●日韓両国の小学三年生が学ぶ三年峠
村の境の三年峠で転ぶと三年しか生きられないという伝説をもとにした、「三年とうげ・삼년고개(サンニョンコゲ)」は、日韓の小学三年生が国語の教材として学んでいます。
大筋のストーリーは、
「おじいさんが三年峠で転んで不安がる。お見舞いに来た少年が、だったら二回ころべば六年、三回ころべば九年生きられるとアドバイスして、おわじいさんが笑顔で転びまくる」
といったものです。
同様の伝説は日本各地に残っています。今回は都編です。
●京都東山産寧坂・三年坂
京都市東山の清水寺に行く道すがらにその坂はあります。産寧坂・三年坂などと書かれ、子安塔の子安観音でお産が寧か(やすらか)であること・産寧を祈ったことが由来とする説、清水寺の本尊の観音菩薩に願い、かなったらお礼するという再念を意味するという説が、その地名の由来として語られています。
そして、転ぶと三年で死ぬという三年坂伝承。今わかっている範囲で、転ぶと三年で死ぬという伝承が記された最も古いものがここの三年坂で、18世紀前半に書かれた『都名所車』という文献でそれを見ることができます(参考文献①)。
そこで、原文がこちらに載っている(リンク先44/91)ので見ていきましょう。
「清水ハ大同二年に建立、此坂は明る大同三年に出来せし故に三年坂と云」
清水寺が大同二年にできたのに対し、坂が翌大同三年にできたことによるものとしています。
そして、続いて、
「世のならハしに、此坂にてころぶ人三年の内に死するといへり」
と転ぶと三年で死ぬという伝承があったことを書いています。そして実際に転んだ人の言動も記されています。
「七十斗(ばかり)の禅門ころびしかバ往来の人あはれびていゝしや(?いとしや?)三年の内に死するてあらんといへば此老人につこと笑ひ明日をも知らぬ命なるに先(まづ)二年は心やすし(この論文の5頁表5参考文献②)といへり」
明日を知れぬ我が身が、とりあえず二年は安心だと笑ったと言っています。禅門・禅のお坊さんならではの心の持ち方が伺えます。では、このような大同三年坂、三年寿命坂伝承はどのようにして生まれたのでしょうか。
●六道珍皇寺の迎え鐘
あの世への入り口
『都名所車』で、
「弘法大師の開基にしてはか地なり」
との記述で始まる六道珍皇寺は、都の墓(はか)地として知られていました。そして、小野篁(たかむら)は、この寺の中の井戸から冥界に下り、夜は閻魔大王の補佐をしたとつたわっています。現在も寺域内に閻魔像と篁像が安置されています。
つまり、都から山に至る道に墓があり、そこに閻魔を配置することで、あの世への入り口を表しているとも考えられ、この点では、太山寺付近の例とも共通します。
とは言え、三年坂の伝説の元になるとはこれだけでは言いにくいと思われます。しかし、この寺にはもう一つ興味深い伝承が残っています。
迎え鐘
同じく『都名所車』の伝承を見ていきましょう。
「毎年七月九日十日◯灵(霊)をむかひにゆくとて此寺のかねをつきて槇をもとめてくる去によつて俗にむかひかねといへり。もと此かねハ慶俊惣社のゐたまふかねなり。慶俊入唐したまふ時留守居の僧にいひしハ--(中略)--三年が内は地中にうつみて◯べからづとて入唐せり。しかるに留守居の僧まちかねてしゅろうにかけて是をつく。そのひびき唐に聞へて慶俊にとろき嘆きたまふ。このかね教へのごとく三年待てつくならば六時おのづから出へきにいかばかりおしき◯也」
と、迎え鐘とよばれるものがあり、
①死者を呼びもどすものとしてつかわれている。
②もとは、三年間地中に埋めれば、六時の時を自ずから知らせてくれるはずのものだった(けど留守の僧が三年待たずにうったのでそれはかなわなかった)。
伝承があったことがわかります。
六波羅珍皇寺のウェブページによると、鎌倉時代ごろに成立した『古事談』に②の三年地中鐘伝承(国史研究会『国史叢書 古事談、続古事談、江談抄』(国史研究会)大正三年、リンク先のコマ90/240)ではすでに残っていました。
●六道珍皇寺の伝承から三年坂伝承への変化
A小野篁の冥界伝承
小野篁の冥界伝承も平安末期成立と思われる『今昔物語集』などに残っているとのことです(管理人が持っている文庫本ではけつらくしていました。)。
B三年鐘伝承
これも上述のとおり、鎌倉期まで遡れます。
C迎え鐘伝承
これは、ABほど古いものではなく、A小野篁の冥界伝承から冥界への行き来が連想されたことに、B三年鐘伝承の鐘が唐まで聞こえることから、冥界までも聞こえるものと連想されたことが加わって、遠くまで聞こえる冥界との行き来を可能にする鐘としての伝承ができたと思われます。
D三年坂伝承
六道珍皇寺の冥界との行き来の伝承と、三年間の伝承が引き継がれて、清水寺の三年坂伝承ができたものと思われます。
参考文献:
①黒川麻美「日韓教科書教材に関する比較研究 : 民話「三年峠」に着目して」
『広島大学大学院教育学研究科紀要. 第一部, 学習開発関連領域64』2015 |
②黒川麻美「民話「三年峠」の教材化をめぐる史的考察 : 植民地期朝鮮・日本・韓国の通時的検討を通して
『国語科教育 79(0), 31-38,』 2016(全国大学国語教育学会)
編集後記
東の都では、カイロより賄賂に等しい卒業資格をえた都知事が当選しました。三年坂で転ぶような俗信では冥途への旅路は実現されまん。しかし、コロナ禍中の都の舵取りを小池氏に任せることで、多くの人の三年以内の冥途への旅路が決まったように思えます。
芦屋立つ 百合咲く小池の 一里塚
冥土行きと 刻まれたるかな
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