コメント
たつの城かと・・・
(
momomama
)
2011-10-05 16:24:02
hobashiraさん こんにちは。
楽しみにしてましたよ。。
石橋ファンになって下さって嬉しいな
また見つけてくださいね、
たつのお橋は行きましたよ。
「越」が読めなくて城かと思った・・・・
http://blog.goo.ne.jp/momo606_2005/d/20070311
よかったです・・・ありがとうございます。
笹尾橋は知りませんでした。
川の石かなぁ~ 今度行ってみます。。
遠回りした通学路でした。
(
hobashira
)
2011-10-05 17:42:38
momomamaさんへ、今晩は!
ご存知だった。 さすが~ですね。
クリックで拡大して見れば、分るように、
横の木の枝と、橋に草や蔦が多くて、撮るのに苦労しました。
momomamaさんは4年前ですか、きれいに撮れてますね。
笹尾橋は、ホント小さい橋です。
この道は高校の時、わざわざ遠回りして通った通学路でした。
地図をリンクしましたので参考にして下さい。
(橋の名は、私が入れました。)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/48/00d052dc3579b01cd51d04a968c59f31.jpg
花尾町バス停あたり
(
natukasii
)
2011-10-06 16:30:08
懐かしい風景をありがとうございます。
当時は当たり前に何気なく通った橋も、
歴史遺産並みとなって驚きです。
あらためて月日の流れを感じます。
橋から平野川沿いに登ったところに、
グミ園がありました。
当時はあんなものも果物でした。
龍尾橋の由来を想像すれば、
龍潜寺の龍の尾からでしょうか
いつも、故郷に帰った気分にさせて頂いて、
ありがとうございます。
変体かな
(
natukasii
)
2011-10-06 18:27:20
「お」の変体かなは、「於」と「越」。
「於」はくずして、ひらがな「お」となる。
例えば、「あ」の変体かなは「安」と「阿」。
つまり、「たつの越はし」は「たつのおはし」。
無理やり読ませたのではなくて昔の人は、
普通に読んだのでしょう。
これも、歴史を感じます。
アーチ式石橋
(
ゆめ吉
)
2011-10-06 18:55:54
こんばんは~♪
私だったらアーチの橋があるって気がつかないで
通り過ぎてると思うわ。
下から覗いて見ないと分からないもんですね。
さすが~hobashiraさん!
そこに住んでる方も知らない人って多いかも・・・
これって凄い技術ですよね。
門司にはこんなアーチ式の石橋ってないような・・・
紹介して下さってありがとうございます。
変体仮名
(
hobashira
)
2011-10-06 22:20:08
natukasiiさんへ、今晩は!
私はこの平野川伝いで、皿倉山に何回か登ったことがあります。
野営訓練所(現、ふれあいの家)のチョット先の登山道に出ます。
と言うことは、そのグミ園も見てるのかなあ?(記憶に無いです。)
「越」の解説、有難うございます。
調べたら、【を】の変体仮名(へんたいがな)は乎と越になっていました。
しかも、【越】は親柱に刻まれた書体が主で、越はカッコで括られていた。
ホント、昔の人は、すらすら~と読めたんでしょうね。
古い橋に憧れて、
(
hobashira
)
2011-10-06 22:31:55
ゆめ吉さんへ、今晩は!
コメント有難うございます。
この橋のことは、「市政だより」で知ったのであって、
知らなかったです。(子供の頃に見てるんだが?)
道路と橋との境目が無いから、
車で通っても、橋があることなんか気付かないですね。
昭和5年、1930年代は世界大恐慌の時代、北九州でも失業者が溢れ、
この道路・橋は、失業対策事業だったらしいです。
少し歴史の勉強になりました。
橋のアーチ
(
ひまわり
)
2011-10-07 22:25:14
こんばんは~
再起動おめでとうございます
同じ八幡に住んでいても知らないことだらけです
龍尾橋って言うのですね
一つ物知りになりました
昔の人はすらすらかけて読めたんですよ
今古文書を習って1年半まだまだすらすらは読めませんが
慣れ親しんではきました
私も八幡生まれですが、最近はここ宗像のほうが詳しくなっちゃいました
人生って不思議なものですね
数年前
(
caramelpapa
)
2011-10-08 13:25:15
どこかの頁で話題に上がっていて
確認に行きました
屋形船から大谷に抜ける道ですよね
失業対策事業とは知りませんでした
思い出せば八幡って
失業対策事業と言われるプレハブが
昭和五十年代まで
いろんな所に建っていたような?
