細越麟太郎 MOVIE DIARY

最新の映画情報や批評を掲載します。

●『雨の日は会えない、晴れた日は君を思う』が、曇りの日はどうする?

2016年12月31日 | Weblog

12月21日(水)10-00 渋谷<ショウゲート試写室>

M-164『雨の日は会えない、晴れた日は君を思う』" Demolition " ( 2015) Twentieth Century Fox Film Corporation , TSG Film Entertainment  

監督・ジャン=マルク・ヴァレ 主演・ジェイク・ギレンホール、ナオミ・ワッツ <101分・シネマスコープ> 配給・ファントム・フィルム

通勤のためにマンハッタンに向かうジェイクは、妻の運転する車で日常会話をしていたが、突然、交差点から飛び出して来た車と衝突し、妻は即死してしまった。

とくに充実した夫婦生活ではなかったが、突然の事故で妻を失った彼は、その後の警察との聴取やら、葬儀のことで親族と相談したりして、悲しむ暇などないのだ。

しかし、やっと埋葬後に独り身になってから、彼は妻をそれほどは愛していなかった・・・という自覚に戸惑ったが、義理の父のクリス・クーパーは、その彼に不満を持った。

先日見たばかりの、「誰のせいでもない」や「エリザのために」もそうだったが、家族や妻を急に失ったり、家族のトラブルに突然遭遇すると、誰でもショックで放心してしまう。

この映画の長ったらしい邦題には閉口するが、これは妻が残していたメモの走り書きであって、原題の<デモリション>は、単純に<破壊>のことだという。

現実の生活が突然に<破壊>された場合、普通なら<修復>するのだろが、この映画のテーマは、過去の価値観をすべて<破壊>してしまうしか、心は修復できない・・・というのだ。

映画はその心理障害のジェイクの心情を淡々と描いて行くが、病院の自動販売機でトラブルが起きたときに、彼はキレてしまって自販機に打ち当たり、処理担当のナオミ・ワッツにクレームを言う。

彼女は彼女で、離婚と子育てと貧困などで、やはり情緒が不安定だが、もともと陽気な性格なので、ジェイクとは精神的な打撲傷をいたわりつつ親しい時間を持つ様になる。

そのことで面白くない上司で義理の父のクリスとは口論してばかりで、ついにジェイクは未払いの実家の家具や家電を徹底的にぶちこわし、とうとう家の壁やドアをも破壊してしまう。

つまり、映画の原名の<デモリション>とは、この暴力的な破壊行為のことで、このことで、<過去の幸福>とは訣別して、新しい価値観を作らなくては・・・幸福などない。ということらしい。

監督は前作の「ダラス・バイヤーズクラブ」でも、思い切った演出でアカデミー賞にノミネートされて、主演のマシュ・マコノヒーは見事にオスカー受賞したが、ここでも想定外な突発型演出。

前作「サウスポー」で、ボクサーの体型を作ったジェイクは、ここでもマッチョな体力で家具や家財や、壁や窓などもひとりで破壊してしまうキレた暴力漢を演じてみせる。

とかく、都会人はとかく疲労過多で<キレやすい>と言われるが、このように犯罪にならない<自己破壊>というのは、たしかに自己の価値観を替えるには、いい手段かもしれないが、ま、これは映画のはなし。

 

■強引な強打でサードのグラブを弾いて、ツーベース ★★★☆☆ 

●2月18日より、渋谷シネパレスなどでロードショー 


●『エリザのために』漂白されたような小都市と家族の気弱さ。

2016年12月29日 | Weblog

12月20日(火)12-30 京橋<テアトル試写室>

M-163『エリザのために』" Bacalaureat " (Graduation) (2016) Mobra Films / Why Not Productions / Wild Bunch / Canal + ルーマニア

