コメント
このあたりは・・・
(
momomama
)
2012-02-22 18:23:39
こんばんは。
すっかり変わってしまって・・・
いつを基準に変わったと嘆くか!って・・・昭和40年の話
momomama18歳 勤務する会社が 下上津役団地の造成をしました。
その時芦屋からバスで黒崎まで行って乗り換えて上の原通っていました。
その後 会社がバスを買ってそのバスで通勤してました。
やから様 大切にして欲しいですね。
いま大河ドラマが清盛だから・・・ね。
悲しいなぁ~
(
ひまわり
)
2012-02-22 21:43:30
こんばんは~
人は便利と言う名の下に大事な史跡すら
勝手に移転するんだから
街道を歩いててもなくなってる部分もありました
そしてお地蔵さんや仏様ももともとの場所から移転してきたものも
数多くありました
団地が出来たり、道の拡張工事にひかかったりして
史跡はなくなったらそこでおしまいです
受け継がれていって欲しいと最近特に感じるのです
やから様
(
ゆめ吉
)
2012-02-22 22:42:48
こんばんは~♪
この「やから様」のこと覚えてますよ~!
いつも間にか姿を消されてたのですね。
拡張工事も大事かと思いますが、
昔からあるものを移動させながらも
工事を進めなくっちゃいけないのかしらね。
きっと元の場所に戻って来ますよ!
いやそう願いたいですね
木屋瀬の公孫樹でしたっけ?
(
caramelpapa
)
2012-02-22 23:05:56
あんな風に
除けてくれればいいのに
反対側は何だっけ?
下上津役団地
沖田から上の原
昔の下上津役から名前原あたりですね
あの団地は
北九州市住宅供給公社が分譲した
宅地は広いが道が狭い
ちょっと異様な団地だそう
この辺りも思い出の場所?
(
hobashira
)
2012-02-23 19:18:25
momomamaさんへ、今晩は!
実はこの辺り、良く知らないです。
ましてや、昭和40年頃は?
「下上津役団地」と言うのは、沖田中学・中尾小学校付近?
十八の乙女が、荒くれ男のいる工事現場にですか、
それはそれは、素晴らしい花・華だったんだろうな
momomama娘の青春が、八幡のあちこちに残ってますね。
これからも、八幡を応援して下さい!!
郷土の歴史
(
hobashira
)
2012-02-23 19:38:00
ひまわりさんへ、今晩は!
ここは「涼天満宮」の近く、紛れもない旧長崎街道です。
この辺りには、「帆柱新四国霊場八十八ヶ所」の、
小さな祠や札所が数ヶ所あります。
見つけると歳のせいか、おもわず手を合わせますね。
史跡は、その地にあって意味があり
いつまでも受け継いで、いかなければ、
だから「やから様」も、
ちょっと横に、移動すれば良いと思うけどなあ!!
渋滞は緩和されているけど、
(
hobashira
)
2012-02-23 19:52:42
ゆめ吉さんへ、今晩は!
2年前の「やから様」の記事、覚えてくれていましたか、
有難うございます。
実は、(覚えが無いんだけど?)後で修正したようで、
肝心の「やから様」の説明が削除されていました。
だから、チンプンカンプンで、下書(公開しない)にしています。
(悪しからず)
「やから様」の移動は、状況から見て仕方ないでしょうね。
この辺りの旧200号線は、道幅が狭く周辺の開発で、
朝夕のラッシュ時は大渋滞でした。
徐々に道幅を広くして、まだ工事中ですが、かなり緩和されています。
「やから様」 さあ、どうなるのかなぁ
工夫すれば避けられた
(
hobashira
)
2012-02-23 20:11:14
caramelpapaさんへ、今晩は!
道路工事のことは良く分らないが、
この辺りの歩道は、
人は、そんなに通らないのに、
バカに広いです。
将来、更に拡幅の為なのか?
ちょっと工夫すれば、
「やから様」を避ける事は、可能だったと思います。
上の原のバス停付近、
宅地造成していたのをチラッと見ました。
工事中に、
小学生が、穴・トンネルを掘って遊んでいて事故が起きました。
今は(住宅)団地も完成して、
バス停の前はスーパーもあります。
木屋瀬の遠賀川沿いの大銀杏のことですか?
