今回の旅では、鯖街道を北から大原の方へ入っていたので、京都の美しい北山杉をたくさん見ることができました。
とても良く管理された杉林が続き、群馬ではなかなか見られない光景でした。
ところが、京都からの帰り道、白川郷に寄って飛騨高山を抜ける山道を通ると、山奥にあるほぼ天然の杉の木の形もあまりにも綺麗であることに驚かされました。
車を停めて写真を撮るまではしなかったので、下に白川郷の杉林の写真を載せますが、こうした管理はまったくされていないはずの杉の木の枝振りが見事にどれも整っているのです。
生き生きとした自然界にあれば、こうも美しいものかと驚かされました。
それが華奢な貴婦人のような北山杉を見たあとであっただけに、ひと際たくましい美しさに見えたのです。
以前、東北に行ったおりに見た秋田杉の美しさにも圧倒されましたが、秋田杉の場合は、妻が「まるで兵隊さんが並んでいるようだ」と言っていましたが、あまりに整然としたたくましさが際立ち、天然林の美しさとはやや趣が異なります。
人間によって管理されているわけでもないのに、樹形が美しくなることの不思議は、松の木でも感じていました。
わが家の庭木のなかでも松の木ほど剪定に手間がかかるものはないのに、自然に生えている松の木は、剪定など一切していないのにもかかわらず、どうしてかくも美しい枝振りが維持できているのかと、いつも不思議に思っていました。
それと同じ印象が、天然の杉の木でも今回強く感じられたのです。
山の奥へ行くほどに、広葉樹の間に僅かに並び立っている杉の木の先端は、見事な三角形を成しており、下に下がっても決して群馬の杉のようにボサボサであったり、一部の枝が垂れ下がっているようなこともありません。
どれもきちんとした尖った三角形の樹形を見事に保っているのです。
冬に重い雪をかぶり、弱い枝が振り落とされる厳しい自然にさらされているからこその美しさなのでしょうか。
どうもわかりません。
妻が杉の管理にいかに職人が手間をかけているかの情報を教えてくれました。
http://www.rakusaigroup.jp/kitayamasugi/care.html
北山杉や秋田杉がこうした手間をかけていることはわかります。
ところが、今回は飛騨の山奥のおよそ管理された杉林とは思えない場所の杉の木が、見事な美しいかたちをしていることに驚かされたのです。
それに比べると、普段わたしたちが目にしている群馬の杉の木は、あまりにもみっともないボサボサの樹形をしています。
上の写真は、朝の犬の散歩のときに撮った近所の杉の木ですが、およそ群馬の杉はどれもこんな感じになります。
杉の木というのは、本来、先端がきちんと尖った三角形であることをコイツに誰か教えてあげたことがないのでしょうか。
三角形などという形は聞いたこともないとでも言わんばかりに、ボサッと育った形。
誰かに一度も注意されたこともないのだろうか。
いくら経済林としての管理がされていないとはいえ、もう少し飛騨の山奥の天然林を見習うことはできないものだろうか。
そもそも同じ杉でも樹種が違うのかもしれませんが、誰から注意されることもなく、生まれてこのかた教わることもなく育っているので、これが群馬らしい勝手気ままな姿だと言えるのかもしれません。
でも、いつかは群馬オリジナルとでも言えるような、華奢な北山杉でもなく、兵隊さんのような秋田杉でもない、林業振興だけに頼らない飛騨高山の山奥の杉の木亜種のような群馬らしい力強さを持った枝振りの杉になってみせたいものです。
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