コメント
佐木隆三さん
(
momomama
)
2017-04-04 19:46:09
こんばんは~
たしか門司港レトロの 高ーーいタワー マンションに住まわれてましたよネ。
私もテレビで観たことあります。
岩下俊作さん 懐かしい・・・
私の成人式の記念講演 岩下俊作さんだったんですよ。
高炉台公園 今日は多かったでしょうね。。
私ぎっくり腰で 自宅謹慎
しています。
文学碑
(
yume
)
2017-04-04 20:19:31
hobashiraさん、こんばんは~♪
佐木隆三さん、一度だけ街を歩いてる姿を見た事あります。
当時はほんと門司港に住んでいらっしゃいましたね。
文学碑の前に段ボール置いてるなんて・・・
しっかりどかして撮影されてるって凄いな!
私だったら気が弱いから、仕方なくそのまま撮影してたかも・・・
信号機の話ですが、八幡が福岡県内で2番目なんですね!
知らなかったです!
お勉強になりました!
「復讐するは我にあり」
(
caramelpapa
)
2017-04-04 22:11:46
映画化の際は
別の話題が
クローズアップされましたね
主人公は榎津巌
けれど
映画の中では
榎津厳
画面上に
いっぱい出てくる
どうにも「いわお」とは読めません
なのに「いわお」と呼ばれている
なんてちゃらんぽらん
中央区の交通信号機
前薗先生の十八番
中央区の話の際は
絶対出てきますね
大都会
(
向日葵
)
2017-04-05 00:31:54
こんばんは~
佐木隆三さんって門司に住まわれていたのですね
碑の前に置かれたダンボール
お花見客のものですかね
TVで花見客のマナーが悪すぎるって言っていました
八幡は大都会だったんだぁ~~
私がいた頃は活気にあふれていました
おーレインボープラザはまだあるんですかね
私はそこで結婚式を挙げました
懐かしいなぁ~~知り合った場所がそこだったからという
単純な理由ですが(笑)
春休みが終わって町が静かになったら写真展を見にいこうと思っているんです
ふと 思い出す
(
caramelpapa
)
2017-04-05 06:47:47
中央区の信号
ここから
大蔵抜けて の
旧国道3号
電車道
交通地獄なんて
言われた頃だと思いますが
北九州一番の交通量だったそうですね
そのため
戸畑バイパスが急遽
造られたとか
momomamaさんへ、
(
hobashira
)
2017-04-05 13:34:48
こんにちは~!
佐木隆三さんが北九州に帰ってきた時は、
レトロ展望室のあるマンションに住んでいましたね。
その後、門司港の山手、山の奥?に引っ越しています。
momomamaさんの成人式の時に、
岩下俊作が記念講演を。それは印象に残りますね。
私の時は? 全然記憶に無いです。
ぎっくり腰ですか?
それは辛いですね。
自宅謹慎?しとけば、・・・。お大事に!
yumeさんへ、
(
hobashira
)
2017-04-05 13:45:48
こんにちは~!
レトロで、佐木さんを見かけたことがあるんですね。
週刊誌か新聞で読んだが、
「還暦過ぎたら、故郷に帰って作家生活をしたい。」
と言ってましたが、八幡でなく門司港だった。
作家活動・執筆には環境がいいんでしょうね。
文学碑の前に段ボールですからね。
中は空っぽだったから、そーっとネ。
でも、また元に戻した。
信号機の話は、意外や意外ですね。
小倉や門司より先だったとは?(ゴメン!)
caramelpapaさんへ、
(
hobashira
)
2017-04-05 14:08:26
こんにちは~!
主人公は榎津巌、映画の字幕?は榎津厳、
「巌」と「厳」の違い、よく観察してますね。
それよりも、緒形拳の演技がよかった。
中央町の信号機の話は、
郷土史?関係者には、常識なんですね。
私が知ったのは、つい最近。友人のブログかFBです。
信号は旧国道3号・電車通りですから、
その後すぐに、小倉とかが続いたのでは?
戸畑バイパスもだけど、
その前に、先を読んで、復興道路でしょうね。
向日葵さんへ、
(
hobashira
)
2017-04-05 14:34:13
こんにちは~!
