11月28日。日曜日。DRですこし走ることにした。DRはキック3回でエンジンがかかったがストールし、5回目でアイドリングする。まずまずの調子だ。バイクに無理をさせないでゆけるところを考えて、埼玉県の秩父の手前にある正丸峠、山伏峠をぬけて青梅にまわることにした。
走りだすと風がつよい。山に近づくとバイクがおおくなり、やがて西武線の正丸駅に到着した。
正丸駅には同年輩のライダーがあつまっていてだべっている。10人以上いるだろうか。とまっているバイクはホンダCB750Kやヨンフォア、アグスタなどマニアックだ。そのうちのひとりが話しかけてきた。
DR、ものすごく大事にしてますね。
ああ、このバイク、いつの間にか古くなってしまって。
部品はでるんですか?
物によるんですが、ないものもあって困ってます。
ひとしきり話をして私はトイレにいった。
皆さんなごやかに話しているが、ここで親しくなったかんじだ。40年前のバイク・ブームのころの峠はこんな感じだったが、若いころは金がなかくて、皆まずしい身なりだった。真冬でも革ジャンにジーンズ、ブーツくらいだ。ボロボロの皮のツナギなんてストイックな奴もいたっけ。いまここにいる人たちは冬用のジャケットを身につけていて、余裕がありそうだ。あの頃はそんなものを買える人間はいなかった。私が大学生の頃は、冬用のライディング・ジャケットをそろえられたら、一人前のライダーだと言われたものだ。それだけ冬のジャケットは高価で特別なものであり、街着のコートなどは買えても、バイク専用のものまで手がまわらなかったのである。それを思い出して、時がながれたことを実感した。
また同じ人がはなしかけてきた。ずっとシングルに乗っていたそうだ。それでDRが気になるようだ。
いまは何にのっているんです、ときいてみた。すると、
ヤマハテネレ700です。
ああ、私も気になっているモデルですよ、とこたえると、
ものすごく、ハイ・シートですよ、とのこと。
シングルには飽きたから、ツインにしたんです、と。
後からおもえばシングルはなにに乗ってきたのか聞けばよかった。たぶんオフロード・バイクなのだろう。あの場にはテネレしかオフロード・バイクはいなかったのだ。しかしこれで話を切り上げてはしりだすことにした。
テネレ氏が見ている前で、DRをキックする。が、かからない。2度目も、かからない。3度目も。エンジンがあたたまっているときは、ほぼキック1回で始動するのだ。それが気温が低くなっていたから、いつもと調子がちがう。
チョークを引いてキックしてみるが、かからない。手ごたえもない。チョークをもどしてキックしてもかからない。もう一度キックすると、エンジンはかかった。するとテネレ氏が、
よかった、と言った。私は苦笑して、ときたまこうなるんですよ、これが玉に瑕で、と答えて走りだした。
正丸トンネルをぬけて山伏峠をこえてゆく。セローだったらテネレ氏は話しかけてこなかったとおもう。古いDRだから話してくれたのだ。そしてDRもテネレ氏の前でいい味をだしたとかんじた。
山をくだって有間ダムにたちよった。ここにはたくさんのバイクや自転車がいた。一休みして走りだそうとすると、またDRがぐずってなかなかエンジンがかからない。これが可愛いところだ。
青梅をぬけて瑞穂町の日本亭で昼食にする。たのんだのは肉野菜いため定食にラーメンと唐揚げのついた満腹定食。1050円だ。
味はふつう。メニューの通り満腹になった。
食事をおえて走りだそうとすると、またエンジンがかからない。5・6回キックすれは始動するのだから、これも味のうちと考えるほかない。DR、長くのっていたらいつの間にか旧車になってしまった。
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