3回引き返そうかなと思いました
土曜日、旭川に行って来ました。その時に学んだことがありましたので、報告させてください。ただしこれは一方的な話になりやすいので、コメントを入れて下さるとありがたいと思っています
北海道言友会旭川ブロック主催の「中高生のための吃音研修交流会」が2月14日(土)の午後に開催されました。私は後半部分に出席させて頂きました。行く途中全く前が見えないことが3回もありました。引き合えそうかと思いましたが、高速道路の途中だったので引き返せませんでした。そんなわけで、私は「お絵かきしりとり」というゲームからの参加になりました。皆さんとっても楽しそうに、しかし真剣な表情でした。指導して下さったM先生の「絵心は全くいりません!」ときっぱり言われたことばに勇気づけられました。
吃音のある人の弱い点
その後ティータイムを挟んで座談会が開かれました。誰かが講師になるというのではなく、吃音のある小6~高校生までの子ども達が吃音のある先輩たちにいろいろ質問をする。親も質問をする。司会はY先生がしてくださいました。色々な質問が出ました。詳細はたぶん、報告があるはずですのでお待ちください。私は次のようなテーマに対して一つの解答例を見出したような気がしました。
「どうして親しいはずの人と話す時に吃音が増えるのかな?」という疑問です。特に、「家庭で親と話す時にどうしてこの子の吃音が増えるんだろう?」と悩んでいる親は多いのではないでしょうか。子どもの側は「家ぐらい、いくら吃ってもいいじゃない。あまり気にしないでよ」と、思っている子もいるかもしれません。あるいは「学校では吃らない方法を使えるけど、家ではどうしてだめなのかなあ」と、思っている子もいる事でしょう。
私はここ数年、このことを考え続けて来ました。その疑問への解答例も考えて来ました。ちょっと前までは「家では何も心配する必要がないので、吃音をコントロールすることなく、吃っているのではないでしょうか。お父さんお母さんは緊張する相手ではないとお子さんから思われているのです。良かったですね」と言って来ました。これはこれで一定の説得力があると思っています。ですが、今回のき「中高生のための吃音研修交流会」に出て、違うヒントを頂きました。
私達吃音のある人達は「自分のことを話すのに弱い」、「質問や追求に弱い」、「急に人前で話すことを要求されると弱い」ということはずっと前からわかっていました。特に込み入った事情があったり、自分が不利な状況で話さなければならないということが苦手だと自分で言う人が多いのです。でも良く考えると、これらのことは普通に話している人でも苦手に感じる事です。それでも普通の人はしどろもどろになりながらも説明をしたり、急な質問に答えたりしています。そしてもっと複雑なことは「あらかじめ話すことが決まっていたりするよりも、その場で急に聞かれたり、発言を当てられるという方が楽だ」という吃音のある人がいるのも事実です。いわゆる予期不安を感じない方が良いということのようです。今回は「どうして親しいはずの人と話す時に吃音が増えるのかな?」ということに焦点を当ててのお話しです。
予測・準備できる状況とそうでない状況がある
学校の授業や、会社の会議。これはある程度求められている発言内容に予想が立ちます。プレゼンテーションなんかはしっかり準備もできます。シュミレーションを頭の中でしたり、実際に声に出してやってみる事もできます。そうすると内容をしっかり把握している状態ですので、話すその瞬間に使う脳の領域は十分に余裕がある状態だと考えられます。大脳基底核にかかる負担そのものを減らすことが出来ているのだとも言えると思います。
