さて、高橋信次研究が中断気味ですが、今日は続きを書きたいと思います。
農学部の進学をあきらめて医学部に行くことにしましたが、第一希望を二期校の東京医科歯科大学にしました。シティボーイに成りたかったのです。
ところが学園紛争激しくこともあろうに東京大学医学部が入学中止になりました。
東大医学部受験生の600人が恐らく医科歯科大学を受けることになり到底私は合格しないと思いかなり落胆した覚えがります。
それでもシティボーイの夢あきらめず、横浜市立大学医学部は受験しました。当時は一期校と二期校間に私立大の医学部が受けられました。
ところが相部屋の6人は夫々、最悪京大医学部にするとか、名大医学部にするとかみな言っていました。
こんなのがいて36倍でしたので、これまた合格することができませんでした。
私は母子家庭でしたので、1浪以上はしたくありませんでした。
父を幼い時に失った子供は、母も死ぬかもしれないという強迫観念があり、早く自立しなければならないと思っていたからです。
そう言った事情で、最悪ことも考えて1期校の方の鳥取大学を滑り止めにしてこの年に何とか医学部に入りました。
この後の6年間の経験は時間の関係上省きますが、卒業試験に向けてすごくハードな勉強をしていた時に、
久しぶりに声が聞こえてきました。
医学部に入っても3年目で2割落ち、卒業試験で2割落第、国家試験で2割不合格です。
ですから、まともに卒業できたのは4割弱くらいでしょう。
そんな厳しい時に声が聞こえてきました。
「お前はそんなことをしている場合ではない」
「今東京に偉大な人が出た」
「すぐに会いに行け」
そんな感じでした。
無理やり医学部に行けといった霊が厳しく言ってきました。
試験を辞めて東京に行ったら間違いなく落第です。
行けるはずがありません。またとんでもないことを言ってきたなと思い無視しましたが、
その後同級生からそれが高橋信次先生であることを知りました。
何とか無事ストレートで医師になれましたが、研修が厳しくなかなか東京には行けませんでした。
しかし研修医のころ次々と不思議な霊的な人が自分の周りに表れ始めました。
つづく・・・