確実に思い出せるのは
二カ所だから
気のせいかな?
温故知新
(
hobashira
)
2011-10-08 23:01:32
ひまわりさんへ、今晩は! 又、宜しくお願いします。
この山手線道路は子供の頃、良く遊んだ道です。
みんなで、ワイワイガヤガヤ、
本当は八幡のことは、そんなに詳しくないが、
知ってる所の再発見は嬉しいです。
宗像は歴史のある町ですから、歴史愛好会も遣り甲斐がありますね。
ひまわりさんなら、
この橋に刻まれた字はスラスラ~と読めたことでしょう?
古文の【お】と【を】の使い分けが良く分りません。
「都をどり」って書きますね。
今は無き、地名だけの屋形船
(
hobashira
)
2011-10-08 23:11:20
caramelpapaさんへ、今晩は!
八幡は製鐵所の城下町、景気の良い時はいいが、
不景気で生産を落とすと、社員はあまり影響ないが、
下請け・関連企業はガックンときますからね。
この山手線道路が出来て、屋形船も出来たんでしょうね。
古いき良き時代の八幡の奥座敷?
歴史的仮名遣
(
natukasii
)
2011-10-11 18:42:51
hobashiraさん、こんばんは。
明治になってから、仮名の使用法を統一するため、
文明開化に逆行?して、万葉仮名に戻しました。
平安時代以降混乱して使用されていた仮名を、
学校教育の必要性から統一しました。
歴史的仮名遣の理念は「語に従う」。
「愛」も「藍」も「相」も、その音はどれもアイで、
そのイの音は全く同じだが「愛」は「あい」と書き、
「藍」は「あゐ」・「相」は「あひ」と書きました。
「愛」の意味のアイか、「藍」の意味のアイか、
「相」の意味のアイにより「語に従い」使い分けた。
仮名遣は、單なる音を仮名で書く場合のきまりでなく、
語を仮名で書く場合のきまりであるとしました。
歴史的仮名遣では、
「尾」は「を」、「踊る」は「をどる」。
通信表では、「ヲ」は「尾張のヲ」と言います。
ちなみに、「都をどり」は明治維新になってから、
天皇が東京に行って町が寂れるの恐れて、
景気付けに始めた行事。
有難うございました
(
hobashira
)
2011-10-12 00:08:32
natukasiiさんへ、今晩は!
これは又、貴重な見識を有難うございました。
「尾張のヲ」ですか、「終わりのヲ」と思っていました。
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楽しみにしてましたよ。。
石橋ファンになって下さって嬉しいな
また見つけてくださいね、
たつのお橋は行きましたよ。
「越」が読めなくて城かと思った・・・・
http://blog.goo.ne.jp/momo606_2005/d/20070311
よかったです・・・ありがとうございます。
笹尾橋は知りませんでした。
川の石かなぁ~ 今度行ってみます。。
ご存知だった。 さすが~ですね。
クリックで拡大して見れば、分るように、
横の木の枝と、橋に草や蔦が多くて、撮るのに苦労しました。
momomamaさんは4年前ですか、きれいに撮れてますね。
笹尾橋は、ホント小さい橋です。
この道は高校の時、わざわざ遠回りして通った通学路でした。
地図をリンクしましたので参考にして下さい。
(橋の名は、私が入れました。)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/48/00d052dc3579b01cd51d04a968c59f31.jpg
当時は当たり前に何気なく通った橋も、
歴史遺産並みとなって驚きです。
あらためて月日の流れを感じます。
橋から平野川沿いに登ったところに、
グミ園がありました。
当時はあんなものも果物でした。
龍尾橋の由来を想像すれば、
龍潜寺の龍の尾からでしょうか
いつも、故郷に帰った気分にさせて頂いて、
ありがとうございます。
「於」はくずして、ひらがな「お」となる。
例えば、「あ」の変体かなは「安」と「阿」。
つまり、「たつの越はし」は「たつのおはし」。
無理やり読ませたのではなくて昔の人は、
普通に読んだのでしょう。
これも、歴史を感じます。
私だったらアーチの橋があるって気がつかないで
通り過ぎてると思うわ。
下から覗いて見ないと分からないもんですね。
さすが~hobashiraさん!
