細越麟太郎 MOVIE DIARY

最新の映画情報や批評を掲載します。

●M−24『最後の決闘裁判』は、昨今のハリウッド製作事情のようにダーク。

2021年10月29日 | Weblog
●10月27日(水)10-15a、m、 二子玉川<109シアター・シアター2>
M-024『最後の決闘裁判』"The Last Duel" (2021) Warner Brothers Pictures,Walt Disney Pictures Presents.
監督・脚本、リドリー・スコット 製作・主演・マット・デイモン、ベン・アフレック,アダム・ドライバー <153分・ワイドスクリーン>
このところ、世界的なコロナ戦争のせいで、ハリウッド・メイドの新作が見られなくて、ファンとしては寂しい思いをしていたが、これは久々のメジャー作品。
あの「グッド・ウィル・ハンティング」で輝かしいハリウッド・メジャーにデヴュしたマットと、ベンはその後は、ご存知のようにそれぞれにトップ・スターとして大活躍。
久しぶりに彼らの旧友ぶりの、この再会の新作を「グラディエイター」や「ブレイドランナー」のベテラン、リドリー・スコットが監督した歴史大作なので期待した。 
最近は、あまり見られなくなった中世フランス、1386年の<百年戦争>といわれた時代の戦闘と裁判を描いた、いかにも重厚で重苦しいコスチューム・ドラマ。
わたしの青春時代には「黒騎士<アイヴァンホー>」とか「ゼンダ城の虜」とか、中世期のフランスを舞台にした歴史アクションが多く、それが世界史の勉強になったものだ。
しかし、ハリウッドの<コスチューム・プレイ>というのは、スタジオ撮影の費用がかさむし、あのフェンシングの剣を起用に使えるスターもいなくなったのか、姿を消した。
エロール・フリンとか、スチュワート・グレンジャーとかいう、自身がかなりフェンシングの出来るスターもいなくなったのも、ハリウッドのスターの歴史。
その古典的な剣劇時代劇を、仲良しのマット・デイモンとベン・アフレックが再現しようとした企画は、やはり、スタジオではなく、イギリスの古城が舞台となった。
たしかに、<百年戦争>というのは、ヨーロッパの人間にとっては、わが<関ケ原決戦>のように、誰でもご存知になっている、<歴史的な常識>なのだろう。
監督も主演スターも、当然のように<思い入れ>の強い作品らしく、古城でのオール・ロケで撮影されたのはいいが、まるでローソクで撮影されたように、画面は暗い。
つまり、ハリウッド・スタジオ時代と違って、いまはオール・ロケーションでの撮影を強行したのか、とにかくスクリーンが暗いし、ロケも曇天での撮影ばかりなのだ。
これには、見ている方も陰鬱な気分になってしまって、ハリウッドスター・ムービーの筈なのに、まるで13世紀を再現したような画面の暗さには、閉口してしまった。

■高く上がったレフト・フライだが、ドーム天井に当たり、ショートフライ。 ★★★
●全国でロードショー公開中

●『パリ横断』で、ムッシュ・ギャバンのオールナイト奮迅。

2021年10月26日 | Weblog
●10月25日(月)11-30a.m. ニコタマ・サンセット傑作座<VHS鑑賞>
OV-151-98『巴里横断』"La Traversee de Paris" (1956) French Film, B&W/standard size
監督・クロード・オータン・ララ 主演・ジャン・ギャバン、ブールヴィル <81分・モノクロ・スタンダード>
激化する第二次世界大戦時下のパリは、封鎖されて路上にはナチスの軍兵が、銃装備でパトロールしているが、パリジャンの食欲は関係ない。
それでも深夜になると、空腹なパリジャンは、チーズとフランスパンだけでは食欲は満たされないので、肉やソーセージなどの調達に出没するのだ。
ある夜に、ヤミ商人のブールヴィルは、北駅の裏通りで殺したばかりのブタを1匹調達して、その肉をモンパルナスの自宅に運ぶために苦労していたが・・。
たまたまカフェから出て来た酔っぱらいのジャン・ギャバンと、口論しているうちに、話しが、その生のブタを運ぶことに同意して、一緒に運搬作業することに。
とにかく、東京で言えば、浅草からわがニコタマまで、陸路、その重いブタの死体を運ぶというのは、いかに運搬作業用陸車に乗せての作業は重労働なのだが、
ボードビリアンで漫談家として人気のあったブールヴィルは、当時人気絶頂のフランスの国宝級の名優ジャン・ギャバンとの<慢才道中>なので、飽きさせない。
夜警のナチス兵隊に会うと、その近くのヤミ・カフェに逃げこんでは客人たちと世間話しで安いグラッパで、時間つぶしをしてナチスの警戒をかわして行く。
つまりフレンチの漫才映画で、達者なジャン・ギャバンの話しをブールヴィルの話術で見せて行く、あの「おかしな二人」のフレンチ版なのだ。
とくに、50年代はジャン・ギャバンは絶好調で、フランス映画の代表作の<顔>として、「フレンチ・カンカン」や「現金に手を出すな」は代表的名作だ。
「望郷」の頃のような若さのなくなった初老のギャバンには、とくにこの時期には名作が多く、この時期の「冬の猿」やメグレ警部シリーズは絶品だったのだ。
だからこのピーク時に、こうした彼の名演を見られたわが世代は、とにかく彼の渋い声と不機嫌な表情には魅了され、あれがフランス映画のピークだったのを、記憶する。
晩秋の似合うパリ・オヤジ「ありがとう・・・ジャン・ギャバン!!!」。

