本願寺月光蟲です。
この糞ブログは意味も落ちも建設的な意見もないです。
特に今日は結論もないです。
仕事、友達、配偶者なしの20~59歳「SNEP」
元エリートも多数 160万人以上存在するSNEP(孤立無業者)
誰ともつながれない孤独な大人たち 増加するSNEP
ニートは34歳までの言葉。
34歳超えたニートは「ただたんにダメな人」「ただの無職」「ただのろくでなし」という概念でありますがここ最近この手の用語が出て来ている。
スネップ。
ある種うまい単語だなと思う。
ここ日本においては年齢関係なく労働してなければただのダメな人。
私の考えだけどどう考えても気楽ではないような気がする。
まずは、「みんな働いている」という脅迫のような空気がある。
例えば親が石油王だろうが同じである。
お金があろうがなかろうが最終学歴を終えた後親に生活の面倒をみてもらってたらダメな人で。
そう考えると気楽に思えるけど、自分だけ時間があったとこで楽しい人は稀のような気がする。
そして何より「親が死んだら終わり」だからだ。
これはどう考えて自殺へのカウントダウン、それか乞食、ホームレスまっしぐらである。
健康の場合生活保護なんか貰えるわけないし。
自殺へのカウントダウンの連中が気楽な商売とどうしても思えない。
世間が攻めなくても自分が一番わかっているように思うんだけどね。
で、ようは中年になって、無職で友人無しで結婚もしてないと。
スネップの場合、こういう書かれ方なわけだ。
しかも160万人。実際の数字はもっと上だと思ったりする。
自殺へのカウントダウン中のスネップの親はもうカウントダウンどころの話ではなくなってるわけ。
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普通に働いてても中年になると普通に職がない。
よほどの事がない限り一発逆転なんかない。
ただでさえ職がないわけだからそうそう転職できないわけで。
フリーや芸能人やスポーツ選手なんか、もう転職どころか自分で商売する位しか思いつかないわけで。
社会や政治が「サラリーマン」にしか機能してないのが一番の問題のように思ったり。
たえず人から雇われる人生が日本人の心の中に沁みついている。
フリーや無職や芸能人とかの人生の転換はまず無理というのは本来理不尽のように思えるけれど、世間は「自己責任」としか言わない。
ニートだろうがフリーだろうが芸能人だろうが、履歴書は真っ白である。
これは
雇われてる人にとっては想像もできない事なのかもしれない。
22,3歳ならそれでもなんとかなるけど、45歳とか元芸能人で就職を目指す場合どこも雇わない。
「自己責任」で終わりだ。
そこで「コツコツ受験勉強を続けてきた」人が勝ちだと刷り込まれてるからなおさら深刻のように思う。
会社側の人間にしてみたら「面白い世界をみてきたのね」とは最初から思ってないからだ。
ニートの場合羨ましがられるというよりも嫉妬だ。
「ニートにはなりたくないけど、でも遊んでばかりでうらやましい」とか思われてるのも問題のように思ったり。
冷静に考えたらわかるが一部以外は金が無尽蔵にあるわけじゃないんだよな。
遊ぶ金までくれる親なんかどう考えてもいないように思う。
大半はごはん食べて寝る、時間を潰すためのものを必死で考えて生活してるわけで。
体力は楽だろうけども自殺へのカウントダウンから逃げれるわけないんだし楽しいわけないんだよ。
スネップの場合、もう最悪な気分になるのは想像がつく。
遊んでるニートなんかほんと一部だけだと思うけどなあ。
そして孤独だの非婚もかなり誤解があるように思ったりする。
女性のエッセイを読んでると大抵恋愛の話が出てくる。
仕事に追われ、休みを無駄にするという強迫観念が渦巻いてる人が多いようだ。
前に読んだ女流漫画家のエッセイに「休みの日は好きな韓流ドラマのDVDを観て、すっぴんで外に出ないでごろごろして一日が終わる。あたしこれでいいのだろうか」みたいなのがギャグとして描かれている。
これ、実は大事な事なんだけど、「それがいい」という人も日本にはいるんだよ。
休みの日に恋人や知人と遊ばず一日DVDを観る、構わないわけでしょ?
