今年の甲子園は熱かった・・・
ホームランの数などを見ると全体のレベルも上がっているのでしょうけど、野球の技術レベル云々と言うよりは、選手の粘りだとか、負けない気持ちだとか、そんな客観的に表現できない何かがボクの胸を打った。と思っています。
主役となった二人の投手には更なる飛躍を期待しています。
勝手ながら、斎藤投手にはWマークの白い帽子のあとにはYGマーク(ヤンググンゼではない)の黒い帽子が似合うと思う。そして田中投手には松井秀喜選手の後姿に感じるのと同じオーラを感じた、でもCマークの赤い帽子がなぜか浮かんだ・・・
まぁ、ボクは占い師ではないので、ただの願望ですが。
自意識過剰なだけですけど、最近気になっていることがあります。
それは、ハンカチ。
「ハンカチ王子」はご存知、斎藤投手の愛称。
ボクもハンカチ、使うんですよね。
汗が出ると、ハンカチで拭く。そんな普通の仕草がなぜか気恥ずかしい・・・
自分で真似しているような気になって、思わず赤面しそうです。
これじゃ「ハンカチおやじ」だ
なんちゃって。
みなさん、ハローです。ホディです。
先週の金曜日(2006/8/18)の日経夕刊の「プロムナード」がネットで話題になっています。直木賞作家・坂東眞砂子さんが書かれたエッセイ、題して「猫殺し」。
題名だけでも気になりますよね。
少し引用します。
こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
(中略)
愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
(中略)
私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。
タヒチに住む坂東さんは、増え続ける子猫の処理に困って、産まれてくると「殺す」という選択をしているのだとか。タヒチでは血統書つきの猫ででもないともらってくれないという事情もあるんだそうですけど。。。
むごいな・・・
と、ボクは自分自身も含めて、感じました。
ヒトに食される宿命の元で産まれてきた牛や豚や鶏の肉を食べながら・・・
魚の骨までバリバリ食べながら、
そして、蚊を殺して・・・
その一方で、猫という生き物の「死」を悲しんでいる。
♪ ボクらはみんな生きている
生きているから悲しいんだ ♪
目覚まし体操じゃないですけど・・・
肉を食べずに生きることも、蚊を殺さずに生きることも無理ですけど、
時々は悲しむことも大切ですね。
結局、悲しむことしか出来ないヒトって、むごいな・・・
ボクらはそんな生き方しか出来ないのかもしれません。
「殺しの痛みや、悲しみ」は忘れがちですけど、時々我が身を省みることも必要ですね。
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