昨日、偉そうに「新聞」の話をしましたが・・・
まるで作り話のように、あるいはブログのためにわざとボケたかと思われるくらい・・・タイムリーに新聞を家に忘れてしまいました。
そんな自分もボクの素顔。
そして、新聞がなくてもボクの一日は困らない。もちろん、ボクが新聞を読まなくとも会社はいつも通りだし、ボクの仕事もいつも通り。
それでも、家に帰ると朝刊から読まないと気がすまないのは性格でしょうか?習慣でしょうか?
そして、明日も明後日も新聞を読むでしょう。そんな行為で世の中も自分も変わらないことは分かっていながら。。。
みなさん、ハローです。ホディです。
いや~我ながら、なぜ今日なの?と駅の前で笑ってしまいました。きっと周りで見た人がいたら、変な人ですね。
駅から取りに戻ることもできたのですが、ボクの優先順位は「新聞」より「いつもの電車」でした。もしかしたら朝の「いつもの電車」はボクの一番のこだわりかも知れません。そう思うと、陸上選手の走り幅跳びの助走のようなもので、少しでもずれるとしっかりとしたジャンプができなくなるような、ボクにとってはそんな位置付けかもしれません。朝のリズムはそれだけ重要視しています。
さて、注目されるニュースも多くて、いろいろ思うところもあるんですが、今日は「優しさ」について少しだけ書きますね。ある映画を観たんですけど、観終わった後に漠然と「ボクも優しくなりたいな」となぜか思ったので。。。
きっと実物のボクの姿を知っている人は「ホディが優しく?」エッ???と思われるでしょうか。少し恥ずかしいなと感じていますけど、非難を恐れずに勢いで書きます。
「優しさ」って何だと思いますか?
困っている人を助けたり、声をかけたり。悩んでいる人の相談に乗ってあげたり。慰めたり。子どもの世話をしたり。・・・。。。
「優しさ」というコトバ自体が定義されたもののように普段は使いますけど、改めて考えてみると難しいですよね?
1 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。「―・い顔かたち」「声が―・い」
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。「―・く慰める」「―・い言葉をかける」
3 性質がすなおでしとやかである。穏和で、好ましい感じである。「気だての―・い子」
という一般的な?意味とは別に、原義は動詞「痩(や)す」から「身がやせ細るような思いである。ひけめを感じる。恥ずかしい。」なのだそうです。
意外じゃないですか?
実はボクはこの原義を知らなかったんですけど(もしかしたら古典で勉強して、頭の隅に残っていたのかも知れませんけど?)、
偶然、ボクの「優しさ」のイメージはこれに近いものを感じていました。
要するに具体的な行動だけが「優しさ」ではないのではないか。見て見ぬ振りをしたり、遠くで見守ったり、心の中で応援したり、陰でいっしょに泣いたり、厳しく突き放したり・・・そんな身がやせ細るような思いをする「優しさ」が実は本当の優しさではないかと思ったりしています。もちろん、前に書いたような具体的な行動も優しさであることは否定しませんけど。
どうでしょう?
そう考えながら気がついたのは、ボクの根底にあるのは“スクールウォーズの泣き虫先生”のコトバ・・・
「信じ、待ち、許してやる」
それがボクの考える「優しさ」の具体的な行動なのかも知れません。
今日のBGMもミスチル。「Sign」の歌詞が妙に心に響きます。
♪ 届いてくれるといいな
君の分かんないところで 僕も今奏でてるよ
育たないで萎れてた新芽みたいな音おもい符を
二つ重ねて鳴らすハーモニー ♪
・・・優しくなりたい。そんなセンチな気分のホディでした。
※「センチな」なんてコトバは死語でしょうか?
優しさ。考えちゃいますね。
わたしは、「安心感を提供すること」ということも優しさの1つであると思うことがあります。少しだけ勉強してる心理学の中の「安全基地」という考え方がヒントなんですけど。
あと、時間の要素も優しさに関係しているのではないかと思います。その優しさは今の段階では優しさだが、未来においても優しさ足りうるのか。あるいはその逆はあるのか。自分が思う優しさが、たとえ今相手に理解されなかったとしても、それでもなお、それを優しさと信じて自分が行動することができるのか。考えはじめると問いばっかりが次々と出てきてしまいます。
すいません、長くなっちゃいましたね。
センチ...死語と思うようなコトバをあえてポンと入れてみる、なかなかお洒落だと、わたしは思いますよ!
shibaさんは優しいですね~。
「安心感」とか、「時間の要素」とか、おっしゃる通りですね。昨日の自分が到達できなかった部分に気がつきました。読み返してみると、実際にはボクの場合は“未来”を中心に意識しているようですが、そんな自分はまだまだ優しくないような気になりました。
>優しさと信じて自分が行動する
良いですね。優しさを与えたい人のみならず自分にも優しいと思います。
やはり奥が深いですね。shibaさんのコメントを読みながら、ますます優しさについて考えてしまいました。