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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

著作物の占有権と利用権

2008年04月23日 | 出版業界とデジタル社会
このところ最大大手SNSであるmixiの利用規約 第18条をめぐって
多くの利用者からmixiへの不審へつながる議論が沸騰しています。

私の知り合いのなかでも、WEB上の情報発信に熱心な人ほど
このことへの憤りは強いようです。

mixi側はいろいろな誤解をうんでいることの弁明をしてますが、
この条文の表現が残る限り、誤解は避けられないだけでなく、
やはりこちらが防衛策をとらざるをえなくなる。


mixi利用規約
第18条 日記等の情報の使用許諾等
1 本サービスを利用してユーザーが日記等の情報を投稿する場合には、ユーザーは弊社に対して、
当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、
展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)を許諾するものとします。




ただ、こうした論議のとき、いつもぶつかる問題なのですが
「著作権」という現状の権利そのものについては、多くの誤解があるので
議論がどうしても混乱してしまうようにみえてしまいます。

著作権を問う場合、私の考える大前提があります。

誤解を畏れずに言えば、それは
「情報そのものは、本来タダ(無料)である」
ということです。

情報そのものは、本来は人類の公共財であって
アマゾンやグーグルが目指しているように
世界中のあらゆる人びとが、所得や身分(さらには言語によっても)
制約されることなく利用できることがまず基本とされるべきであると思います。

しかし、現状の著作権はそのような考え方は前提とされていません。

わたしもうまく整理できないのですが、
本来無料の公共財であるべき情報は、現状では
それが独占、秘匿されることによってのみお金を取ることができる。
このことを最大命題にしています。

このお金を取るための「独占権」、「秘匿権」を著作権として保護しているのであって
知的情報だからといって、それは必ずしも知的財産の情報価値を表現しているものではないということを忘れないでほしい。

この辺の問題を私はきちんと説明する能力はありません。
しかし、
独占・秘匿ということは、
情報そのものの公共性という本質と相反するものです。

以前、このことは書いたことがあるのですが
(どこに書いたかみつからない)
出版界で著作権を声高に主張しているのは
主にベストセラー作家が中心です。

彼らにとって、何万部の著作によって得られる収入源が減ることは
大きな打撃になることが間違いないからです。

しかし、その隣で、多くの無名作家たちは
タダ(無料)でもいいから、
より多くの人に自分の作品を読んでもらいたい
と思っています(もちろんすべてではありませんが)

こうした違いが出てくる原因に
私はやはり「著作権」というものが
「情報の価値」に対して支払われる代価=権利ではなく
その情報の独占=占有権に対して払われる権利であるということがあるのだと思います。
つまり、独占、秘匿したものの公開度のカウント収入が基本だということです。

したがって、カウント数にこだわる著作活動ほど収入につながり、
量よりも質にこだわる創作活動は、必然的に収入にはつながらない。

情報の価値に対して払われるのであれば、
それは、利用する個人によってその評価はバラバラであるので、
その価値を感じる側によって代価は決められるべきものです。
著作権はこのところには関与していません。

著作権とは、そもそもそうした性格のものではないからです。

しかし、
これまでは、売り手側の製造コストのみによってものの価値は決定されてきましたが、
これからは、それを無視することはできないものの、
圧倒的部分は利用者側の価値判断が優先する時代になってきています。

このことは私のホームページのなかで、まだまとまりきれていない文ですが
「質」は「量」によってしか表現しえないのだろうか
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page128.html
という文でもう少し詳しく問いかけています。

この点について詳しくはまた改めて書きたいと思います。

このことと、もうひとつ
無料であるべき情報の使い方で
たとえ無料で提供されるべき公共財であっても
その情報の所有権はきちんと保護されるべきだということです。

特定の個人の所有する情報を
無料で利用する権利と
有料で利用する権利に分けるしくみが
もっと原理上から明確にする必要があるのではないかと思います。

たとえ無料の情報であっても
ネット上でリンク、引用元をきちんと銘記するマナーがあるように
有料化の道を選ばなくても
その情報の所有権の所在は明記されることが基本であると思います。

その所有権が、複数の人の手を経ている情報であると
どこに所有権が存在しているのかといったことは、
今回のmixiでの問題だけでなく、公共性の高いプラットホームを個人が利用する場合、
これからさらに難しい問題が出てくるとは思います。

経済的利害に先行されない、個人の知的所有権というものが
とても大事になってくる時代なので、
もっともっとこのことは活発に議論すべき大事な問題ではないでしょうか。



現状では、知的財産、著作権や特許などを個人が所有していても、
その権利を守り抜くことがとても難しいために
個人は企業などにそれを売り渡してしまった方が楽である場合が多いということも聞きます。

現行の著作権法は著作者個人の権利保護より、
組織・団体がそれを利用して利益を上げることを目的に制定されているとしか思えない。




最低限として著作権の帰属は作者本人のみとして
譲渡・相続は認めず一代限り、組織・団体などによる所有は禁止にして
権利代行のみに限定して欲しいと思う。
共産国中国が著作権の存在を認めてしまったのは返す返すも残念な出来事だった。
(私のあるmixiの知り合いはこんな意見を書いてくれました )




情報の所有という概念については、既に次の時代がはじまっているのです。

出来る限りオープンな、情報の「利用権」といった考えに
世の中もシフトしていかなければならないのではないでしょうか。

土地、お金、情報などの問題に共通した大変化が
これから10年以内に起こる予感がします。

また著作権法は5年以内に抜本的な考え方を変えないと
現実の問題に対応できなくなるような気がしてなりません。



ちょっと最低限のことだけ、
メモがわりに記しておきます。


  正林堂店長の雑記帖 2008/3/13(木) より転載
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