月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

ムカデ5 -「太平記」の俵藤太ムカデ退治伝説-

2005-09-17 00:58:43 | ムカデ ヤスデ
 前回、中国や日本では「ムカデは蛇に強い」と信じられており、その理由は、「土から生まれるムカデが、水の精でもある蛇を『土剋水』の理で制するから」ということを述べました。
 そして、その性質を用いた物語が、日本に伝わる「太平記」の中の「俵藤太秀郷のムカデ退治の伝説」になります。
 その伝説は、下のようなストーリーになります。

 

 俵藤太秀郷が勢多川(滋賀県大津市・琵琶湖から流れ出る唯一の川。)の橋を渡っていると、二十丈(60メートル)ほどもある、見るも恐ろしい大蛇が橋に伏していた。普通の人なら見ただけで卒倒してしまうほどの大蛇であったが、秀郷は何事もないかのようにその蛇を踏んづけて乗り越え、橋を渡って去っていってしまった。
 それから間もなく、小さな男が秀郷の前に現れた。その男が言うには、
 「私はこの橋の下に住んで2000年あまりになります(龍神です)。たくさんの人を見てきましたが、あなたほど勇敢なものは見たことがありません。私は、今の住処の場所を争ってきたものがいまして、その者にずっと悩まされています。で、勇敢なあなたにその敵を討ち取っていただきたいのです。」
 秀郷は即座に承諾し、その男を案内人に立て、今来た道を帰っていきました。
 勢多川の橋につき、川の中に入っていきました。なんと、その底には、美しい龍宮城が建っていたのです。
 そこで、飲み食いの接待をうけているうちに、深夜になりました。そんな時、敵の襲来だと周囲があわただしくなりました。
 秀郷は肌身離さず持っている大きな弓と、矢を三本用意して、敵の襲来を今か今かと待っていました。
 夜半を過ぎた頃、雨風は一通りすぎて、雷鳴が絶え間なく轟いています。
 しばらくすると、比良山のほうから二列に並んだ二、三千程の燃える松明を要した島のような物が龍宮に近づいてきました。それをよく見ると二列の松明は、全て左右の手に持ったものでした。
 なんとこれは、百足(ムカデ)の化け物のようです。
 秀郷は、一本目の矢を化け物の眉間に射かけますが、その矢は刺さりません。
 二本目の矢を同じところに寸分たがわず射たのですが、それでもその身を貫くことが出来ません。
 そして、三本目、最後の矢です。秀郷は唾を吐きかけ、また、同じところを射ました。
 唾を吐きかけた効果なのか、同じところを三度も射た効果なのかは分かりませんが、その矢は眉間を射抜き喉まで到達しました。化け物の手の松明の火は消え、その体が倒れるすさまじい音が大地に響き渡りました。
 近づいて、見るとその化け物の正体はやはりムカデでした。
 龍神は喜び、ムカデ退治のお礼として、いろいろな褒美を秀郷に与えました。
 太刀に巻絹、鎧。そして、頭を結った米俵と赤銅の突き鐘。
 その米俵は中を取っても取っても、米はつきませんでした。そこから藤原秀郷の別名を「俵藤太」と呼ぶようになりました。
 そして、鐘は三井寺に納められました。




ここでは、俵藤太がムカデ(土)を倒すことで、土に弱い水の性質をもつ龍神を助けます。水が助かったことにことにより、豊作を象徴する無限の米が現れたといえるでしょう。
 この物語の舞台である勢多川は、近畿の水瓶・琵琶湖から流れ出る唯一の川です。
 この川は下って宇治川をぬけ、淀川を通って海にいたります。この琵琶湖から流れ出る川から水を引き稲作をする庶民にとっては、川が干上がることは死活問題となります。
 この川が豊富な水をたたえますように。こう言った願いが、俵藤太のムカデ退治の伝説に現れているのでしょう。

ムカデ6 -太平記における呉公・ムカデ・将門~愚か者としての逆賊1~-
ムカデ7 -「太平記」における呉公・ムカデ・将門~愚か者としての逆賊2~-

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