第二十二回「京よりの使者」はこちら。
コロナがらみでドラマの収録はえらいことになっているとか。だから先週の台風でオンエアが吹っ飛んだのは「麒麟がくる」にとってもっけの幸いだったかもしれない。でも半沢直樹はどうだろう。生放送をかます、ってのには意表をつかれた。
大昔のテレビは、当然のこととしてドラマは生放送だったし、おかげで数々のエピソードが生まれた。でもわたしの世代になってから、そんなバカなことをするのは久世光彦が主導した「ムー」とか「ムー一族」ぐらいだったと思う。思えば『ドラマのTBS』の真骨頂だったわけだ。
こんなの舞台人やバラエティの人たちでなければ対応できないわけで、そういえばムーは郷ひろみ、伊東四朗、そして樹木希林というメンツだからむしろOKだったろうし、半沢直樹もそれに加えて歌舞伎や東京乾電池(笑)の人たちがメインをはっている。実力があるキャストがそろっていないと実現できない話。すみません見てないけど。
じゃあ「麒麟がくる」はどうだろう。大河こそ実力派をそろえているわけで……ああ時代劇で生放送ってスタッフは地獄だな。それでも滝藤賢一や吉田鋼太郎の半沢組はいるし、スタジオの広さをNHKは誇っているんだからさあ、と夢想したりもします。
だいたい存在がバラエティである(しかも久世光彦の「時間ですよ」で歴史に残る)堺正章はその方が生き生きとするんじゃないか。
さあ今回は足利義輝のような原理主義者の敗北が描かれる。三好とか松永とかと将軍家の関係って日本史知らずのわたしにとっては苦手な分野なんだけど、この人は“麒麟がくる”ような正しい世をめざしていたはず。しかし……
明智光秀が麒麟となりえるにはまだ時間がかかるし、と視聴者に予感させた回。光秀自身も原理主義者で、その反対側にいた人物もグイッと出てくる。
「夏は終わった」
と自分の人生を総括する義輝を演じた向井理が意外なほどいい。佐々木蔵之介の猿っぷりもさすが。あ、そうだ。生でやったときにトラブったら、石川さゆりに歌ってもらえば……ってわたしこそテレビをなめてますか。どうもすみません。
第二十四回「将軍の器」につづく。
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