監督・脚本・クリスティアン・ムンジウ 主演・アドリアン・ティティエニ、マリア・ドラグシ <128分・ビスタサイズ> 配給・ファインフィルムズ

ハイスクール卒業試験を控えて、ロンドンに留学を志望しているエリザの家で、突然、朝食のキッチンが、投石で窓ガラスが割られる。

ルーマニアというのは、東欧でもハンガリーの東で、ブルガリアの北という、われわれには認識の薄い東欧の国で、このクルージュという地方都市は首都ブカレストの北。

肌寒いような色彩感のない田舎町で、街にも歩く人影の少ないが、誰が何のためにエリザの家の窓ガラスを割ったのか。

受験を控えて、エリザの母親は病弱でベッドに寝たきりで、父は地方病院の医師だが、若い女性教師と浮気をしていて不在がちという冷えた家族。

学校へエリザを父は車で送るが、その直後に彼女は暴漢に襲われて、その男は行方不明という事件が起きてしまい、父親のアドリアンは警察に呼ばれて、事情を聴取される。

ドラマは、それを起点にして、5日後のエリザの卒業式までの一家のトラブルを徐々に描くが、ほとんどは事件のために奔走するオヤジの苦難をドキュメンタリー・タッチで描く。

いまや、グザヴィエ・ドランと共に、もっとも注目されているムンジウ監督は、あの「4ヶ月、3週と2日」のように、非常にクールなタッチで、この日常のトラブルを見つめる。

面白いのは、その事件処理で奔走する父親の対応で、その行動の時間のなかで、警察署長や副市長や、試験委員会とか、日常的に対面する連中が、おしなべて<アバウト>なのだ。

個人の生活を描いているのに、見えてくるのはルーマニアという国の実状の貧困状態aで、この街から脱出したがっていたエリザの希望と、暴行の頻発などが、どんどん露出する肌寒さなのだ。

これは先日見た、ドラン監督の「たかが世界の終わり」に共通している家庭の崩壊と、中小都市の秩序の混迷が色濃く描かれていて、まさにミヒャエル・ハネケの感触の冷たさだ。

カンヌ国際映画祭で、ことしの監督賞を受賞したムンジウ監督の手堅い演出と、社会への悲観はかなりゾクゾクと肌寒いし、映画的な迫力は、まるで上質ミステリー。

 

■前進していたレフトの後方へ抜けるスリーベース。 ★★★★

●正月1月28日より、新宿シネマカリテ他でロードショー

 

●『ネオン・デーモン』厚化粧なハリウッド・モデル界の栄光と転落戯画。

2016年12月27日 | Weblog

●12月16日(金)13-00 外苑前<GAGA試写室>

M-162『ネオン・デーモン』" The Neon Demon " (2016) Space Locket / Gaumont / Wild Bunch / Vendian Films

監督・ニコラス・ウィンディング・レフン 主演・エル・ファニング、キアヌ・リーヴス <118分・シネマスコープ> 配給・GAGA

衝撃的なロスのタクシー・ドライバーを描いた『ドライヴ』のニコラス・W・レフン監督の新作なので、狭いGAGAの試写室は、またしても開場と同時に満席。

またもロサンゼルスのハリウッド地区の、あの悪魔的な泥酔地獄を描いて、見た直後の印象は、まさにデヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」のようにクレイジー。

あの映画界のサクセス・ストーリーのように、この作品ではジョージア州から出て来た田舎娘エルが、ロスのファッション界の新人モデルとして業界で伸し上がって行く。

たしかにフレッシュな美女だが、実は整形美容で作られたプラスティック美貌であって、あの「エクス・マキナ」のミュータント・ビューティのような、人間性の欠如が無表情な、マヌカンの冷たさ。  

ストーリーは毎度よく見るハリウッドの出世と転落もので、別に新しくはないが、その栄光と転落への図式が、どこかリンチや、スタンリー・キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」のようでキワドい。

そこをファッション・モデルのカラフルで、いかにもグラフィックな絵空事としてパラパラと見せて行くので、マジに見ていると、かなり危なっかしくてニセモノっぽいので面白いのだ。

ま、あの「ドライブ」で斬新なスピード映像感覚を見せたレフン監督なので、そこはハリウッドの底なしなコマーシャル地獄の裏側を華麗に見せていて、けっこう笑える愉しさがあった。

とくにモデル達の定宿ドライブインのオーナーを演じているキアヌ・リーブスが、まるでヒッチコック監督の「サイコ」のベイツ・モーテルの、クレイジーなアンソニー・パーキンスをパクっていて笑えるのだ。

ま、カラフルなファッション・モデル界の栄光と、そのあっという間の転落地獄をペラペラと見せて行く様子は、バレリーナの地獄を描いた「ブラック・スワン」とも対比されて当然だろう。

