原題は「ロイ・ビーン判事の生涯と時代」まさしく、まさしく。
法が制定されていても、そのチカラがまだ及ばない“荒くれ者とガラガラヘビしかいない”19世紀末のテキサス。「おれが判事をやる」と自称しただけで判事となった男の人生。
監督ジョン・ヒューストン、脚本ジョン・ミリアス(戦争オタクのあぶない男。「地獄の黙示録」は彼の脚本)、主演ポール・ニューマン(ミリアスとは正反対にリベラル)、共演にジャクリーン・ビセット(70年代初頭に中学生だった人間にとって、世界でいちばんきれいな人だと思ってました。フェイ・ダナウェイはまた別の方面)、ロディ・マクドウォール(オリジナル「猿の惑星」におけるコーネリアス)、エヴァ・ガードナー(この人にはネイティブ・アメリカンの血が流れているとか)、アンソニー・パーキンス、そしてネッド・ビーティ(存命ですっ!)。古くからの映画ファンには涙がちょちょぎれる(昔の映画評論における流行語)メンツがそろっております。
映画のスタイルとして、ロイ・ビーン自身の気持ちは(歌姫エヴァ・ガードナーへの憧憬をのぞけば)あまり描かれず、まわりの登場人物がカメラに向かって語りかけるなどして描かれる。ジョン・ヒューストンの余裕だろうか。
ラストまで一度もひげを剃らないロイ・ビーンはけっこう間が抜けていて、しかし正義を完遂するという意欲だけは(空回りしつつも)旺盛だ。
黒人やメキシコ人を殺しても罪に問われない時代に、ビーンは怒りをこめて悪者たちを高く吊るし続ける。メキシコ人の少女を愛し(ジョン・ヒューストン自身も年の離れたメキシコ人女性と晩年に暮らしていた)、流れ者が連れてきた黒熊とも同居し、しかしそのいずれもを失い、ロイは悲嘆にくれる。
これまで気持ちが描かれてこなかったからこそ、彼の哀しみは胸に迫る。まして、少女はロイの子を産んだために亡くなってしまったのであり、彼はそのために二十年も行方知れずになってしまう。
彼が町に帰ってきてからの展開は、正統派西部劇のドンパチ。任侠映画のようでもある。奇妙な味わいのウエスタンではあるけれども、心に残るいい映画でした。
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