事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「検察側の罪人」(2018 東宝)

2018-09-26 | 邦画

むかしからの読者ならご存じのように、わたしは木村拓哉に夢中だ

二宮和也についても、若手の中では稀有なほどの演技力だと感服しています。このふたりが共演し(ジャニーズとしては重い決断だったと思う。世が世ならSMAPと嵐を共演させるメリットなどどこにもないし、今回はテレビ局の資金も当てにしていないのだ)、あろうことか脚本と監督が原田眞人だという。

駆込み女と駆出し男」「日本のいちばん長い日」でマイベストのワンツーを独占したあの人。となれば、嘘だろう観なければ「検察側の罪人」。

でもわたしはほとんどスルーしかけていた。理由がある。以前、雫井脩介の原作を読んでいた途中で

「あ、これはいかん」

と放り出してしまっていたのだ。粘着質のわたしにしてはめずらしい。雫井は「犯人に告ぐ」がすばらしかったし、同じ大学同じ学部の後輩なので(笑)応援しているのに。

それは、主人公の検事が“ある行動”をとるからで、さすがにこれは無茶だろうとギブ。作品のキャッチフレーズのように、明らかに一線を越えている。映画でも検事役の木村拓哉は、容疑者の家宅捜索の際に“それ”を行う。にとどまらず彼は……

権力者であり、体制そのものである検察官が、正義から逸脱するというなら、よほどの仕掛けを用意してくれないと。しかし結果的に、この映画はそこんところに意識的でした。

冒頭、検察の暴走が何を生むかについて、当の木村拓哉を教官役に、新人(二宮和也)たちに叩きこむ場面からスタート。このシーンがあるから、誰が「検察側の罪人」なのか、なにゆえに罪人に落ちるのかを観客にはっきりと示している。それが必然だというのではなく(このあたりで評判が悪いらしい)。

演出のシャープさに恐れ入る。息子(原田遊人)の編集の冴えもあってか、画面が弾む弾む。くわえて、原田監督作品でいつも不思議に思うのは、日本の役者層ってこんなに厚かったっけ?と思い知らされることだ。以下次号

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