今日も冷たい雨・・・
今朝から気分が重いな、と感じていると、こういう時には行動も重くなるんですよね。
通勤電車で、寝過ごしたわけではないのに、乗り過ごし。と言うか、降り損ない。
出口のドアまで、人が沢山で、「降ります」と掻き分けながら進むも、時間切れ
「出口のドア」が「入り口のドア」に変わってしまいました。
出ようとするボクを遮り、人が流れ込んでくる・・・
やられた。
まさに通勤ラッシュ。
こんな小さな失敗でも嫌なものです。。。
みなさん、ハローです。ホディです。
東京の通勤は肉体的にも精神的にも良くないですね(苦笑)。
さて、インターネットでニュースを見ていると、
「慶応大と共立薬科大が合併へ」という記事がありました。
慶応大が共立薬科大を吸収合併し、早ければ08年4月にも慶応大に薬学部が新設されるのだとか。大学も合併時代かと、少しビックリ。
そんなものですかね。
先日は、財政難の夕張市で、小中学校を1校に統廃合する方針というニュースもありました。
教育も経済とは切り離せないのか・・・
当たり前のようですけど、怖い話であり、悲しい話だと感じています。
建物や伝統が違えば、それぞれの教育は違ってくるのではないか。これこそ、多様な教育ではないかと、あまり科学的でないことを考えています。
実際、ボクの場合は企業の採用面接で多くの大学の生徒と会っていましたけど、不思議と雰囲気や考え方が大学によって違うんですよね。理屈では、同じ学問を学べば同じような考え方になっていくと思いますよね。(教授によっても若干の差はあるでしょうけど)
でも、経済学部と商学部といった学問の違いよりは、甲大学と乙大学の違いとして現れている気がしていました。それでも、大先輩の話では以前よりは違いがなくなってきているということですけど。
そもそも、「入り口」の段階で違っているのか?
それとも、「出口」に近づくほどに違ってくるのか?
答えは分かりませんけど、日本人が自然と日本人になるように、「○○学校の生徒らしい」という方向に何かしらの力が働いているような気がします。そういう個性は大事だと思うんですよね。
企業も、自治体も、学校も、大きいほうが効率的なのでしょうけど。
本当にそれでいいのでしょうか?
ボクは嫌ですね・・・
経済とは何なんでしょうね?「経世済民」、人民の苦しみを助け、世を治めることですよね。それがどうでしょう、今の世はその逆。経済に民は縛られ、心を歪められ、我を見失う・・・。
でも、考えてみれば教育も経済の一部。授業を受ける側が居て、教える側が居て、それを繋ぐ金がある。切り離すことは難しいかもしれませんね。
合わさって失われるものもあれば、合わさって生まれるものもある。合わせることと、切り離すこと、どちらが正しいかも結果論でしかないのではないかと思うのです。
ただ、はっきり言えることが一つ。大切なのは「節度」と「バランス」。そこで生きる人間に最大限の配慮と敬意を払うことだと思うのです。
統廃合も時代の流れ。ですが、過疎の街に暮らす人達の思いを充分に配慮して取り組んで欲しいものです。
名前を入れるの忘れました。
まさにおっしゃるとおりですね。
「合わさって生まれるものもある」というのは、その通りだと思いました。
でも、ボクが感じている違和感は何だろうと?
少し考えていました。
そもそも「合併」に嫌悪感があるのは事実ですし。(fallさんもきっとそうでしょう。)「大」が「効率的」というコスト面だけの論理に不満なだけなのも知れません。
今日、考えたのは・・・
「合併」という選択へのプロセスがボクの違和感なのかな、と。
「大学全入時代に向けて学生を確保したい」
「市の財政が厳しいのでコスト削減が必要」
どちらも、よく分かる理由のような気がしますけど、ここには教育も教師も学生も不在なんですよね。
美しい国の教育はこれでいいのか?
法律に愛国心を入れる議論よりも、こういう議論が今の教育改革には必要だと思うんですよね。