上の見出し写真奥に見える十三病院を左に直角に曲がり、能勢街道を歩き
ます。中央分離帯の緑の植え込みが大水道跡のようです。
R176と十三バイパス交差点から阪急宝塚線を渡り木川方向に進みます。
(2020.01.30)
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光用寺。源平屋島で戦った平家の武将の墓があります。
しかしここは中島大水道とは関係なさそうです。
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三庄屋が合祀されている、さいの木神社がありました。
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祭神 行者神変大菩薩
合祀 西尾六右衛門(山口村庄屋)
澤田久左衛門(大道村庄屋)
一柳太郎兵衛(新家村庄屋)
徳川四代将軍家綱の代低湿地の西成郡二十三ヶ村が淀川洪水のたびに荒
廃した。疲弊した農民を救うため封建の世に一介の庄屋の身を犠牲にし
京都郡代所の反対をおして延宝6年4月8日、中島大水道の堀さくを完成。
その責を負い当地にて自決され農民の神として当地の発展に寄与さる。
その遺徳を讃え当社に合祀
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西に進むと立森瑞神(たつもりずいじん)がありました。
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奥の祠には石の巳の神様(木に巻きついた蛇?)が祀られています。
巳→蛇→水の神様→中島大水道に縁がある?
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阪急電車の踏切を超え、能勢街道を淀川に向けて進み左に曲がると
正通院がありました。
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蔀関月(しとみ かんげつ)の墓がありました。
蔀関月は安永年間に、絵画と文章で各地の名所、史跡、名産などを紹介
する図会を著したそうです。
右の石柱「不許葷酒入門内」は、修業の妨げになるので葷(くん=匂い
のきついニラ・ニンニク等)と酒を持ち込んではいけない、という意味。