■ただのセカンドゴロなのに、ベースに当たって逆戻りヒット。 ★★★☆☆
●保存VHSテープでの鑑賞

●『ハリウッドランド』の裏通りには、50年代からのゴミが散乱していた。

2021年10月21日 | Weblog
●10月20日(水)20−30 <ニコタマ・サンセット傑作座> 
OV-172『ハリウッドランド』"Hollywoodland" (2006) Miramax Film, Focus Features, Back loft Pictures・DVD鑑賞
監督・アレン・コールター 主演・エイドリアン・ブロディ、ベン・アフレック <128分・ビスタサイズ>製作・フォーカス・フィーチャーズ 提供・ミラマックス
50年代のハリウッドは、テレビ業界の拡大などで、劇場公開映画の人気が急落して、話題はテレビの人気番組などが独占していた。
多くの映画スターは人気が失速して仕事がなくなり、それに代わってテレビの連続シリーズのスターに人気が集中する時代が、60年代まで続いた。
名作「地上より永遠に」で、ファーストシーンでバート・ランカスターと出演していたジョージ・リーブスは、テレビの「スーパーマン」で人気を得たのもつかの間。
モノクロ・テレビ時代も、すぐにカラーの時代を迎えて、あっという間に「スーパーマン」のシリーズは、ほかのコミックなホームドラマに視聴率を奪われたのだ。
その「スーパーマン」主演のジョージ・リーブスは、そうした背景にハリウッドの自宅ベッドルームで、ある朝に死体で見つかり、自殺報道でことは終息した。
しかし、その死因が自宅二階のベッドルームで、しかもパジャマではなくて普段着のままの銃殺だったので、不審に思った母親は私立探偵に事件の捜査を依頼。
ほとんど仕事のない三流私立探偵のエイドリアンは、少しのギャラ欲しさに捜査を開始したのだが、一旦、自殺報道されていた三流俳優の事後処理には冷淡だった。
それでも、ただの仕事がなくなった程度で、人気俳優が自宅のベッドで着服のまま拳銃自殺するのは、これはヘンだし、背景捜査を進める事にしたら、真相がゾクゾク。
実際にはジョージは拳銃自殺で処理されていたのだが、エイドリアン探偵が聞き込み捜査をしていくと、こりゃ、殺人事件だ・・・という背景が明らかにされていく、という寸法。
作品はその事件解明で、ハリウッド業界にある<ナゾ>を抉る・・という狙いは、あの名作「サンセット大通り」の背景と似て来るから、ファンには興味深い。
あのテレビの人気シリーズ『サンセット77」に憧れて、いちど、あのクラブのあった場所に行ったことがあるが、その裏の崖には、ゴミが散乱していたものだ。

●ピッチャーゴロのはずが、ボールは足に当たってファールライン転々の痛打。 ★★★☆☆☆
■提供・ワーナー・ホームビデオ

●『秘めたる情事』の味わいは、見る人の加齢によって、深みを増して来る名作だ。

2021年10月17日 | Weblog
●10月17日(日)21-40 ニコタマ・サンセット傑作座・VHS
0V-149-57『秘めたる情事』"Ten North Frederick" (1958) 20th Century Fox; VHS
監督・フィリップ・ダン 主演・ゲイリー・クーパー、スージー・パーカー<99分・モノクロ・シネマスコープ>
いろいろな意味で、ひとつの時代の終焉というのか、季節の変化とか、時代の転換を、そして人生のエンディングを実感させた秀作だ。
むかし話しで恐縮だが、この作品は58年当時、日比谷の<有楽座>で見たが、シネマスコープを最初に公開した大劇場だったが、たしか、これで閉館。
しかもゲイリー・クーパーのラスト・ピクチャーで、あのフランク・シナトラの傑作「抱擁」の原作を書いたジョン・オハラの「北フレデリック街十番地」の映画化。
いかにもアメリカ東部のエスタブリッシュメントが崩壊してゆくプロセスを、ひとりの初老の紳士の人生の終焉を通じて描いたメロドラマとして、大好きだった。
フィラデルフィア辺りの市会議員を定年退職したクーパーは、悪妻の後押しで政界に出されそうになるが、彼にはまったくその野心などはなく、平穏な老後を願っていた。
娘がボストンの大学寄宿舎にいたので、そこを尋ねた際に、娘はたまたま留守だったので、同室のスージー・パーカーと近所のレストランに出て夕食にした。
娘の同級生なのだが、クーパーは初めて悪妻を逃れて、女性のやさしさと美貌の時間に酔ってしまうが、行ったレストランでは父と娘の同伴と勘違いされてしまう。
これまでの人生で、味わったことのない至福の時間に、自分の老齢を忘れるような甘さに、生まれて初めて女性を愛する、という至福の感情に溺れて行くが現実は過酷。
さすがに高齢を自覚した彼は、自分の意思で彼女との時間を、紳士的に辞退して、しばらく後年に娘から、スージーが結婚したことを知り、自室に籠るようになる。
ラストシーンで、暗い自室の自分のチェアーで、ひとり思い出の時間に陶酔していたクーパーの手からグラスがポトリ・・と落ちたところでエンドマーク。
ま、老人の哀れな恋ものがたり、といえばそれっきりだが、いかにも人生に疲れたが、最後に至福の瞬間を味わった表情には、充実した時間の至福が伺えた。
老齢となった自我を痛感させるメロドラマだが、やはり、公開当時に見た印象よりは、当然、実感も伴う、ハリウッド終末期の秀作ということを、再認識。

