●4月27日(月)21-00 ニコタマ・サンセット傑作座<自宅>
0V-76-31『抱擁』"The Joker is Wild" (1957) Paramount Pictures
監督・チャールズ・ヴィダー 主演・フランク・シナトラ、ジーン・クレイン <ヴィスタサイズ・112分> VHS
この作品を最初に見たのは、1958年頃に、大学生の時代に、有楽町の朝日新聞ビルの7階にあった、パラマウント映画の試写室だった。
わたしは多摩美の学生だったが、当時のハリウッド映画に狂って、ほとんど上野毛の校舎よりも、パラマウント映画ファンクラブの幹事をして、
新作の団体チケットを丸の内の有名会社の人事厚生課に、新作映画のロードショー団体優待券を社内販売してもらう為に、チケットを配っていたものだ。
この作品の邦題は、揉めに揉めて、シナトラの人気などは、一部のボーカル・ファンだけのもので、結局は「旅情」や「慕情」などのようなイメージで「抱擁」と決まった。
まだ原題の「ジョーカー・・」も、トランプ・カードの認知しかなくて、わたしも大不満だったが、宣伝部会議で、この不思議な邦題に決まったのだった、
シカゴのギャング時代の取り締まりが強化された朝鮮戦争の時代か、バンド歌手のシナトラは、同僚の伴奏ピアノのエディ・アルバートと共に、出演クラブを替えた。
そのことでギャングの報復を受けて、喉を切られたシナトラは唄うことは出来なくなり、数年後にはクラブのステージで前座の漫談をして生き延びていたのだ。
そのジョークの中で、「それならば、ミカドにでも出ていろ」という部分があるが、当時シナトラは赤坂のクラブ・ミカドで初来日公演をしていたのだ。
わたしはアルバイトで工面した、当時としては超高額な15,000円の入場料をゲットして、ホンモノのシナトラのステージを見たのは、人生最高の時間だった。
ドラマでは、喉を切られたシナトラが、カスレ声で唄った「オール・ザ・ウェイ」がアカデミー歌曲賞を受賞して、フランク・シナトラは人気の絶頂期を迎えていた。
大富豪の娘のジーン・クレインの愛情と婚約の夢を捨てて、ダンサーのミッチー・ゲイナーとの邪恋の末に、一人きりになって深夜のシカゴの裏町を歩くシナトラに、
ショウウィンドウに反射している自身の影が、「おいおい、お前さんよ、そろそろ自分自身を幸せにしたら、どうだ!!」と声をかけて来る。
「地上より永遠に」でオスカーを受賞したシナトラの、これは本業の歌手としての名演を見せた、いかにもフランク・シナトラらしいアウトローな体臭が最高だ。
■VHSビデオ・テープでの鑑賞。 ★★★★++