おそらく監督の狙いだろうが、主演のエル・ファニングがいかにも薄っぺらな田舎娘であって、線香花火の輝きのようにあっという間なのが、狙いにしても軽すぎた・・・のが残念。

 

■フラフラ上がったセカンド後方のフライを3人の野手が譲ってヒット。 ★★★☆☆

●2017年1月13日より、ロードショー 


●『Retorospective追悼特別展・高倉健』は嬉しくて、2度見てしまった。

2016年12月26日 | Weblog

12月14日(水)15-30 東京駅丸の内北口・改札前<東京ステーションギャラリー>

★『追悼特別展・高倉 健*Retrospective Ken Takakura 』主催・東京ステーションギャラリー、毎日新聞、高倉プロモーション

<特別開催展示・11月19日より、2017年1月15日まで>日時指定完全予約制・特別協賛・健康家族

亡くなられて早くも2年目の命日を忍んでの特別展示なので、まさに大ファンとしては、2年後の告別式に出席するような特別な気分で会場に初めて行った。

東京駅北口の改札ホールの横には、2人の警備員がいるだけで、自動ドアを入ると3階にエレベーターで案内され、暗く狭いスペースでは若き日の健さんの映像が迎えてくれる。

まるで昭和の暗い映画館のような会場には、若い健さんの映像と声が流れて、ドアを開けて次のスペースに入ると、やはり東映映画の若かりし健さんの映画が上映されていて、数人の客。

次々に自動ドアを開けて進むと、おおおーー、あの「昭和残侠伝」の花田秀次郎が、白刃のドスを振り回して座敷の中で暴れているではないか。

懐かしいシーンだが、当方は、すべて9作のシリーズはDVDで持っているので、その場は通過して次のスペースに入ると、「幸福の黄色いハンカチ」のラストシーン。

そして次のコーナーでは「駅・ステーション」「鉄道員」などのシーンがスクリーンでクライマックスを迎えていて、多くの鑑賞者が熱心に見入っている。

そこで、やっと、あああーー、これを見せるために、この東京<ステーション・ギャラリー>を会場に選んだのか・・と、納得したが、多くの資料は室内が暗いので、よく見えない。

それでも健さんのファンにとっては嬉しいスペースの連続で、もし時間に余裕のあるファンの方なら、始発から終電までの時間を、このギャラリーの映像で過ごせるのだろう。

一通り鑑賞して、出口のドアを出ると、そのラスト・ルームには、東京駅のグッズと共に、健さん出演のほとんどのDVDやスチール・ポストカードが並び、記念の写真集もある。

立派な洋書のようなB-4サイズの、大きな分厚い写真集は4000円もするので、その日には重い荷物になるのでパスしたが、やはり、どうしても欲しくて後日に再挑戦して買った。

ま、昭和の最後の大スターには、マーティン・スコセッシ監督や、ロバート・デ・ニーロの言葉もあり、みな一緒に仕事をしたかった・・・と綴っている。

それって、初夢で、ぜひ見てみたいなー。

 

■1月15日までの開催で、完全予約制なので、一般1300円で、0570-063-050に電話か、ハローダイヤルに、03-5777-8600にお電話すると予約できます。 


●『海は燃えている*イタリア最南端の小さな島』はいまの現実悲劇の<飢餓海峡>だ。

2016年12月25日 | Weblog

12月14日(水)13-00 京橋<テアトル試写室>

M-161『海は燃えている*イタリア最南端の小さな島』" Fuocoammare " (2016) 21 Unoproductions / Stemalentertainement/ Les Filmsdlci

製作・監督・撮影・ジャンフランコ・ロージ <114分・ビスタサイズ> 配給・ビターズ・エンド

あのグレゴリー・ペックが主演した「ナバロンの要塞」は、60年代当時に大ヒットした戦時中サスペンスだったが、そのナバロンというのは地中海にある島。

地形的にはイタリアのシチリア島と南アフリカのチュニジアのジェルバ島などの間の狭い海峡は、地中海の関所のようなところで、海峡をヨーロッパに抜けるにはどうしても通らねばならない。

その狭い海の通路をめぐっては、とくに大戦のときにはドイツ軍のアフリカ侵攻には重要な関門だったから、そこでは連合軍とで多くの戦闘が行われたが、そこにまた問題が起きた。

