あたりまで開通していた。(違うかも?)
官軍は汽車で神戸へ、そこから軍艦で九州へと。
政府(東京)との連絡や指示は電信(電報)を使っていた。
軍内の連絡も、トン・ツーですから、薩軍は勝てる訳がない。
田原坂公園の整備は、西郷さんの人気?も影響しているのでは?
立場は違っても、国を想う気持ちは同じだったと思う。
ただ、官軍の戦没者は靖国神社に祀られています。
薩軍は西郷さんをはじめ、一人も祀られていません。
靖国神社は、今は国とは関係ないのだから、
もっと大きな心を持てないのかなあ?
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九州自動車道で
「田原坂」の看板を見る度で悩むのが
「馬上豊かな美少年」でした
いったい彼は
何が豊かだったのだろうと
「馬上豊か」って
言葉があるのですね
・・・吉岡の眼鏡橋は通らないんですか?
坂の手前なんだけど・・・残念だなぁ~
西南の役の史跡は色々ありますね。。
でも私 頂上だけしか 行っていません。。
こんなところがあるんだ~
ガイドもいないし・・・ 石橋を探しに行ってついでに登っただけでした。
ひとつひとつ自分の足で歩くと またその時間の経過がいいでしょうね。。。
田原坂行ったことがありました
歩いたのではないですが・・・
熊本に研修に行き、その帰りのこの資料館に
寄ったこと思い出しました
その頃、今のように歴史に興味もあまりなく
よく覚えていない・・・・
色々と勉強すると興味も変わってきますね
お孫さんと頑張ったのですね
気を使ってお疲れになったのではないですか
田原坂は昔、車で通った記憶があります。
でも殆ど覚えていない状態・・・
日本史って苦手だったので、何も知らずに通ってた気がしますわぁ。
お孫さんと一緒に歩かれたのですね。
よく頑張りましたね!
「植木」と言えば「スイカ」ですよね。
ここの初生りスイカを頂いた事があります。
そりゃ~美味しかったですよ~♪
お孫さんとのウォーキングも大変だったでしょうけど
良い思い出になったのでは!
『馬上ゆたかな美少年』の、『馬上豊かな』ですか?
何となく分っているのだが、・・・・
この美少年像は、いつ頃の作なんですかね?
モデルは、色々と言われているようだから、
「田原坂の戦いで散った若者たちすべての象徴である」
の文に、なったのかも知れないです。
実際に見たら、特に今風のイケメンとは思わなかった。
「吉岡の眼鏡橋」?、「豊岡の眼鏡橋」じゃないですか?
momomamaさんのブログで「田原坂」で検索しました。
まだ未熟な若輩ですから、
豊岡の眼鏡橋が、どの辺にあるのか?サッパリです。
と言うより、最初から石橋のことは頭になかった。
頂上とは、「田原坂公園」のことですね。
薩軍・官軍の墓地は、
植木に抜ける大きな道路に標識がありました。
今回は時間が気になって、資料館に入ってないし、
機会があったらもう一度、「豊岡の眼鏡橋」を含めて、
ゆっくり廻りたいですね。
若い頃?、資料館に入ったんですね。
本当は入りたかったが、
スイカの試食が1時からで、
公園内のスタンプラリーをやるは、
(出)店が出ていて、見て廻るは、
玉名温泉の足湯サービスが、それは止めとけ!
で結局、時間がなく入れなかったです。
孫は小5と小3ですから、手がかからない?
やっぱり気を使いますね。
ウロウロするから、チョット見えなくなったらオロオロです。
田原坂はテレビ(KBC)で良くやって(紹介)ました。
実際、行って見ると、どんな内容だったか、
ケロッと忘れていた。 (歳だなあ!?)
「植木」と言えば「スイカ」で有名なんですね。
実は知らなかったです。
「すいか祭り」?、へぇ~でした。
試食は美味しかったですよ。
即売もしていたが、チョット高いです。
でも結構、売れていました。(商売だからなあ!
孫のウォーキングの感想?