「そりゃそれでいいよ」と誰もが思うはずなくせに、何故か「一人はダメ」みたいな空気が蔓延している。
この空気のせいでめんどくさくなっているのが日本だ・・・。
スネップにしてもニートにしても、問題は孤独とかではないように思える。
社会の階層と孤独はあまり関係ないように思うんだけど、どうもそこらへんは識者や世間とかみ合わないな。
無縁仏になるのが大問題として思われてるんだろうけど。
孤独という単語の持つイメージが独り歩きしている。
金持ちだって孤独のヤツなんかいくらでもいると思うんだけど、何故か金を持ってれば孤独だと思われないみたいな空気も何だかなぁと思ったり。
スネップが急増している理由の一つは社会からの脅迫があるよう思ったり。
無職という響きよりも貯金がない事に実はみんな嫌悪していて、「貯金がないくせに無職で親に飯代を貰っている」状態が凄く許せないんだろう。
そこでのキーワードはやはり「怠け者」だろう。
だが、ニートもスネップでも楽しいのは最初だけなはず。
そこを理解しないと何も問題は片付かないんだけど、「怠け者はスルー」という空気が蔓延しているためナンも解決しない。
生命保険の「人生早見表」がある。
あそこから外れるともう人間扱いされないように思う。
何歳で結婚して、何歳でこのくらいの年収で、何歳になったら大体子供はこの位の年齢で、その時自分の親は何歳で、だからこの保険に入りましょう
↑保険屋のこの勧誘からもれると日本ではおしまいである。
そこで「帰れよ。人の人生をデータにしてんじゃねえよ」と言えるのは20代前半位までなんだろうな。
スネップやニートの問題は実は社会の凄まじい問題に直結していて、年金や税金、そして少子化等凄まじい問題をかかえてるはずなのに、政治家なんかよりもすぐ隣の人が「怠け者に対して議論しなくていい」という空気ね。
何でもかんでも自己責任な世の中になっている。
スネップなんかもうどうしようもないよね。
「仕事なんかいくらでもある」というのが一番簡単。
鬱病に「がんばれ」というのと同じ。
通ってきた道が違う人に「仕事なんかなんでもある」とかいうがスネップの場合、その何でもの部類にすら引っかからないんだよね。
そもそも「仕事なんかなんでもあるだろ」という人は、その前の職だとか経歴は真っ白ではないからだ。
履歴書でアルバイトの事が書けるのは三年以上からなわけだが、フリーを20年とかやってた場合、三年もバイトしてる経験なんかないだろうし、食べるためにフリーの知人の仕事を手伝ったりしてたとこで履歴書にはかけない。
「肉体労働やってくいつないだ」とかいう人もゴマンといるわけだが「それ、55歳になってたら自分それで食べていけんの?コネもないんだよ?」って言われたらどうすんだろう。
「どんな仕事でもあるだろ」という人の大半は「若い時に限る」んだよね。
ようはナンも考えてなくて「甘えるな。俺は何でもやってきたぞ」と、自分の若かったころの事を言うのだろうな、と思う。
スネップやニートへの差別は羨望よりも「オレだって大変なんだ」という不幸自慢である。
「こんなに不幸な俺様が働いてる中、親に金もらってて許せない。いい年こいてレールの上に乗りたいなんてむかつくからいやだ」という矛盾だ。
自分たちが社会に参加させない空気を作ってるのを全く意識していない。
「働けよ」と言いつつテメエの会社が雇ってるとでもいうのかなあ??
矛盾だよなあ。
「俺の会社は無理だけど仕事なんかいくらでもある」←これ、ニートやスネップを嫌ってる人はみんな思ってるわけでしょ?
サラリーマンなんか全員思ってるだろうし。
どこの会社の人でもこう思ってるんだし、仕事なんかないだろ・・・。てかスネップだけで160万人でしょ?
55歳とか59歳で履歴書真っ白な人をどこが雇うのよ?
「仕事なんか探せばどこにでもある。うちの会社は雇わないけど」って、声援どころかもう意地悪な物言いそのもののような。
ぎすぎすしている。
チャンスがもらえない人の気持ちというのは理解できない、ってかしようとしないんだよな。
みんな「自分だけは頑張ってきたんだ」といううっぷんね。
遊んでるニートやスネップなんかほとんどいないと思いますけどね。
どんだけの親が金持ちだと思ってるんだろう。
ニートやスネップに味方をするわけではないけれど、あまりにも嫌な空気がニートやスネップの問題に隠れている気がする。
年齢関係なく新しい事ができる世の中になればいいのになと。
「今この年齢で仕事やめられない」という世の中が凄く嫌です。
何より・・・・会社で雇われる事しか考えたことがない人程攻撃しているように思います。
フリーで20年とかやって転職する人とか、そういう人もいる、とか考えたこともないんだろうなあ。