というのも、中東アラブやアフリカの難民たちが、この数年は過激な戦闘を逃れて、この海峡を抜けてヨーロッパ各地に亡命を試みては、いまも重要なテロ事件をまき起こしている。

イタリア最南端のランペドゥーサ島は、マルタ島よりも南アフリカのチュニジアに近く、いつもはささやかな漁業で5千人ほどの住民が平和に暮らしている楽園なのだが、最近は大変。

というのも、多くの難民たちが夜間に海峡を無届けに通過するものだから、イタリア政府は検問所を設置して、一応検査のために難民を拘留しているのだが、その数は半端でなく、餓死者も多いのだ。

このドキュメンタリー映画は、そのような現状を捉えているが、とくに政治的な意図はなく、あまりにも異常な、この悲劇的な現実を、島の平和な少年達の遊戯を対象的に描いて行く。

12才になる島の少年は、いつものように樹々を集めてはパチンコを作り、鳥の巣を狙い、おばあさんは島のDJにリクウェストを電話して、家事のあいだに好きな曲を愉しんでいる。

監督は、あのイタリアの名監督のフランチェスコ・ロージとはカンケイないようだが、彼ほどの政治色は見せないで、こののどかな島の暮らしぶりと、悲惨な難民たちの生と死を対比するのだ。

このことで、いま世界各地で頻発しているテロ事件の引き金になっているアラブ系の脱出難民と、多くのアフリカ人逃亡難民たちの<飢餓海峡>をランダムに見せて行く。

その映像作業で、見た人は何を感じるのかは、最後まで意図して見せないが、同じ小さな島で戯れる少年と、その瞬間にも空腹と熱病で死んで行く多くの難民をカットバックしていくのだ。

 

■左中間へのゴロを、レフトがもたつく間にツーベースに。 ★★★☆☆

●2月11日より、渋谷Bunkamuraル・シネマほかでロードショー 


●『人類遺産』で見せられる<そして誰もいなくなった>風景。

2016年12月23日 | Weblog

12月12日(月)13-00 渋谷<映画美学校B-1試写室>

M-160『人類遺産』" Homo Sapiens " (2016) Nikolaus Geyhalter Film produktion GmbH / NGF / Film Institut / ORF / オーストリア

製作・監督・撮影・ニコラウス・ゲイハルター <94分・ビスタサイズ> 配給・エスパース・サロウ

いずれ、何かの原因で人類が地上から消えてしまったら・・・という発想で撮られたドキュメンタリー映画だが、それに関してのコメントは一切ない。

たしかに、これも映画というシステムを活用しての、ひとつのメッセージであり、仮説であり、ジョークであり、シニカルな荒廃ビジュアル・ライブラリーでもあろう。

よくテレビのニュースや、被災地の写真などで目にする殺風景な静止映像のように、この映画では、かつて多くの人々で賑わった場所の荒廃した<シャッターアイランド>の実態を見つめるのだ。

昔のSFで、例えば、スタンリー・クレイマーの『渚にて』のシドニーとか、『地球最後の日』のマンハッタンとか・・・、人々がまったく消えてしまった映像は、よく見せられた。

あれは原爆に汚染された空気の影響とか、巨大彗星の接近で海水が巻き上げられたりするSFのフィクション映像で、一種のトリッキーな映像処理だった。

しかしこの作品の映像は、何かの人為的な理由で人がいなくなってしまったか強制撤去や、不景気で倒産してしまったアミューズメント・パークなど・・・空虚映像の連鎖となる。

福島の地震による原発汚染で、ひとのいなくなった市街や、商品が散乱しているコンビニの店内など・・・最近見慣れた風景が、スケッチ的に15秒くらいの感覚で続くのだ。

それは世界各地の、崩壊した寺院や、公共施設や、学校の教室や、巨大な団地や、エアポートの通路や、軍艦島の高層団地や・・・、とにかく荒廃した場所の映像が展開する。

当然、そこに何かのメッセージかナレーションか、悲壮なマーラーの音楽か、昔の群衆の騒音とか笑い声とか、・・・何か映画的な効果音があると思っていたら・・・何もない。

聞こえるのは、すきま風の音とか、迷い込んだ鳥の羽根音とか、カーテンを揺らす音など、その実際の現実音だけで、94分もの長い時間、われわれはその荒廃のなかにジッとしている。

たしかに目にするのは、かつての人間たちの活気ある生活空間なのだが、その誰もいなくなった空間には、まるで未来派のSF映画や、ロイ・アンダースン監督「さよなら人類」の気配がある。

一切の音楽やメッセージを拝して、この荒廃の風景を見て・・・さあ、あなたは何を感じるかは、おそらく監督の意図した、かなりシニカルな人類滅亡論なのだろうか。

たしかに、わが国の出生率も、また低下して、確実に人間の数は減る一方で、風水害や事故で人間の数は少なくなって行く・・・という悲壮な未来図を、この映画では陳列してくれる。

 

■またしても、大きなセカンドフライが、ドームの天井に消えたツーベース? ★★★☆?