佐木隆三さんは、中学、高校、そして作家として、
東京へ出るまで、八幡に住んでいました。
帰ってきたら、八幡じゃなくて門司港だった。
えっ! レインボーブラザーで知り合って、
レインボーブラザーで結婚式を。
いえいえ、単純じゃないですよ。
そこには、深い深い思い出がある。
ロマンチックの先端を行くじゃないですか。
レインボーブラザーが建つ前は公園だった。
起業祭では舞台が出来て、賑わっていましたよ。
(場所が一等地だから。)
写真展の帰りに、寄ってみては。
レインボープラザ
(
caramelpapa
)
2017-04-05 19:01:22
あの場所って
公共空地
みたいな場所だったようですね
戸畑市役所も
若松市役所も
すぐ近くに
広場があったようですね
やっぱり
行事等に
皆が集められる場所が
役所傍に
必要だったのでしょうね
caramelpapaさんへ、
(
hobashira
)
2017-04-05 21:40:07
今晩は~!
そうですね。 横の道を挟んで、
八幡市役所(現、八幡東区役所)ですから。
舞台・ステージはコンクリート製の常設でした。
私の記憶では、起業祭のメインステージですね。
それと、昭和30年代の初め、
NHKの街頭テレビが設置されていました。
まだ、一般の家庭には、ほど遠い存在でしたから。
何回か、観たことあります。
Unknown
(
ぼくちゃん
)
2017-04-06 15:00:47
高炉台公園には何度か行きましたが、見た事がなかったです。今度行って見ます。 信号機見に行かれましたね。北九州もまだまだ探せばいろんな物が出て来るかもね。今度は何を探しますか?
ぼくちゃんさんへ、
(
hobashira
)
2017-04-06 20:48:59
今晩は~!
佐木隆三・岩下俊作文学碑がある所は、
すり鉢状のステージがある北側の端です。
写真で分かるように、八幡東体育館が見えます。
信号機は何か昔の物が、名残が、残っていれば・・・。
今度は何を? お任せます。
そうそう、筑前と豊前の国境に近い櫓山荘公園(櫓山荘跡)
夏に行ってみますよ。
無法松
(
TOSHIHIRO
)
2017-04-08 10:59:15
こんにちは。
すっかり春めいてきましたね。こちらは時折強風が吹くことがあって困ったものです。家のそばの桃の花が今満開です。白とピンクのまるで雪のようです。
佐木隆三さん、数年前門司の別荘でテレビの取材を受けていましたね。師匠より小さいお墓、昔かたぎの人は律儀ですね。
「小倉生まれの玄海育ち」典型的九州男児『無法松の一生』、原作者については知識がなかったです。有名な方だったのですね。
戦前の坂妻主演、稲垣浩監督版の映画が印象に残っています。この映画色々と話題が多くてヒロインの園井恵子さんは、このあと移動演劇隊に加わり広島で原爆に遭い被爆して死去。その子ども役は長門裕之さんでしたね。
訂正
(
TOSIHIRO
)
2017-04-08 11:03:17
お墓ではなかったですね。文学碑でした。失礼致しました(汗)。
TOSHIHIROさんへ
(
hobashira
)
2017-04-08 19:51:06
今晩は~!
岩下俊作さんは小倉の人ですが、
八幡製鉄所に(確か)年満まで勤務されています。
だから、佐木隆三さんの大先輩です。
いろいろお世話になったんだと思います。
「岩下さんの碑より、低く小さく、
存在感を半分にして欲しい」
佐木さんらしい言葉です。 花尾中学の同窓会で、
佐木さんの講演を聴いたことがありますから。
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たしか門司港レトロの 高ーーいタワー マンションに住まわれてましたよネ。
私もテレビで観たことあります。
岩下俊作さん 懐かしい・・・
私の成人式の記念講演 岩下俊作さんだったんですよ。
高炉台公園 今日は多かったでしょうね。。
私ぎっくり腰で 自宅謹慎しています。
佐木隆三さん、一度だけ街を歩いてる姿を見た事あります。
当時はほんと門司港に住んでいらっしゃいましたね。
文学碑の前に段ボール置いてるなんて・・・
しっかりどかして撮影されてるって凄いな!
私だったら気が弱いから、仕方なくそのまま撮影してたかも・・・
信号機の話ですが、八幡が福岡県内で2番目なんですね!
知らなかったです!
お勉強になりました!
