松山から帰りました。
また夢の続きです。
一昨日の夢はー
私たちは渋谷を歩いていました。夫は新しいシャツを着ていました。夫の手には2人で立ち寄った量販店で買ったレコーダーを持ち、彼は「これで録音はバッチリだね…」と言いました。「録音まで頼んで悪いわね…」と私は言っていました。
しかしこの時、今はこうして一緒にいられるけれど別れの日が近づいている…と思っていました。
さて、昨夜は亡くなった私の父と夫が楽しそうに歓談していました。
実際には、折り合いが悪く、脳梗塞で15年以上闘病していた父が最後の入院の時、夫が手を握りました。父はそれに答えるようにしっかり握り返したようです。
その父と夫が実に楽しそうに一緒にいたのです。
私は、それが見えるところで夫に電話していました。
彼は電話に出てくれませんでした。つまり私は邪険にされたのです。
そこで目が覚めました。
実に3日連続の夫の夢。
何を意味するのでしょう。
フロイトやユングは、夢自体に特別な意味があると言いました。しかし、現代の生理学者は、夢に特別な意味はなく、夢が奇妙でバラバラなのは、脳を刺激している記憶や外部からの刺激が断片的だからであると言っています。
この両者と違う立場があるそうです。
ナラティブ・アプローチです。
この立場は夢自体に意味があるわけではなく、夢をみた本人が、その夢を語る話に意味があると考えるそうです。
見た夢は、目が覚めた時点で思い出します。私たちは登場人物が誰であったかをはっきりさせ、断片的なシーンを時間軸に沿って並べたり辻褄を合わせてストーリーを作ります。
この出来上がったストーリーは何らかの点で、夢を見た人の心を反映しているそうです。
ナラティブ・アプローチは、夢のストーリーに耳を傾け、その夢に対する解釈を聞いて、語り手の心にアプローチしようとするそうです。
私は夢のストーリーで問題を抱える自分自身のケアやカウンセリングをしていることになります。
悲しみを解決するのは時間だと言われています。確かにそうかもしれませんが、ただ黙って待っていたのではダメなような気がします。
私は夫亡き後、実にたくさんの体験記を本やYouTubeで見てきました。
本は50冊にもおよびました。
しかし少し落ち着いてきた時、12月1日に田原豊道先生の救急搬送がありました。その瞬間、フラッシュバックが起こりました。
つまり夫の4月25日の救急搬送からのツライ思い出が蘇ってきたのです。
フラッシュバックはこれからもたびたびあるかと思いますが、それでも少しずつ癒されていくに違いありません。
私はナラティブ・アプローチの立場で、夫の夢を楽しみたいと思います。