退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#811: 時差ぼけがつらいです。

2017-03-05 21:50:27 | アメリカ便り
いつものことながら、日本から帰ってくるたび、時差ぼけに襲われます。
アメリカから日本への移動ではたいした時差ぼけもないのですが、反対をした後は1週間から10日ぐらい続きます。
ただでも寝れない私、睡眠障害は認知症につながるなんて記事におびえています。
それがますます悪影響を及ぼします。
学生の時、15時間ストレートで寝ていたときが夢のようです。

娘が今、ウエストヴァージニアから春休みのため家に向かって運転中です。
あと3時間ほどとのこと。
睡魔に襲われないように1時間から2時間ごとに電話しています。
なんせ、10時間の運転ですから。

今日は写真が盛りだくさんです。

釧路動物園





































ハブグレジュンタのマミー

810:討論で始まった、アメリカ入国第1日目

2017-03-04 23:50:32 | アメリカ便り
木曜日の朝に、“昨日来たのにもう帰るのかい?”とわけのわからないことを言っている母をレイちゃんに任せ空港へ出発。
午後、浜松町で学友2人と待ち合わせ、小雨の中を迎賓館へと向かいました。
テレビで見たときは予約がすごいとかいってましたが、もう予約もなしで入ることができました。
混雑もなくバス3,4台分の観光客(珍しく、日本人ばかりでした)に混ざってもゆっくり見ることができました。
和風館は2ヶ月前に予約していなければならないとかで、入ることができませんでした。
初めての迎賓館は和洋折衷で、鎧兜が想像上の鳥、鸞鳳、の間に収まっていたり、フランス製のシャンデリアと七宝焼きの壁飾りが一緒の部屋にあったりしていました。
一見したら、ベルサイユ宮殿風に感じられました。
質素の中に静かな気品が備わっている和風が好きな私にとってはこの金ぴかのさも成金と思わせる建物は“見世物”でした。
和風館に期待することにしましょう。

迎賓館のあとはいつもの東京駅から歩ける距離の場所で“駄弁り会”。
あっという間に3時間近くが過ぎ、東京駅からでるバスに乗って成田のホテルへ。

朝は早めに空港へ行き、宅急便で送っていたスーツケースをピックアップしチェックイン。
そこで恐れていたことがおきた。
23キロまでのスーツケースに26キロの荷物が突っ込まれていた。
去年も同じことが起きて、見送りの友達とチェックインカウンターの前で、荷物を引き抜きせんべいやら何やらをもらってもらい、何とか23キロにすることができた。
でも今回は、そういった元気もなくおまけにスーツケースをあけても“これひとつで、3キロ減少”なんていう都合のよいものもなく、超過料金の1万円を払う羽目になった。
非常にもったいない気がした。
せんべいやら、柿の種やら、アメリカで買ったとしても1万円にはならないのに。

しょうがない。
そして長い長い11時間のエコノミー席から開放された後は、入国管理税関を通過しなければならない。
グローバルエントリーパスの力はすごかった。
並ぶこともなく、機械の前に立ち30秒ぐらいで入国が終了。
しかし問題は次の税関通過でおきた。
私はいつも“食べ物”に丸をつけるので、50%の確立で、荷物チェックが入る。
今回もチェックが必要だった。
チェックをしているジジーは、人目で私が一番毛嫌いするような人種であった。
相手も“大戦に負けた日本人が大国になりやがって”という意気込みが体中から漂っていた。
こういう人はたまにいるが、こういった権力を誇示したがらる職業に就いた人には多くいる。
自分より下とみなされる人間(中国人など)には普通(?)だが、上にいるような人間には権力誇示で徹底的に威張ることに走るのである。
だから私とそのジジーは最初から、見えない火花を散らしていた。
といっても私には絶対勝ち目がないけど。
そうですよ、皆さん、アメリカでは警察、こういった入国に関するところに働いている人たちには絶対に逆らわないほうがよいです。
そのチェックに立ったジジーは前の中国人には、馬鹿にしたような感じでくっだらないことをしゃべって、必要以上の時間をとっていた。
乗り換えの飛行機に時間がなかった私にはスーツケースをあけるにも時間をとり、一つ一つチェックし、おまけにJalのうどんでスカイとかの入れ物を見て、”お前、Jalで働いているのか?”とかあほらしいどうでもよいことを聞いてくる。
私の苛立ちに腹が立ち、いちゃもんをつけてきて、しまいには、“グローバルエントリーのパス剥奪するぞ、とか、500ドル罰金”とか言ってきた。
実際、そんなことをしたら、私も出るところに出てやろうではないでしょうか。
スーツケースを無理やりパックしなおそうとするから、“そんなことをしたら、中身が壊れるから、私がするから、こちらへよこせ”といったことにもはらがたったんでしょうね。

そんなことをするうちに乗り継ぎ便が迫ってくる。
荷物を預け、係りのおばさんに“走れ”といわれ、老体に鞭打ち、シャトル、セキュリーティーと走り何とか乗り換えに間に合った。

アメリカ帰国第1日目がこのくそジジーのおかげで、台無し。
これもアメリカなのです。
人種、教育格差の坩堝なのです。

ハブグレジュンタのマミー