映画化の際は
別の話題が
クローズアップされましたね
主人公は榎津巌
けれど
映画の中では
榎津厳
画面上に
いっぱい出てくる
どうにも「いわお」とは読めません
なのに「いわお」と呼ばれている
なんてちゃらんぽらん
中央区の交通信号機
前薗先生の十八番
中央区の話の際は
絶対出てきますね
佐木隆三さんって門司に住まわれていたのですね
碑の前に置かれたダンボール
お花見客のものですかね
TVで花見客のマナーが悪すぎるって言っていました
八幡は大都会だったんだぁ~~
私がいた頃は活気にあふれていました
おーレインボープラザはまだあるんですかね
私はそこで結婚式を挙げました
懐かしいなぁ~~知り合った場所がそこだったからという
単純な理由ですが(笑)
春休みが終わって町が静かになったら写真展を見にいこうと思っているんです
ここから
大蔵抜けて の
旧国道3号
電車道
交通地獄なんて
言われた頃だと思いますが
北九州一番の交通量だったそうですね
そのため
戸畑バイパスが急遽
造られたとか
佐木隆三さんが北九州に帰ってきた時は、
レトロ展望室のあるマンションに住んでいましたね。
その後、門司港の山手、山の奥?に引っ越しています。
momomamaさんの成人式の時に、
岩下俊作が記念講演を。それは印象に残りますね。
私の時は? 全然記憶に無いです。
ぎっくり腰ですか? それは辛いですね。
自宅謹慎?しとけば、・・・。お大事に!
レトロで、佐木さんを見かけたことがあるんですね。
週刊誌か新聞で読んだが、
「還暦過ぎたら、故郷に帰って作家生活をしたい。」
と言ってましたが、八幡でなく門司港だった。
作家活動・執筆には環境がいいんでしょうね。
文学碑の前に段ボールですからね。
中は空っぽだったから、そーっとネ。
でも、また元に戻した。
信号機の話は、意外や意外ですね。
小倉や門司より先だったとは?(ゴメン!)
主人公は榎津巌、映画の字幕?は榎津厳、
「巌」と「厳」の違い、よく観察してますね。
それよりも、緒形拳の演技がよかった。
中央町の信号機の話は、
郷土史?関係者には、常識なんですね。
私が知ったのは、つい最近。友人のブログかFBです。
信号は旧国道3号・電車通りですから、
その後すぐに、小倉とかが続いたのでは?
戸畑バイパスもだけど、
その前に、先を読んで、復興道路でしょうね。
佐木隆三さんは、中学、高校、そして作家として、
東京へ出るまで、八幡に住んでいました。
帰ってきたら、八幡じゃなくて門司港だった。
えっ! レインボーブラザーで知り合って、
レインボーブラザーで結婚式を。
いえいえ、単純じゃないですよ。
そこには、深い深い思い出がある。
ロマンチックの先端を行くじゃないですか。
レインボーブラザーが建つ前は公園だった。
起業祭では舞台が出来て、賑わっていましたよ。
(場所が一等地だから。)
写真展の帰りに、寄ってみては。
公共空地
みたいな場所だったようですね
戸畑市役所も
若松市役所も
すぐ近くに
広場があったようですね
やっぱり
行事等に
皆が集められる場所が
役所傍に
必要だったのでしょうね
そうですね。 横の道を挟んで、
八幡市役所(現、八幡東区役所)ですから。
舞台・ステージはコンクリート製の常設でした。
私の記憶では、起業祭のメインステージですね。
それと、昭和30年代の初め、
NHKの街頭テレビが設置されていました。
まだ、一般の家庭には、ほど遠い存在でしたから。
何回か、観たことあります。
佐木隆三・岩下俊作文学碑がある所は、
すり鉢状のステージがある北側の端です。
写真で分かるように、八幡東体育館が見えます。
信号機は何か昔の物が、名残が、残っていれば・・・。
今度は何を? お任せます。
そうそう、筑前と豊前の国境に近い櫓山荘公園(櫓山荘跡)
夏に行ってみますよ。
すっかり春めいてきましたね。こちらは時折強風が吹くことがあって困ったものです。家のそばの桃の花が今満開です。白とピンクのまるで雪のようです。
佐木隆三さん、数年前門司の別荘でテレビの取材を受けていましたね。師匠より小さいお墓、昔かたぎの人は律儀ですね。
「小倉生まれの玄海育ち」典型的九州男児『無法松の一生』、原作者については知識がなかったです。有名な方だったのですね。
戦前の坂妻主演、稲垣浩監督版の映画が印象に残っています。この映画色々と話題が多くてヒロインの園井恵子さんは、このあと移動演劇隊に加わり広島で原爆に遭い被爆して死去。その子ども役は長門裕之さんでしたね。
お墓ではなかったですね。文学碑でした。失礼致しました(汗)。
岩下俊作さんは小倉の人ですが、
八幡製鉄所に(確か)年満まで勤務されています。
だから、佐木隆三さんの大先輩です。
いろいろお世話になったんだと思います。
「岩下さんの碑より、低く小さく、
存在感を半分にして欲しい」
佐木さんらしい言葉です。 花尾中学の同窓会で、
佐木さんの講演を聴いたことがありますから。
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