今朝、家を出ると、そこにおばあさんがいた。
なにか話し掛けてきた。
「ここ会社でしょ?」
ぴんときた。
「今日は 日曜だからお休みですよ。」
すぐには理解できなかったみたいだけど、
誰も来ない事を理解できて
「じゃあ、家に帰らないといけないわね。」
と言ったので、住所聞いてみると、ちゃんと答えてくれた。
比較的近くだったが
メモをするのと、地図を見るために一度家の中に戻り
妻に話をすると、
「私 連れてくよ。」
と言って、いっしょに おばあさんのところに行った。
でも、地図を持ったといっても
どちらかというと地図に弱い妻に任せても心配だし
「交番に行ってみますか?」
と聞くと、おばあさんも OK してくれたので
とりあえず 110番して
おまわりさんに来てもらった。
自転車で駆け付けた若いおまわりさんは
おばあさんが持っていた袋の中身を質問。
その中に、通っている?デイホームのノートがあった。
きっと、中身一式、常に持ち歩く袋だったのだろう。
それが幸いだった。
とりあえず連絡して確認できるのだから。。
パトカーも駆け付け、
おばあさんを車に乗せ
あとは託し、、我々はその場を去った。。
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おばあさんは、妻に、大学に何かの講習を受けにいく
という事を話したらしい。
ずっと仕事をしてきた人なのか
ずっと何か勉強をしてきた人なのか
本当のそのおばあさんの背景はわからない。
おばあさんは
自分が迷子になっている事もわからない。
道端の雑草を指差して、
「これを文句言う人がいるのよね」 と
屈託(くったく)が無い。
別に 迷惑掛けられた とも思わない。
警察に連絡した事が最善だったのか・・・?
身内の人にとってはかえって大事になったわけだけど
警察の業務として確実に連絡ついて
おばさんは無事戻れるのだから
よかったのだとは思う。。
でも、素直に
おばさんが言う住所に連れて行ってあげるほうがよかったのか・・・
軽く 自問自答。。
歩くのが大変そうなおばあさんをみたら
パトカーがきてくれたのはよかった
とは思った。
80代後半と思われるそのおばあさん・・・
自分の両親もそう離れた年齢ではない。
自分自身も確実に老いに向かっているわけだけど
「老い」 については、
感じる事がたくさんある 今年。。
「老い」について
正論 も 感情論 も 批判 も 差別 も ・・・ある。
40代までは、「若い」 だけでいける。
50代になって、 「老い」 が見えてくる。
50代になったから「老いる」のではない。
「老い」は30代でも40代でも、誰にも確実にあるけれど
「若さ」がまさっていて、見えない・・ だけ。
人によっては40代でも 見えてくるだろう。
50代はほぼ全ての人が、見えてくる。
それが見えて来て
考える事がたくさん出て来る。
それは、人生の次の段階への
トレーニングなのだろうか。。
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あのあばあさん・・・
もう無事に帰ったかな。。