一反百姓「じねん道」【百姓の100章】『農的ワークライフバランス』実践と研究日記@斎藤博嗣&裕子*4人家族(夫婦子供2)

2005年、東京から茨城県阿見町の農村へ夫婦で移住し新規就農。
こども百姓「じねん童」2人と家庭自給生活を自学自習中

伊達政宗 誕生日

2008年09月05日 | 「ふうてんファーマー通信」じねん道以外のお知らせ
突き当たれば突き当たるほどに、
調べれば調べるほどに、
何かと「ご縁」のある?
伊達 政宗さん。
ほんに一例を挙げれば、
伊達 政宗の娘の名は、
「五郎八」と書いて「いろは」。。
何と!
字は違うけど「彩葉」(いろは)と同じとは・・・。
産まれて名前をつけた後に知ったことです。
--------------------------------------------------------------------------

伊達 政宗(だて まさむね、1567年9月5日 - 1636年6月27日)

辞世の句
「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く」

料理が趣味。
「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」
と料理について名言を命期集に残している。

元々は兵糧開発のために行っていたのだが、戦国が終わり太平の世になると美食を極めるために料理の研究をしていた。仙台発祥の料理が多いのは、政宗の影響と思われる。また仙台城下では味噌倉を建てていたが、大規模な味噌生産体制が行われたのは、これが最初といわれているという。 岩出山名物の凍り豆腐と納豆は、政宗の料理研究の末に開発されたものであるが、元々は兵糧用だった。仙台名物のずんだ餅も政宗が考案したという説がある。料理の他にも多くの趣味を持ち、晩年は一日たりとも無駄に過ごすことがなかったと言う。

遺訓
一、仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。智に過ぐれば嘘を吐く。信に過ぐれば損をする。
一、気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。
一、朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ。
一、今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申すがよし。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。