●2017年2月下旬、シアター・イメージフォーラム他でロードショー 


●『たたら侍』に見られる日本の名刀に賭ける職人の気概がシブい。

2016年12月21日 | Weblog

12月12日(月)10-00 六本木<アスミック・エース試写室>

M-159『たたら侍』(2016) エグゼクティブ・プロデューサー・EXILE HIRO

製作・監督・錦織良成 主演・青柳 翔 AKIRA 小林直己 <135分・ビスタサイズ> 

1300年も前の戦国時代、奥出雲で培われて来た<たたら吹き>という、純鉄の製法は、三日三晩も火を絶やさずに叩き作られて来た伝統の製鉄技術であった。

その技法によって叩き作られて来た日本刀は、他には例を見ない鋭利にして強度な資質を持って織田信長などにも信望が熱く、日本屈指の名刀として羨望の技法だったという。

若い職人の青柳は、名刀の技法を身につけつつも、一生をその山奥の村での名刀職人として生きる事に疑問を持って、多くの若者のように村を出て、サムライになろうとする。

しかし多くの苦難の末に戦国の戦いのなかでは、とても生き抜いてはいけない厳しい現実を知り、命からがらで奥出雲の村に逃げ帰って来たのだ。

そして戦渦の時代は激化して、名刀だけでなく火筒といわれる火縄銃の要求が多くなり、新たに製造を始めるのだが、しだいにその火器を狙って賊が進出するようになったのだ。

そこで青柳らは、村の若者たちを集めて、自衛の為に砦を囲み外敵の襲撃を防ぐ為に、村の要所要所に罠をはり、不測の襲撃に備える準備を始めたのだ。

ま、黒澤明の名作「七人の侍」の村人たちのように、自衛の為に戦いの準備をするのだが、あの映画のように落武者侍たちを雇うほどの予算もなく、そこは自衛手段を用意するしかない。

映画はその素朴な山奥の村人たちの質素な日常を描き、地の利をいかした戦闘シーンなどにも、かなり迫力のある映像で、久しぶりに本格時代劇の迫力を後半に見せて来る。

「日本人の心に帰り、日本人の原点を伝えたい・・・」という製作コンセプトで製作されたという点で、とくにエンターテイメントに走らない姿勢は伺えた。

その辺の気概と、時代色をいかしたリアリティが、モントリオール国際映画祭のワールド・コンペティション部門で、最優秀芸術賞を受賞したというから、ご立派な成果である。

エグザイルのHIROさんが中心になって、リアルな日本サムライの魂を描こうとしたスタンスは、ちょっと堅すぎたようだが、ここに<日本人の魂>の原点を探ろうとした意欲は感じられた。

 

■手堅い粘りでフルカウントからサード強襲ヒット。 ★★★☆

●2017年、初夏、全国公開予定 


●『アイヒマンを追え!』は、まさに50年代の傑作ノワール・サスペンスのタッチ。

2016年12月19日 | Weblog

12月8日(木)13-00 京橋<テアトル試写室>

M-158『アイヒマンを追え!』" Der Staat Gegen Fritz Bauer " (2015) Zero One Film , Beta Film, Thelz Film Production

監督・ラース・クラウメ 主演・ブルクハルト・クラウスナー、ロナルド・シェアフェルト<105分・シネマスコープ>配給・クロックワークス・アルバトロス・フィルム

なぜか、また最近はドイツの戦犯だったヒトラーや、アイヒマンに関する映画が多いが、「アイヒマン・ショウ」に次いで、またもあの逃亡犯に関する新作の登場だ。

あのアウシュヴィッツ収容所での、ユダヤ人捕虜を大量に処刑した実行高官として、アイヒマンの逃亡に関する映画は、それだけでも数十本は越えるだろう。

悪魔的な虐殺実行命令犯として、戦後に逃亡して姿を消したこともあって、自決したヒトラーよりも、たしかにミステリアスで、映画の素材には格好のミステリー・テーマなのだ。

