細越麟太郎 MOVIE DIARY

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●『小さいおうち』の昭和への回帰と現代のズレ。

2013年11月29日 | Weblog

11月26日(火)12-30 築地<松竹本社3F試写室>

M-149『小さなおうち』(2013)松竹映画・文藝春秋・テレビ朝日

監督・山田洋次 主演・松 たか子 <136分>配給・松竹株式会社 ★★☆☆

「東京家族」の印象を引きずるように、タイトルも最初のカットワークも小津安二郎の映画のようだ。

しかし中島京子の原作に惚れ込んだという山田監督は、その昭和初期という時代設定にこだわりを見せて、前半はもたつく。

というのも、あの時代は天国から地獄へと、社会生活が急速に転落した時代で、その特殊な状況説明に時間をかけすぎなのだ。

だから主婦の松 たか子の心理状態と片岡孝太郎夫婦関係。ましてや吉岡秀隆と夫との三角関係、それに女中の黒木 華との位置などが平板で波がない。

しかも、その女中の死によって浮き上がる筈の、あの昭和という時代と、家族の肖像が、いつまでたっても魅力がない。

なぜか現在の倍賞千恵子の老婆と、女中時代のイメージが一緒にならない。それではドラマに軸がないように、曖昧なままに終始した。

これは演出というよりもキャスティングの問題だろうが、誰が主役で、誰が見た昭和の家族なのかが、どうも不鮮明なままなのがもどかしいのだ。

もしルイス・ブニエルの「小間使いの日記」のようにするのなら、もっと女中目線で強く三角関係を見つめてほしかった。

孤独死した女中の遺品に、未開封だったラブレターがあったというなら、ディターレの「ラブ・レター」や、シラノ・ド・ベルジュラックといういい先例もあった。

しかし映画は、あの昭和と今の平成を行ったり来たり。だから、またしても妻夫木青年の「泣き」があっても、さっぱり実感がないのだ。

これだけの長尺になったのは、ふたつの時代を描いたせいだろうが、そのタイムスリップには、どうもテンションが低すぎたようだ。どうせなら、もっと現代風の辛辣な視線があってもよかったのに。この原作では、無理かな。

それにしてもどうせ回想映画にするのなら、木下恵介先輩のように、恥かしげもなく、松竹映画伝統の大涙映画にすればよかったのに、残念だ。

 

■ファールでフルカウントまで粘ったのに、見送り三振。

●来年1月25日より、全国松竹系で公開