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白山ロード^^心ちらりほらり (大阪)

2012年04月16日 | 白山車窓景

平成24年4月14日参拝

    
◆ 中浜 
白山神社 ( 大阪市城東区中浜2-3-15 )

残念ながら夜明けからシトシトと雨の音が聞こえていた。でも、水を愛する神様に会いに行くのですから、今日はこれでいいんじゃないかと自身を納得させる。でも、春とはいえ、こんな雨降りの日は長く歩くことを考えると肌寒いゆえ、冷え性の私としては準備万端^^; ミニのホッカイロを腰に貼り付け暖かくして家を出ることにした^^;;;

しかし、好意の雨とはいえ、大阪が近づくにつれてあがってくれたことが、やっぱりどんなに嬉しかったことか。大阪駅からJR環状線に乗り換え、外回りにて森ノ宮駅へ降り立つ。

検索によると、この駅から歩いて12~13分ぐらいの距離に白山神社があるはずなのですが、これって方向音痴人間にしたら、微妙な距離感なんですよね^^; 充分な時間の余裕をみながら出かけてきたもので、ここは石橋をたたいて歩むことにした。

駅出口近くの売店のお姉さんに地図を見せながら場所の確認と道を聞く。納得のいかない私の顔ぶりから、根気強く何度も念を押しながら教えて下さり感謝でした^^;;;(地図を持ってるにもかかわらず、どうやら最初の一歩目からいつも歩き始める方向が違うようなんですなぁ・・・。)

ここ城東区は、ベットタウン街なのですね。病院や学校があちこちにあり、まるで幾何学模様にも見える高層住宅ビルの壁が目前にあちこち立ちはだかり、目的地の見当がつけづらく探しにくいです。

そんなビルの谷間をぬけると、今度は迷路のような住宅地の路地に入っていきます。こんな混みごみしたところにあるのかしらと思えるような場所に神社は鎮座していたのでした。

ひとりの女性が、境内の掃除に余念がない様子で、落ち葉のはき掃除を無心にづっとされていたのがとても印象的でした。さっそく、参拝を済ませて境内の写真を撮っていた間でしたが、5~6人の方が次々に柏手を打って帰って行かれます。

皆さん揃って、低姿勢で厳粛なそんな後ろ姿を眺めさせてもらってるうちに、自分の軽々しい参拝方法ではダメなのだと気付かされました。恥ずかしくなって^^; 誰も居なくなってから改めて最初からもう一度やり直した始末です(汗)。もちろん第一には^^気持ちなのでしょうが、心を届けるには作法も大事な一つなのですね。

 『 人ごとの 良きも悪しきも 心して聞けば我が身の為とこそなれ   昭憲皇太后 』

賽銭箱の近くに、大阪府神社庁なるところから配布されている言葉の用紙が置いてありました。ちゃんと、こうやって書いて下さってるのに、しっかり周りを見渡さない私への訓示なのですね^^;;;

 

 

 

「白山神社由緒略記」が刻まれた石碑によりますと、

創紀の年代は遼遠にて詳しくは解らないが、応永年間迄までは中浜、鴨野、森野の諸村における氏神であったようです。古くは白山妙理権現徒と称え、親子、兄弟姉妹、夫婦、朋友等、すべての仲を守り給ふ、和の守護神であり、また水の大元の神として崇敬されていましたが、明治五年に権現号を廃し白山神社と改称されたようです。 

天正四年石山の戦いにて兵火に失われた社殿は、豊臣秀頼により再建されましたが、大阪冬の陣に再び兵炎にかかり、元和三年、大阪城在番城代内藤紀伊守が再建し、自来八度の改修が施されて現在に至っています。

  「いちょう」の巨樹は、大阪府指定天然記念物(昭和24年5月9日指定)で大阪冬の陣に際し、神域を東軍の将、本多出雲守が陣屋にさだめ、この木に登って戦況を偵察したと伝えられているそうです。

 

 

大阪の桜は満開の時期を終えて早くも、ちらりはらりと散り始めていました。神社にあった桜も同様でしたが、風が織り上げたピンクのジュータンが湖面に映し出された桜のようでとても綺麗でした^^v 

きっと、ここだけは掃除をしないで残しておくのかもしれませんが^^、私が神社を離れる際にもまだ履き掃除をする竹ぼうきの音が奥の方から聞こえてくるのでした。


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