そこに住んでる方も知らない人って多いかも・・・
これって凄い技術ですよね。
門司にはこんなアーチ式の石橋ってないような・・・
紹介して下さってありがとうございます。
私はこの平野川伝いで、皿倉山に何回か登ったことがあります。
野営訓練所(現、ふれあいの家)のチョット先の登山道に出ます。
と言うことは、そのグミ園も見てるのかなあ?(記憶に無いです。)
「越」の解説、有難うございます。
調べたら、【を】の変体仮名(へんたいがな)は乎と越になっていました。
しかも、【越】は親柱に刻まれた書体が主で、越はカッコで括られていた。
ホント、昔の人は、すらすら~と読めたんでしょうね。
コメント有難うございます。
この橋のことは、「市政だより」で知ったのであって、
知らなかったです。(子供の頃に見てるんだが?)
道路と橋との境目が無いから、
車で通っても、橋があることなんか気付かないですね。
昭和5年、1930年代は世界大恐慌の時代、北九州でも失業者が溢れ、
この道路・橋は、失業対策事業だったらしいです。
少し歴史の勉強になりました。
再起動おめでとうございます
同じ八幡に住んでいても知らないことだらけです
龍尾橋って言うのですね
一つ物知りになりました
昔の人はすらすらかけて読めたんですよ
今古文書を習って1年半まだまだすらすらは読めませんが
慣れ親しんではきました
私も八幡生まれですが、最近はここ宗像のほうが詳しくなっちゃいました
人生って不思議なものですね
確認に行きました
屋形船から大谷に抜ける道ですよね
失業対策事業とは知りませんでした
思い出せば八幡って
失業対策事業と言われるプレハブが
昭和五十年代まで
いろんな所に建っていたような?
確実に思い出せるのは
二カ所だから
気のせいかな?
この山手線道路は子供の頃、良く遊んだ道です。
みんなで、ワイワイガヤガヤ、
本当は八幡のことは、そんなに詳しくないが、
知ってる所の再発見は嬉しいです。
宗像は歴史のある町ですから、歴史愛好会も遣り甲斐がありますね。
ひまわりさんなら、
この橋に刻まれた字はスラスラ~と読めたことでしょう?
古文の【お】と【を】の使い分けが良く分りません。
「都をどり」って書きますね。
八幡は製鐵所の城下町、景気の良い時はいいが、
不景気で生産を落とすと、社員はあまり影響ないが、
下請け・関連企業はガックンときますからね。
この山手線道路が出来て、屋形船も出来たんでしょうね。
古いき良き時代の八幡の奥座敷?
明治になってから、仮名の使用法を統一するため、
文明開化に逆行?して、万葉仮名に戻しました。
平安時代以降混乱して使用されていた仮名を、
学校教育の必要性から統一しました。
歴史的仮名遣の理念は「語に従う」。
「愛」も「藍」も「相」も、その音はどれもアイで、
そのイの音は全く同じだが「愛」は「あい」と書き、
「藍」は「あゐ」・「相」は「あひ」と書きました。
「愛」の意味のアイか、「藍」の意味のアイか、
「相」の意味のアイにより「語に従い」使い分けた。
仮名遣は、單なる音を仮名で書く場合のきまりでなく、
語を仮名で書く場合のきまりであるとしました。
歴史的仮名遣では、
「尾」は「を」、「踊る」は「をどる」。
通信表では、「ヲ」は「尾張のヲ」と言います。
ちなみに、「都をどり」は明治維新になってから、
天皇が東京に行って町が寂れるの恐れて、
景気付けに始めた行事。
これは又、貴重な見識を有難うございました。
「尾張のヲ」ですか、「終わりのヲ」と思っていました。
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