その関連として暗躍していた<ネオ・ナチ>集団の存在と犯罪は、グレゴリー・ペック主演の「ブラジルから来た男」や、デヴィッド・マメットの「殺人課」などで語られた。

このアイヒマンに関しても、ヒッチコックは「汚名」の中で、ブエノスアイレスに潜む、ナチ高官の逃亡捜索として描いていたほど、実に多くのサスペンス映画の素材となった。

またこの映画でも、フランクフルトに住む検事長ブルクハルトは、高齢で退職を前に体調も優れないのに、まだ執拗にアイヒマンの逃亡先を捜索していた、という50年代後半の実話。

まだ終戦から10年の後なので、当然、ゲシュタポ高官の捜索は続けられていたが、この老捜査官クラウスナーの拘りは、自身がユダヤ人であることよりも、まるで老いた猟犬のように一直線。

アルゼンチンに亡命して、まったく別人として潜航しているというアイヒマンに関しては多くの情報があったが、何しろ地球の反対側での、別人捜査となると、もう迷宮ものなのだ。

それでも絶対にアイヒマンを逮捕して裁判で断罪したいという、この老捜査官の執拗な拘りは半端でなく、映画はまさに実直な名探偵映画のように、ダークでストレートなサスペンス。

まさに見ていて、あの時代のドイツの名匠フリッツ・ラングの「死刑囚もまた死す」の、あのムードなのが実に嬉しく、ユアン・マースの音楽もまるでバーナード・ハーマンの音色。

もう飽きてしまったナチス戦犯映画ではあるものの、この作品はイスラエルの諜報機関モサドの協力を得て、ついにアイヒマンの身柄確保までを、ピンポイントで描ききるのだ。

という意味では、これは事実の戦犯摘発映画というよりは、本格探偵映画のフィリップ・マーロウの傑作を見ているような、あの快適なノワール・サスペンスの感触を持ち得た傑作といいたい。

 

■ファールで粘って、レフト線ギリギリに抜けるスリーベース。 ★★★☆☆☆

●2017年1月、Bunkamuraル・シネマほかでロードショー 


●『マイルス・デイビス*空白の5年間』で明かされる天才ペッターの苦悩の日々。

2016年12月17日 | Weblog

12月8日(木)10-00 神谷町<ソニー・ピクチャーズ試写室>

M-157『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス*空白の5年間』(2015)" Sony Pictures Classics / Bifrost Picteres / Miles Davis Properties / I M Global

監督・主演・ドン・チードル 共演・ユアン・マクレガー <101分・シネマスコープ> 配給・ソニー・ピクチャーズ・エンターテイメント

つい最近、薄幸のトランぺッター、チェット・ベイカーの日々を描いた「ブルーに生まれついて」を見たばかりだったが、あの映画にもチラリと顔を見せていたマイルス。

その彼が、1968年9月に名作「イン・ア・サイレント・ウェイ」というアルバムをリリースしてから、まさに、彼なりに<サイレント・ウェイ>をしたのは1975年だった。

当時は、ロックンロールの加熱していた時代で、さすがにサウンドの<電化>に乗り切ったリー・モーガンや、フレデイ・ハバートなどのジャズ・ペッターは別として、ジャズは変換期を迫られた。

とくに、マイルス・デイビスは、50年代から非常な人気を持続した希代の天才トランぺッターで、続々とヒット・アルバムを叩き出して、まさに<ジャズ・ブーム>の最先端にいた。

わたしも、もろ、青春期にモダン・ジャズの旋風を直撃して、毎晩のように、渋谷百軒店の通りにあったジャズ喫茶<デュエット>に通って、マイルスのサウンドに洗脳されていたのだった。

しかし、会社に入社してニューヨークなどへ出張すると、あきらかに時代は<ビートルズ>や<ストーンズ>のサウンドに占領されていて、ヴィレッジ・ヴァンガードに行っても、エイト・ビート。

だから、この映画のマイルスの<サイレント・ウェイ>のように、自然に聞く音楽もニール・ヤングやジャクソン・ブラウンのように、西海岸の傾向に移行していって、マイルスは遠のいた。

