心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
去る2023年10月1日4時30分
去る2023年10月1日4時30分
愛媛県伊予市の福岡正信自然農園二代目園主 福岡雅人氏(福岡正信氏の長男)が享年81歳で永眠されました。https://www.facebook.com/fukuoka.masanobu/posts/pfbid0x6WtGxDJExbW1p5149nggsggs9s9EBz35zpVL1qTWFt1oL6rQdPjuiPCT5eKyZJnl
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突然のことで、言葉もないが、
また一人、もっと話をお伺いしておけば良かったと思う先人が亡くなった。
愛媛県伊予市にある福岡正信農園 二代目園主
福岡雅人氏が享年81歳で永眠された。
謹んでお悔やみ申し上げます。
自然農法の創始者・福岡正信さん「生誕100年出版」の際、
私ども(じねん道)が編集を担当した、
福岡正信著『緑の哲学 農業革命論:自然農法 一反百姓のすすめ』春秋社2013年
では、本の文中に快くメッセージを寄せてくれた。
故人を偲んで一部掲載させて頂きます。
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147~149ページ
●『父、正信の生誕百年におもう』
父、正信の生涯を私なりに思いおこしますと、いろいろのことがありました。
私が高校生の頃は、よく洋画を一緒に見ました。子煩悩だったと思います。
また、田んぼやみかん畑、山林にも父と行って手伝いや遊んだり、今、思うと、自然に親しむようにされたと思います。
大学を卒業する寸前、近所のおじさんが「お前が家を継がなければ家はなくなるぞ」と言われ、後継ぎになりました。
父とは、いっしょに農作業をしましたが、普通の家と違う作業ばかりで、意見は時々、異なりました。
そんな父はときどき「気が違った」と言われたと思います。
ある時、父は私に、
「絶対正しいと思う道を、歩かなければ、ならない。
楽な道を選ぶことのできない自分は苦しい。
小鳥のように、歌を唄って一生を送れたらいい」
と言ったことを、はっきり、記憶しています。
現在、私と妻、息子夫妻、それに実習生三人、パートさん六人で、できるだけ、父の農法に近い農業を営んでいます。
父の思想は多くの人達に、賛同され、応援してもらって、晩年は、幸せだったっと思います。
・・・・・
福岡雅人
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結婚の挨拶に伊予におうかがいした時、緊張する私を暖かくユーモアのある言葉で迎えてくれた。
福岡正信さん「生誕100年出版」の関係で、春秋社さんと共に、
私たちの農園をご夫婦で訪れて下さった時も、農園のことや森のことなど、少ない口数のその言葉や表情の中に、たくさん百姓道を教えて頂いた。
雅人さんとの思い出と共に、
教えて頂いた様々な御恩に感謝しながら、茨城の地より、伊予の方向を向いて、手を合わさせて頂きます。
今頃は、彼の地で正信さんと「百姓夜話」でもお話されているでしょうか。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌
▲▼写真には、今は亡き、春秋社・前社長の澤畑吉和さんのお姿も・合掌
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※福岡正信著(じねん道編集)『百姓夜話 自然農法の道』春秋社2017年
編集の秘話としては、百姓夜話の表紙の「月」のカラーは、
フランスの素朴派の画家アンリ・ルソーのイメージにして欲しいと装丁をお願いしました。
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