ところが親しい間柄では、話の展開が読めないのがほとんどではないでしょうか。予期しない会話、未知の話題、中には聞いて欲しくない事を聞いてくるのが家族、特に親かも知れません。そうすると、吃音のある子ども達は防戦一方に立たされることになります。ちょっと大げさな表現をすると、先の読めない戦いに急に放り込まれたような状態と言ってもいいでしょう。すると、私達の脳は身の安全を守るために働くことを優先させます。話す内容をどうしようかということで一杯になり、話の組み立てとか、スムーズに発話するために使う脳の余裕が減っていると考えられます。そのため、見かけ上の吃音が増えてしまうという状態になってしまうのではないでしょうか。緊張する必要がないという家庭環境は、準備をしなくてもいい、話す内容をあまり考えなくてもいいはず。だからこそ、予期しない会話にうまく適応できないようなことが起きているのではないでしょうか。
「急かさず、迫らず、じっくりと」
こう考えると、「お家でお子さんを質問攻めにしないでくださいね」という助言は案外、的を射たものだったと思います。では、親として子どもと真剣な話をしたい時にはどうしたらいいのでしょう。「急(せ)かさず、迫らず、じっくりと」ではないでしょうか。
「早く答えなさい」と、返事を急かす。すると考える余裕がなくなった吃音のある人は何とか応えようとしますがうまく行きません。話し終わるのに時間がかかります。すると吃音のある人自身が『早く答えなくては』と、自分で自分を急かすような気持ちになるのです。
「ちゃんと答えなさい。いったいこれはどういうことだ」と、追及が始める。すると、準備のない吃音のある人は状況把握をしようとします。ですから話すために使われる脳の余力が減ってしまうと考えられます。迫って真実を聴きだそうとすると、かえって身を守るために嘘をつかせてしまうことは良くあることです。人間は本来的に身を守ろうとする存在です。
「今、ここで答えなさい」と、有無を言わさない態度は人を追い詰めます。すると本音の話が出来なくなる可能性があります。警戒感ばかりが先に立ってしまいます。信頼して話すことが出来なくなるわけです。本音を隠して、話しても大丈夫な内容、親に知られてもいい内容、相手が安心する内容を話しておこうという気持ちが働いても不思議ではありません。
本当に大事な話をしたい時には、「今度こんな話がしたい」とあらかじめ知らせて、時間をかけて話すようにしてはどうでしょうか。進学・就職に関する話はこれに当てはまるかなと思います。また、大人の目から見て非があるような子どもの行動でもその背景に何があったのかを聴きとるつもりでお話をなさってはどうでしょうか。返事を急ぐあまりに、かえって反発や、いらない怒りの言葉を引き出しては元も子もありません。子どもの中に答えが熟成されて行くのを待つ必要があるかも知れません。そしてどもりながらでもじっくり話そうということが家の中で普通になっていくと、子どもは幾ら吃っても話したいことは最後まで話してくれるようになると思います。
ご自分を責めないで尊重し合うと
親御さんは「家庭で吃音が増えるのは親が緊張感を与えているからなのか」とご自分を責める必要はありません。吃音はどんな場合でも出て来るものです。ですから『君が吃っても構わないよ。そんなことでは君を思う私の気持ちは変わらないよ』という態度はとても大切です。必ず子どもに伝わります。
さて吃音のある子ども達(だいぶ大きくなった子ども達も含めて)にも伝えたいことがあります。家族と一緒にいて、吃音の事が話題になったり、或いは自分の勉強のこと、ちょっと言いたくないことを聞かれるようなことってあると思います。それって、「うるさくて、煩わしくて、いやになるほどの近さ」のせいだと思います。ですから、自分自身を守ることと、心配してくれる人を受け容れる事との間にバランスを取ることが必要かも知れません。「今は話したくない…」と思うことはそのように伝えてはどうでしょうか。例えば『今は、この話題について話す準備ができていないんだ。でも、もうちょっとしたら(来週、一か月後くらい)話せるようになると思う。それまで待って欲しい』というように。そして『僕の話を最後まで聞いてよ』と言っていいと思います。それから、大人の話すことにも耳を傾けてはどうでしょうか。「やかましくて、煩わしくて、いやになるほどの近さ」の関係だからこそ、お互いを尊重することが大切なのだと思います。(とど)