親主導から子ども中心へ――私たちは、この半世紀の間に規準とする子育て法を大きく変えてきた。こんどは、子ども中心から親子対等へと変えるべきではないか。
現在子育ての場を席捲している「超日本式育児」は、極端に子ども中心である。この技法は、親子双方にとって望ましいとは思えない。私たちは親の主体性をとりもどす必要がある。だからといって、伝統的な「西洋式育児」のように親主導をめざそうというのではない。子育ての目標は。親子双方の人格が尊重される状態である。つまり、終着点で親子が対等な関係を築く子育て法を模索するのだ。
みなさん、ハローです。ホディです。
品田知美さんが書かれた<子育て法>革命 ― 親の主体性をとりもどす ― を読みました。冒頭はこの本から引用させていただきました。
この本、実は妻の推薦図書です。
ボクとしては課題図書が次から次へと手帳に書きこまれている状況ですので、いくら良い評判でも自らは選択することはない本の種類です。珍しく妻が推薦するので、これは読んでみようかと。。。
読み終えた感想は、「読んで良かった。」と心から思います。この本を読む前は、にわか“マイホームパパ”(死語ですか?)としては、やさしさ(できるだけ要求に応えてあげること?)が子どもへの最高の愛情だと思い込んでいた?と思います。正確に言うと、それすら意識したことがなかったというほうが言い表しているかもしれません。
さて、本の概要ですが、著者の子育ての経験なども踏まえ、「超日本的育児」とでも呼べる日本でたった一つの技法を「以前の日本的育児」、そして「西洋的育児」と比較しながら解説されています。「超日本的育児」の極端に子ども中心であるがゆえの母親の疲労、結果として自己の欲求のままに行動する子どもを育てることになる原因などを分かりやすく書かれています。
育児の疲労(不安)を原因として虐待が引き起こされるという考え方や、「学級崩壊」を引き起こす子どもたちの「奇行」は欲望を制御できないことが原因であるという考え方を子育て法と関連させて説明されていますが、確かに大きな要素であると思いました。(もちろんこれだけが原因だとは思いませんが・・・)
“子育ての方法論は、母親と少数の専門家たちの間でひっそりと語られるのが常”であり、特に男性は意識することはほとんどないと思います。ボクもビジネス本のマネジメントについてなどはたくさんの本を読み漁りましたが、育児についてははじめてですし、ベストセラーの中で目にすることはないですよね?
この本の中でも、「読者参加型の雑誌やインターネットなどで育児についての情報は発信されてはいるが、(著者の言葉を借りると)“口コミ情報であるからこそ内容が均質化し流行の子育て法からはずれた内容はなかなか語られない”中で、極端な解釈が幅を利かせている」と説明されています。
そう考えるとこのような本などを通して、もっとノウハウを共有すべきだと思いました。
また、この本の最後のほうに“少子化対策は長時間保育の受け皿拡大をめざしてきたが、この方向性は行き詰まると思う。残念ながら子育ては六歳では終わらないからである。”と書かれています。全くその通りだと思います。
そして、子育て法の成否も短期間では分かりません。「ゆとり教育」の見直しは議論されますが、「家庭の子育て」が議論されない(ボクが興味なかっただけですか?)のは、これも一方向のみの偏った改善にしかならないと考えます。子どもにも多様な個性があるがゆえに、もっといろいろな角度から子育てを議論すべきですね。そして、ボクのような一方向からの愛情しか意識できなかった父親も目を覚まして、子どもは「子ども」と思いこまないでひとりの人間として尊重し、コミュニケーションをとらないといけませんね。
最近のニュースでは、母親が11歳女児を殺した事件がありました。この事件は「母親もとてもかわいがっていた」というあたりからも子育てのあり方にも原因の一部があるのではないか?と感じました。(実際に原因かどうかはもちろん分かりませんが・・・)
また、世間をにぎわせている監禁事件の容疑者も、いろいろ報道されているのを見ると母子の関係(子育て)にも原因の一部があるのではないか?とこちらも感じました。
母親の疲労、自己の欲求のままに行動する子ども・・・
少子化対策、子育て支援・・・
課題は山積・・・ともかく難しい問題ですね・・・
話は最後に少しそれますが、今日発売の雑誌『あれ』と『これ』を少し読みましたが、前述の監禁事件の容疑者についての話・・・
それぞれ新聞の広告に見出しとして“メイド姿で「プレイ」した私”“「15歳の私」はこうして「ペット」にされた!”と載せています。
内容は見出しでお分かりの通り、その容疑者と関係をもった女性のインタビューが中心です。(それぞれ別の女性と思われます)
ボクはこの事件については、容疑者の性格(習性)、保護観察制度の不備、性犯罪者の再発防止教育、前で述べた母子の関係、被害者の行動、被害者の家族など様々な要素が複雑に絡んでいる根の深いものだと思っています。
容疑者の性癖を語る女性、そしてそれを報道する雑誌・・・
この女性たちはこの事件の何なんでしょうか???
そしてこの雑誌は何を訴えたいのでしょうか???
