『1丁目1番地1号』その18。越中島橋を越えて真っ直ぐ行くと左側にヤマタネの倉庫が見えてきて目の前には大きな水門が現れる。
橋の先は私有地のため、架けられている練兵衛橋はヤマタネの専用橋である。
また、先の大島川西支川には巽橋、車道の部分は緑色に塗色された鋼橋、その両横に歩道がついていてこちらにも欄干がある珍しいフォルムの橋である。
もう少し歩くと左側に隅田川が現れる。ここから対岸の眺めが素晴らしい。また、左側には先ほどの水門が見ることができる。
この辺りの地名が『永代』、これは永代橋から付けられたもので目指す『永代1ー1ー1』は永代橋の袂にある公衆便所であった。現在、橋は塗装中でその姿が見えなかったのが残念である。
永代通りを反対側に渡ると地名が『佐賀』になる。地名は由緒のあるもので1595年の検地の際に肥前国佐賀湊に似ていたことから付けられたものと言われている。当時は干鰯の荷揚場があった。
少し歩くとちくま味噌というビルの前に石碑があり、『忠臣蔵義士の1人大高源吾とちくま味噌初代竹口作兵衛が俳諧で同門ということもあり、討ち入り後、永代橋に差し掛かった際にこの地で休息を取り、甘酒粥を振舞った』とある。確かに寒かったのであろう。
そのまま行くと左側に『江東区佐賀1ー1ー1』、現在は小さなビルがある。(以下、次回)