良く分らないです。(調べてみます。)
憤りを感じます
(
春休みのデッサン室
)
2012-02-23 22:29:43
やから様、ボクも覚えています。
もう2年前にもなるのですか!
人って、人の歴史の中で多分こんなこと
繰り返してるんだろうなぁ~。
ただもう純粋には史跡ではなくなりますね。
古い言い方ですが
「罰当たり」でしょう。
歴史をないがしろにする人の品性に対し
非常に憤りを感じます。
史跡
(
はったいご
)
2012-02-24 10:02:37
hobashiraさん、おはようございます
「やから様」とは不思議な名前ですね
時代劇などでは、「……の輩、…」
などとあまり良い意味では使われませんが、
日本語も本来の意味から離れてしまった
使われ方をしているものが多いです。
国指定の史跡がウチのすぐ近くにもあります
大昔の人の様子が解る大切な財産なのに、
金儲けや便利さだけのために葬り去るのは
許せない気がします
先人を敬う心が失われてしまったのですかねぇ。
口では、「絆、絆」と言っているのに。
実は~、今回だけじゃ無いようです。
(
hobashira
)
2012-02-24 20:32:02
春休みのデッサン室さんへ、今晩は!
デッサン室さんも覚えてくれていましたか、有り難いです。
>ただもう純粋には史跡ではなくなりますね。
そう、固いこと云わんと、
調べてみたら、過去に、この長崎街道筋に何回か移転されています。
時代によって、安住の地が左右されることは悲しいですね。
"やから" は、どんな字だろう?
(
hobashira
)
2012-02-24 20:50:49
はったいごさんへ、今晩は!
この地方では、
幼い子どもが、夜泣きやむずかって親を困らせることを、
"やから"と言うそうです。 (私は知らないが、)
で、どんな字(漢字)を書くのだろう?
「やから様」にお参りすると夜泣きが治る。
(結構、有名だそうです。)
(小さな)史跡は、その時代の都合により、
引越しさせられたんじゃ堪らないです。
「全ての史跡類移動禁止法」が必要かもしれませんね。
・
(
CP
)
2012-07-26 17:13:16
綺麗に出来上がっていますね
黒崎の街道も
大まかな位置はわかるけれど
みんな多少なりとも移動しているから
正確にはわからないとか
川も松並木でさえも
だそうです
caramelpapaさんへ、
(
hobashira
)
2012-07-27 11:02:10
こんにちは~!
「やから様」は戻って来ました。
前の場所の、横?後?の崖を整備して、
祠は新築?されています。
只、歩道が完成してなく、小山?が残っています。
この小山が無くなったらアップしようと思ってます。
昔の街道が、そのまま今の道路になってませんからね。
まあこの辺り、涼天満宮もあるから、・・・・。
石坂の立場茶屋銀杏屋のひな祭りの時、
係りの年配の人聞いたけど、
やから様から立場茶屋までの道は、はっきり判らないそうです。
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すっかり変わってしまって・・・
いつを基準に変わったと嘆くか!って・・・昭和40年の話
momomama18歳 勤務する会社が 下上津役団地の造成をしました。
その時芦屋からバスで黒崎まで行って乗り換えて上の原通っていました。
その後 会社がバスを買ってそのバスで通勤してました。
やから様 大切にして欲しいですね。
いま大河ドラマが清盛だから・・・ね。
人は便利と言う名の下に大事な史跡すら
勝手に移転するんだから
街道を歩いててもなくなってる部分もありました
そしてお地蔵さんや仏様ももともとの場所から移転してきたものも
数多くありました
団地が出来たり、道の拡張工事にひかかったりして
史跡はなくなったらそこでおしまいです
受け継がれていって欲しいと最近特に感じるのです
この「やから様」のこと覚えてますよ~!
いつも間にか姿を消されてたのですね。
拡張工事も大事かと思いますが、
昔からあるものを移動させながらも
工事を進めなくっちゃいけないのかしらね。
きっと元の場所に戻って来ますよ!
いやそう願いたいですね
除けてくれればいいのに
反対側は何だっけ?
下上津役団地
沖田から上の原
昔の下上津役から名前原あたりですね
あの団地は
北九州市住宅供給公社が分譲した
宅地は広いが道が狭い
ちょっと異様な団地だそう
実はこの辺り、良く知らないです。
ましてや、昭和40年頃は?