容疑者の性格(習性)の一部が性癖かも知れませんが、今回の事件の本質ではないと思います。
現在子育ての場を席捲している「超日本式育児」は、極端に子ども中心である。この技法は、親子双方にとって望ましいとは思えない。私たちは親の主体性をとりもどす必要がある。だからといって、伝統的な「西洋式育児」のように親主導をめざそうというのではない。子育ての目標は。親子双方の人格が尊重される状態である。つまり、終着点で親子が対等な関係を築く子育て法を模索するのだ。
みなさん、ハローです。ホディです。
品田知美さんが書かれた<子育て法>革命 ― 親の主体性をとりもどす ― を読みました。冒頭はこの本から引用させていただきました。
この本、実は妻の推薦図書です。
ボクとしては課題図書が次から次へと手帳に書きこまれている状況ですので、いくら良い評判でも自らは選択することはない本の種類です。珍しく妻が推薦するので、これは読んでみようかと。。。
読み終えた感想は、「読んで良かった。」と心から思います。この本を読む前は、にわか“マイホームパパ”(死語ですか?)としては、やさしさ(できるだけ要求に応えてあげること?)が子どもへの最高の愛情だと思い込んでいた?と思います。正確に言うと、それすら意識したことがなかったというほうが言い表しているかもしれません。
さて、本の概要ですが、著者の子育ての経験なども踏まえ、「超日本的育児」とでも呼べる日本でたった一つの技法を「以前の日本的育児」、そして「西洋的育児」と比較しながら解説されています。「超日本的育児」の極端に子ども中心であるがゆえの母親の疲労、結果として自己の欲求のままに行動する子どもを育てることになる原因などを分かりやすく書かれています。
育児の疲労(不安)を原因として虐待が引き起こされるという考え方や、「学級崩壊」を引き起こす子どもたちの「奇行」は欲望を制御できないことが原因であるという考え方を子育て法と関連させて説明されていますが、確かに大きな要素であると思いました。(もちろんこれだけが原因だとは思いませんが・・・)
“子育ての方法論は、母親と少数の専門家たちの間でひっそりと語られるのが常”であり、特に男性は意識することはほとんどないと思います。ボクもビジネス本のマネジメントについてなどはたくさんの本を読み漁りましたが、育児についてははじめてですし、ベストセラーの中で目にすることはないですよね?
この本の中でも、「読者参加型の雑誌やインターネットなどで育児についての情報は発信されてはいるが、(著者の言葉を借りると)“口コミ情報であるからこそ内容が均質化し流行の子育て法からはずれた内容はなかなか語られない”中で、極端な解釈が幅を利かせている」と説明されています。
そう考えるとこのような本などを通して、もっとノウハウを共有すべきだと思いました。
また、この本の最後のほうに“少子化対策は長時間保育の受け皿拡大をめざしてきたが、この方向性は行き詰まると思う。残念ながら子育ては六歳では終わらないからである。”と書かれています。全くその通りだと思います。
そして、子育て法の成否も短期間では分かりません。「ゆとり教育」の見直しは議論されますが、「家庭の子育て」が議論されない(ボクが興味なかっただけですか?)のは、これも一方向のみの偏った改善にしかならないと考えます。子どもにも多様な個性があるがゆえに、もっといろいろな角度から子育てを議論すべきですね。そして、ボクのような一方向からの愛情しか意識できなかった父親も目を覚まして、子どもは「子ども」と思いこまないでひとりの人間として尊重し、コミュニケーションをとらないといけませんね。
最近のニュースでは、母親が11歳女児を殺した事件がありました。この事件は「母親もとてもかわいがっていた」というあたりからも子育てのあり方にも原因の一部があるのではないか?と感じました。(実際に原因かどうかはもちろん分かりませんが・・・)
また、世間をにぎわせている監禁事件の容疑者も、いろいろ報道されているのを見ると母子の関係(子育て)にも原因の一部があるのではないか?とこちらも感じました。
母親の疲労、自己の欲求のままに行動する子ども・・・
少子化対策、子育て支援・・・
課題は山積・・・ともかく難しい問題ですね・・・
話は最後に少しそれますが、今日発売の雑誌『あれ』と『これ』を少し読みましたが、前述の監禁事件の容疑者についての話・・・
それぞれ新聞の広告に見出しとして“メイド姿で「プレイ」した私”“「15歳の私」はこうして「ペット」にされた!”と載せています。
内容は見出しでお分かりの通り、その容疑者と関係をもった女性のインタビューが中心です。(それぞれ別の女性と思われます)
ボクはこの事件については、容疑者の性格(習性)、保護観察制度の不備、性犯罪者の再発防止教育、前で述べた母子の関係、被害者の行動、被害者の家族など様々な要素が複雑に絡んでいる根の深いものだと思っています。
容疑者の性癖を語る女性、そしてそれを報道する雑誌・・・
この女性たちはこの事件の何なんでしょうか???
そしてこの雑誌は何を訴えたいのでしょうか???
容疑者の性格(習性)の一部が性癖かも知れませんが、今回の事件の本質ではないと思います。
コメントありがとうございます。
「百人いれば百通りの子育てがある」ってそうですよね。この本の著者も、百通りの子育てがあるにも関わらず「超日本的育児」だけが副読本や雑誌などを通して(結果的に)幅を利かせている状況に警笛を鳴らされていました。
子どもも一人の人間ですので、誉めたり、叱ったり、通常の生活でボクらがしていることを、いっしょにすることが大切なのかな?と思ったりしています。子どももいつまでも親の保護下におけるわけではないですしね・・・
コメントありがとうございます。
ボクの場合は「超日本的育児」も何も意識していたわけではないのですが、今思えばただ何となく言うことを聞いてあげていただけ?だった気がします。こういう父親が一番まずいんでしょうね・・・
最近は意識的に子どもとコミュニケーションを取るようにしています。
ぜひ読んでみてください。
一人娘はようやく2歳になりました。
ホディ夫妻オススメの本を我が家でも読んでみようと思います。
skogさんの「父母ぶるな」という言葉が胸に刺さります・・・
「父母らしくあれ、父母ぶるな」なかなか良い表現ですね~
反面子育て中の親が子供過ぎる事、祖父母が子供、孫の自立を阻む壁になっている事に不安を感じます。
「父母らしくあれ、父母ぶるな」というのはいかがでしょうか?