今朝は久しぶりに鮨詰め状態の電車に乗りました。
やっぱり居心地は良くないですね。
こういうのも自意識過剰なのかもしれませんが、
痴漢に間違われたくないので、こういう電車ではできるだけ女性からは離れたい。
いろいろな意味で、満員電車は嫌なものです。
それと、以前も書いたかも知れませんが。。。
満員電車で、座席に向かって立っている人以外で、時々、無理やり本を読んだり、新聞読んだりしている人がいますよね。
満員電車の中にもかかわらず、ホント強引に自分の本(新聞、携帯電話)のスペースを確保しようとする人、
人一人分、あるいは半人分、余計に他の人に負担をかけるんですよね。
そして、頭や肩の刺激に弱いボクにとっては、本の角などでサワサワされると気分が悪くなるんですよ。ボクだけですかね?
今日は運悪く、鮨詰めなのは分かっているはずなのに、無理やり本を読もうとするおじさんに遭遇してしまいました。確かに続きを一刻でも早く読みたいときがあることも分かりますけど、、、
あらためて、満員電車は避けたいと強く感じていますが、選べないときもあるんですよね~
電車の話題では、こんなニュースもありました。
「廃止の優先席、復活へ 阪急電鉄、譲り合いの理想挫折」
http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/life/CO2007101701000568.html
8年前に全国で初めて車内の優先席を廃止した阪急電鉄は、10月29日から全線で復活すると17日、発表した。乗客同士の譲り合いの精神に期待し「全席が高齢者や障害者優先」としていたが、お年寄りの利用者らから「譲ってもらえない」「優先席があった方が譲ってもらいやすい」などの声が寄せられ、現実の前に理想が挫折した形。関連会社の能勢電鉄、神戸電鉄も同時に復活させる。
譲り合いの理想・・・
残念な結果ですね。
でも、譲る気持ちになりにくい場合も、ボクは良く分かります。
例えば、座るために始発駅で何本か電車を見送っている人もいますし、
早起きして座れる電車に乗る人もいますしね。
都会の電車で座るための努力は、それはそれなりに認めてあげるべき点もある気がします。
それでも、優先席に大股開いて座る若者がいるのも事実ですから、
このあたりは悩ましいところですよね。
何をもって「優先」か?
本を読む自由も優先されるべきでしょうし、
高齢者や障害者も優先されるべきでしょうし、
席に座る努力も優先されるべきでしょう。
いま問われているのは、まさに「譲り合いの精神」かもしれません。
理想や環境がそれぞれ違う中、
我が身を優先するばかりでは、窮屈なだけですから。
自戒をこめて。
みなさん、ハローです。ホディです。
朝の秋晴れが、夕方は曇り空、
そんな日が続いています。
ボクも引き続き落ち着かない日々を送っていまして、
そのあたりは今度、詳しく。
さて、今日の気になるニュースは・・・
「2025年度社会保障費、最大29兆円不足…内閣府試算」
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20071017it13.htm?from=top
17日開かれた政府の経済財政諮問会議(議長・福田首相)で、内閣府が、年金、医療、介護の社会保障3分野の給付と負担に関する将来試算を示した。
高齢化で社会保障費が増え続け、2025年度に8~29兆円程度の財源不足が生じるとした。不足分をすべて消費税で賄う場合、税率は現在の5%から、8~17%程度になる。
高齢化は確実に進むわけですから、社会保障費も確実に膨らむことでしょう。
現状の日本では、この問題は避けては通れないんですよね。
しかも、現在の高齢者の社会保障費は現役のボクらが負担するという世代間扶養が原則である中では、非常に重たい話です。
それにしても、消費税の「8~17%程度」になるという数字は、あまりにも幅が広すぎてイメージがわかないですよね。
そして、「保険料負担」について触れられていないのは残念です。税金と同時に保険料負担も、きっと増やさざるを得ないでしょうから。
こういう議論では、消費税ではなく、所得税に換算し、そして保険料負担と合算すべきでしょう。ボクらの給料から何%が引かれるのか???
そのほうが実感が沸きます。
どう考えればよいのでしょうか???
高齢者からすれば「自分たちもそうしてきた」と言うでしょうし、
高齢化が進む一方で、少子化も進んでいますので、
高齢者となった未来を想像すると不安になるボクらの世代からすれば、
「勘弁してほしい」と思ってしまうのも仕方がない気もします。
税金の無駄遣い云々ももちろんあるんですが、
社会保障は構造的な問題のような気がするんですよね。
どういう人が、どのくらいの額を国から保障してもらうか?
一度、特に高齢者の方を中心に議論してほしいです。
いまの自分たちの生活のために、未来の日本のことはどこまで考えるべきなのか?
ボクは先日も書いたと思いますが、こう思います。
未来の収入が期待しにくい高齢者の年金を削るのは非情でしょう。
でも、墓場の先にお金を持っていくことは出来ないのも残念ながら事実でしょう。
そういう点では、相続税(贈与税)を社会保障費に充てていくことは一考に価する気がします。
年金制度や介護制度の充実で、「社会が支える保障」が強化される一方、
残念ながら「家族が支える保障」は削られてきていますからね。
何が優先されるのか?
ここでも「譲り合いの精神」が求められている気がします。
との研究・予想・その他大勢(笑)があちらこちらから
出ます。政府であれ、民間の研究機関であれ、大学
であれ、素人であれ。(笑)
まず、すべて、そうなったためしはありません。
ですから、この件も、そうなりません。ご心配なく。
たんなるお遊びと思ってください。暇なときのお遊び
です。というより、時間が余っているか、仕事を作る
ための仕事ともいえます。
私もこれまで多くのこの種の予想を心配して、見聞き
してきました。すべてはずれています。断言出来ます。(笑)
通勤時間帯ははずれていますのでね経験なしです。
端から見聞きした感じを言いますと、皆さん大変
なんですね。ご苦労されていらっしゃる。
世の中には、いろんな人がおられ、いろんな行動を
とられている。一つの縮図がみられる。なんとも
いえませんが。
返事も書けずに失礼しました。
東京の人はホント、大変ですよ。。。
通勤でも苦労して、会社でも苦労して・・・
ちょっと疲れ気味のhoddyからの愚痴でした。