ホンダのHPより
あがりのバイクはなににするか、という話題がある。人生で最後にのるオートバイはなにか、という話だ。すると、ホーク11だとか、ハーレーだ、などという的外れな答えがでていて、鼻白むことがある。そうではないだろう。あがりのバイクはカブなのだ。
人生最後のバイクは大型バイクだと言う人は、30か40くらいの若い人なのではなかろうか。この方たちはいくつまでバイクにのるつもりなのだろう。50か60くらいでバイクをおりるつもりなのか。そうではあるまい。バイク乗りは体がきくかぎり、オートバイにのりたいとおもっているはずだ。
私は生きていれば、80でも、可能なら90になってもオートバイにのっていたいとおもっている。そんな年になって大型バイクにのれるのか。のれるわけがない。あたりまえのことだが、人間は老いておとろえるのである。
大型バイクをあがりのモデルだと考える若い人は、老いたら人間がどうなるのか、想像もつかないし、そもそも考えたこともないのだろう。今の自分の心身の状態で、これがあがりのバイクにちょうどいいだろうとおもうわけだ。80や90になったときの体の状態を想像することは、たぶん若いとできないのだろう。
ホンダのHPより
年をとってゆくと、まず車にのれなくなるだろう。車体感覚がとらえられなくなって、視力もおとろえ、反射神経もわるくなる。事故をおこして、誰かに危害をくわえてはならないとかんじ、自動車からおりることになるのだろう。しかし、バイクはその先でもまだのれるだろう。体力がおちても、目がわるくなっても、車幅や前後長のみじかいオートバイならのれるはずだ。
それでも年とともに大型バイクにはのれなくなり、小型のバイクに移行するだろう。小型のオートバイでゆっくり走るなら、かなりおとろえても、人を怪我させるようなことにはならないのではないか。アクシデントがあっても、自分が傷つくだけですむのではなかろうか。それがあがりのバイクになるわけだ。
ホンダのHPより
私がはじめてのったバイクは、友人宅にあったスーパーカブ50だった。16のときのことだ。カブは原付だったが、そのパワーにおどろいたものだった。そんな人はおおいのではなかろうか。はじめてのバイクはカブでなくとも、スクーターなどの原付、というパターンだ。
釣りのことばに、フナにはじまってフナにおわる、というものがある。魚釣りは、家のすぐ近くでできるフナ釣りからはじまり、その後は磯釣りや船釣り、大物釣りなど、様々な方向に発展してゆく。海外に遠征することもあるかもしれない。しかし年をとって体がきかなくなったら、また自宅近くの川でフナをつって、釣り人生をおえるということである。
フナと川をたとえとしてつかっているが、海の近くの人なら、堤防で釣れるアジやイワシにでもなるだろう。山間の人なら山女になるのかもしれない。自宅のちかくではじまり、またそこにもどったおわるということである。バイクならカブやスクーターなどの原付ではじまり、そこにもどって終わるということなのだ。
ホンダのHPより
私はDR650のキックがふめなくなったら、セルつきのバイクにかえるとおもう。DRのエンジンをかけるにはかなりの力がいるのだ。そして大型バイクにはのれないとかんじたら、カブをあがりのバイクとしてえらぶつもりだ。カブはクロス・カブやハンター・カブではなくて、オーソドックスなモデルがいい。
バイクは、スーパーカブではじまりカブでおわる。小型バイクではじまり、小さなモデルでおわる。あがりのバイクはカブ、小型バイクなのである。
バイクはカブにはじまってカブでおわる。
全くもって同感です
おそらく私は朗報さんと同じ年です
小学生の時、ご近所のラーメン屋さんのカブを校庭で乗らしてもらったのがバイクの始まりです
DR650のキックは踏めなくなりXl250Rを所有しますが最近はそれも負担を感じます
排気量を下げてもバイクは乗りたいのです
同い年のhirokiさんにご賛同いただいて心強いです。
カブではじまってカブでおわる。還暦をすぎると先のことを考えてしまいますね。
私も年をとっても、体がわるくなっても、できるかぎりバイクにはのりたいとおもっています。小さなオートバイでものりつづけたいですよね。それがバイクのりの行く末なのだとおもいます。
色々な思い出が頭の中を走馬灯のようにまわっています。
歳を積むと涙腺も弱くなるみたいです。
この年になると、いろいろなことがありましたから。たのしいことも。かなしいことも。それで、自分のやりたいことをやるようにしています。