ま、この映画では、その音楽活動を休止していたジャズ・トランぺッター、マイルスの<空白の5年間>を描いていて、とくに時代の流れを苦にするではなく、彼自身の苦悩の日々を抽出している。

スタジオとの長い契約のトラブルや、交通事故による休養、朋友のジョン・コルトレーンの他界や、彼自身の体調不良やらプライベイトな愛情問題、ギル・エヴァンスの忠告などなどいろいろある。

1964年の夏に、初めて来日公演をしたときには、もちろん、わたしも新宿厚生年金会館ホールに駆けつけて、生のマイルスを聞いた青春は忘れないが、たしかにこの空白はショックだった。

数々の作品で味のアル助演をこなしていたドン・チードルが、まさか、ここであのマイルスに変身して、巧みにペットを吹いて、何と演出もしているのは恐れ入ってしまったが、ま、よく研究している。

とくに復帰に向かっての劇的な盛り上がりはないが、イーストウッドが、チャーリー・パーカーを描いた「バード」のような重みはなく、ごく淡々と<空白>を描いたのは軽妙。

音楽ライターの役で、ユアン・マクレガーが唯一マイルスの理解者としてサポートしているのが、この作品の内容的な暗部を救ったようで、好演していたのが印象的だった。

 

■バット交換でベンチに戻って出て来たが、フォアボール。 ★★★☆+

●12月23日より、TOHOシネマズ・シャンテなどで、お正月ロードショー 


●『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』の奇妙奇天烈なティム・バートンの幻想ワールド。

2016年12月15日 | Weblog

12月7日(水)12-30 六本木<FOX映画試写室>

M-156『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』" Miss Peregrine's Home for Peculiar Children " Twenties Century Fox Production/ Chernin Entertainment

監督・ティム・バートン 主演・エヴァ・グリーン、サミュエル・L・ジャクソン <127分・3D/ビスタサイズ> 配給・20世紀フォックス映画

久しぶりに朋友ジョニー・デップを抜いての、まさに<ティム・バートンの奇妙な映像世界>といいたい、とびっきりにペキュリアーな幻想的な映像遊戯の新作。

ま、ハリー・ポッターを卒業した「ファンタスティック・ビースト」に対抗したような、これはティム・バートン・ブランドの<グリム童話>的な映像夢想ワールドなのだ。

老いたテレンス・スタンプが、内気な少年ジェイクに話して聞かせる・・・という、あのディッケンズの「ジャングル・ブック」のスタイルで、この奇妙なストーリーは展開する。

フロリダの古びたゴシックな屋敷は、あの「大いなる遺産」のように不気味だが、その家の裏庭には不気味なスワンプと密林が広がり、カラフルで奇妙な鳥や生物たちが棲息していた。

そのホラ話のような老人の話で、現実から夢想する少年は、精神的な妄想を持つ様になり、その治療をするために、父とイギリスのケルン島に行く事になり、そこで不気味な庭に建つ「レベッカ」の屋敷に行く。

老朽で不気味な屋敷には、まるで魔法使いのようなエヴァ・グリーンが、実に奇妙な人種たちを従えて、その屋敷と奇妙なエリアを守るために、邪悪な白眼のサミュエル・L・ジャクソンと戦っていた。

ま、ストーリーは奇怪で奇妙で、例によって<ティム・バートン・ワールド>であって、いちいち説明しても、こちらの方のアタマが変になってしまうように、童話的な展開をしていく。

たまたま、この試写に行く前に、同じ六本木界隈なので、国立新美術館で開催中の<サルバドール・ダリ展>を見に行ったのだが、まさにダリの描く夢想世界はバートン美学と共通しているようだ。

だからハリー・ポッターよりも奇怪な魔法をつかうミス・ペレグリンと、その取り巻きの不気味な<お化け人形>とゴシック屋敷でのファンタジックな映像遊戯は、まさに夢を見ているような錯覚。

もしかしたら、「ダリ展」での信じられないような、クレイジーな大混雑で、こちらのアタマの中も、ダークなファンタジーの幻想世界に迷い込んでいたのかも知れない。

 

■アタマをかすめるような無痛のデッドボールで進塁。 ★★★☆???

●2017年、2月3日より、TOHOシネマズ日劇などでロードショー