「下上津役団地」と言うのは、沖田中学・中尾小学校付近?
十八の乙女が、荒くれ男のいる工事現場にですか、
それはそれは、素晴らしい花・華だったんだろうな
momomama娘の青春が、八幡のあちこちに残ってますね。
これからも、八幡を応援して下さい!!
ここは「涼天満宮」の近く、紛れもない旧長崎街道です。
この辺りには、「帆柱新四国霊場八十八ヶ所」の、
小さな祠や札所が数ヶ所あります。
見つけると歳のせいか、おもわず手を合わせますね。
史跡は、その地にあって意味があり
いつまでも受け継いで、いかなければ、
だから「やから様」も、
ちょっと横に、移動すれば良いと思うけどなあ!!
2年前の「やから様」の記事、覚えてくれていましたか、
有難うございます。
実は、(覚えが無いんだけど?)後で修正したようで、
肝心の「やから様」の説明が削除されていました。
だから、チンプンカンプンで、下書(公開しない)にしています。
(悪しからず)
「やから様」の移動は、状況から見て仕方ないでしょうね。
この辺りの旧200号線は、道幅が狭く周辺の開発で、
朝夕のラッシュ時は大渋滞でした。
徐々に道幅を広くして、まだ工事中ですが、かなり緩和されています。
「やから様」 さあ、どうなるのかなぁ
道路工事のことは良く分らないが、
この辺りの歩道は、
人は、そんなに通らないのに、
バカに広いです。
将来、更に拡幅の為なのか?
ちょっと工夫すれば、
「やから様」を避ける事は、可能だったと思います。
上の原のバス停付近、
宅地造成していたのをチラッと見ました。
工事中に、
小学生が、穴・トンネルを掘って遊んでいて事故が起きました。
今は(住宅)団地も完成して、
バス停の前はスーパーもあります。
木屋瀬の遠賀川沿いの大銀杏のことですか?
良く分らないです。(調べてみます。)
もう2年前にもなるのですか!
人って、人の歴史の中で多分こんなこと
繰り返してるんだろうなぁ~。
ただもう純粋には史跡ではなくなりますね。
古い言い方ですが
「罰当たり」でしょう。
歴史をないがしろにする人の品性に対し
非常に憤りを感じます。
「やから様」とは不思議な名前ですね
時代劇などでは、「……の輩、…」
などとあまり良い意味では使われませんが、
日本語も本来の意味から離れてしまった
使われ方をしているものが多いです。
国指定の史跡がウチのすぐ近くにもあります
大昔の人の様子が解る大切な財産なのに、
金儲けや便利さだけのために葬り去るのは
許せない気がします
先人を敬う心が失われてしまったのですかねぇ。
口では、「絆、絆」と言っているのに。
デッサン室さんも覚えてくれていましたか、有り難いです。
>ただもう純粋には史跡ではなくなりますね。
そう、固いこと云わんと、
調べてみたら、過去に、この長崎街道筋に何回か移転されています。
時代によって、安住の地が左右されることは悲しいですね。
この地方では、
幼い子どもが、夜泣きやむずかって親を困らせることを、
"やから"と言うそうです。 (私は知らないが、)
で、どんな字(漢字)を書くのだろう?
「やから様」にお参りすると夜泣きが治る。
(結構、有名だそうです。)
(小さな)史跡は、その時代の都合により、
引越しさせられたんじゃ堪らないです。
「全ての史跡類移動禁止法」が必要かもしれませんね。
綺麗に出来上がっていますね
黒崎の街道も
大まかな位置はわかるけれど
みんな多少なりとも移動しているから
正確にはわからないとか
川も松並木でさえも
だそうです
「やから様」は戻って来ました。
前の場所の、横?後?の崖を整備して、
祠は新築?されています。
只、歩道が完成してなく、小山?が残っています。
この小山が無くなったらアップしようと思ってます。
昔の街道が、そのまま今の道路になってませんからね。
まあこの辺り、涼天満宮もあるから、・・・・。
石坂の立場茶屋銀杏屋のひな祭りの時、
係りの年配の人聞いたけど、
やから様から立場茶屋までの道は、はっきり判らないそうです。
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