聞いてないです。
昔読んだ、司馬遼太郎著「翔ぶが如く」を思い出します。田原坂は歴史好きとしては一度訪れてみたいところです。
実はこの連休、鹿児島の入院中の母の具合が急に悪くなり、帰省して来ました。幸い持ち直しましたので帰りに八幡に寄ろうと思いましたが、果たせませんでした(残念)。
歴史が好きなんですね。
それなら是非、田原坂は必見です。
その時は是非、資料館にも、
当時使用された銃器類や戦況を伝える電文、錦絵、
西南戦争当時の写真なども展示しているそうです。
官軍は電信で、情報交換や伝達をやってたんですね。
これだけでも勝負あったり!?
お母様、心配でしたね。
八幡は逃げませんから、又の機会にゆっくりと!
田原坂・・たばるざか って読むんですねえ
西南戦争って何だ
私はそこからお勉強です~
検索して知りましたが映画「ラストサムライ」
戦いのシーンは田原坂の戦いがモデルになったとか
大人気のくまモン
先日 熊本出身の人にくまモンを知ってるよ
って言ったら会話が弾みましたよ(笑)
滋賀県彦根市の ひこにゃん人気を抜かす勢いだなあ
おいしいスイカも頂いて
お孫さんとのGWウオーキング 楽しいひと時でしたね!
九州の地名で『原』は、『はる』又は『ばる』
と読む場合が多いです。
原田(はるだ)、中原(なかばる)、長者原(ちょうじゃばる)、
新田原(しんでんばる)これは福岡県で、
宮崎の自衛隊基地のある新田原(基地)は
【ニュータバル】と読むらしいです。
「くまモン」は人気がありますね。
熊本県出身の人と話が弾んだのも、このブログのお蔭?
最後から2番目の写真は、
くたびれたゴール直前のお二人さんです。
はいはい、こちらもくたびれれました。
天草にいる母に会いに行く時、九州自動車道で田原坂通過してましたが降りたことはなく、公園や墓地がこんなに綺麗に整備されていると、古い歴史の教科書のイメージとかなり違いますね!
熊本といえば植木のすいか! 美味しいですよね~ この時季、こちら関東でも「植木のすいか」と名札つけられ店頭にならんでますよ!
その様子を想うとこちらまで心ほっこりします。
くまモンにも会えてラッキーだったですね。
ボクも会いたいものです。
田原坂の歌、話はボクもよく知っています。
小学生の頃だったか、その頃に知りました。
子供心にも勇猛な少年剣士の姿を思いえがき
その悲劇的な生き様にも心をよせました。
散り急ぐ姿がなんとも日本人の心をうちますね。
とくに
「右手に血刀、左手に手綱、馬上ゆたかな美少年」の
一節は大変心に染み入りました。
特攻隊にも共通の戻れない道に一途に進んで行く姿は
ひとつの信念を真っすぐ信じて進む姿は
ことの善し悪しは別として
誰しもの心に馬上ゆたかな美少年として写るでしょうね。
こういう歴史を見るたびに今の時代にい来るボクたちは
「これでいいのか」、と問われているような思いになります。
ある意味、時代の犠牲であったかもしれない若者たちに報えるよう、
ボクはしっかり精一杯行きて行かねばと思います。
田原坂に行ったのは、初めてでした。
ホント歴史を感じますよ。
田原坂公園の「西南の役戦没者慰霊之碑」には、
一人一人の名前が、出身地別に刻まれています。
薩軍、官軍の墓地もビックリです。
荒れ果てた「つわ者どもの夢の跡」なんかを想像していましたが、
近代日本建設のためには、無駄な戦いでは無かったかも知れない。
「植木のすいか」は有名なんですね。
恥ずかしながら、高級品には縁が無いもんで。
「すいか」と云えば、若松有毛かな!?
明治10年、文明開化のスピードは凄いですね。
確か陸蒸気は、神戸あたりまで開通していた。(違うかも?)
官軍は汽車で神戸へ、そこから軍艦で九州へと。
政府(東京)との連絡や指示は電信(電報)を使っていた。
軍内の連絡も、トン・ツーですから、薩軍は勝てる訳がない。
田原坂公園の整備は、西郷さんの人気?も影響しているのでは?
立場は違っても、国を想う気持ちは同じだったと思う。
ただ、官軍の戦没者は靖国神社に祀られています。
薩軍は西郷さんをはじめ、一人も祀られていません。
靖国神社は、今は国とは関係ないのだから、
もっと大きな心を持てないのかなあ?
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