■VHSテープで見たが、本体の具合が老化していて、知り合いの電気屋さんに探してもらい、VHS機を新調 ★★★★☆☆

●『運び屋』で運んだのは、あの50年代ハリウッド映画魂だ。

2021年10月13日 | Weblog
●10月12日(火)21-30 <ニコタマ・サンセット傑作座>
0V-149-57『運び屋』"The Mule " (2018) warner brothers / Imparative Entertainment / Bron Creative / Malpaso Company
製作・監督・主演・クリント・イーストウッド 共演・ブラッドリー・クーパー <116分・シネマスコープ> 配給・ワーナー・ブラザース映画
つい昨年にドキュメンタルな実話サスペンス「15時17分、パリ行き』を、現地ロケで監督したばかりの老練クリント・イーストウッドの、何と88歳の監督主演作品だ。
しかも「グラン・トリノ」から10年ぶりの出演作品となると、わたしのような大ファンのみならず、試写の30分前には長蛇の列となるのも、こりゃ当然でしょ!!
タイトルのように、彼が主演している老練ドライバーは、とうに定年を過ぎた長老のクリントで、あちらではドライバーの運転免許証は80すぎでも出るのか・・と、余計な心配。
わたしなどは運転免許証の更新試験が、年々厳しくなるし、自家用車もなく過密な東京都内では運転するのも命がけなので、早々に免許証返還をしてしまって警視庁から褒められた。
しかしわがクリント老は、入院している病身のワイフも放っておいて、悪徳裏業者の依頼のシナものを、終日フリーウェイをオンボロセダン車での<運び屋>稼業で、かなりのゼニを稼いでいる。
その悪質依頼組織の実態は描かないで、とにかく無言で依頼品を後部座席に積み込んで、ひたすら寡黙に、ときに鼻歌などを交えて運転する老人は、ハイウェイ・パトロールも関知しないのだ。
テーマの実態は、悪質な犯罪映画なのだが、ここでは実の娘のアリソン・イーストウッドご本人が久しぶりに中年女性として共演していて、病身の妻の看護もしないで、勝手に出かける父に厳しい視線。
彼女は2008年に、自身で監督作品「レールズ&タイズ」というホームドラマを作っていて、病身の妻への愛に悩む夫をケヴィン・ベイコンが演じていて、この作品の夫婦設定はよく似ていた。
おそらくは、あまり家庭を顧みない父親クリントへの苦言が、作品のテーマになったのだろうが、この作品でも病身の妻ダイアン・ウィーストの病気と死が、ドラマの底辺になっている。
だから、まさに西部劇のヒーローのように、毎日ハイウェイをワゴン車で走りまくっている老父クリントへの厳しい視線も、おそらくは実娘のアリソンの父親への厳しい視線なのかも知れない。
もともとはドライバーではなくて、自宅に小さな家庭菜園を持って楽しんでいた男が、またラストで、とうとう刑務所の中庭で花を小さく咲かせる菜園を楽しんでいるクリントに、ニヤリとしてしまった。

■ボテボテのレフト横のゴロを野手がトンネルしている間にツーベース。 ★★★☆☆☆+
●DVD鑑賞

●ふと、この季節になると、彼を思い出すなーー。

2021年10月11日 | Weblog
  夕陽に立つ秀次郎      


 あの高倉 健さんを紹介してくれたのは友人の東條忠義さんだった。
 北海道出身のCMディレクターの彼は、なぜか盛岡の好きなひとだった。
 「いま、健さんと撮影してるけど、スタジオに来るか?」という電話があったのは19
81年11月10日の午後だった。まるで事件記者のように、わたしは銀座の会社を飛び
出して、すぐさま調布の撮影スタジオに電車を乗り継いで駆けつけたのだ。
 東條さんとは、男性用の化粧品コマーシャルの仕事で10年も前からのおつきあいで、
同じ年齢の寅年で、なぜかお互いにヘミングウェイのファンだったので、彼の有名な著書
の舞台をベースにしたアイデアで、その小説の現場にロケをしてCMを作っては、世界中
旅をした仲良しだったのだ。というのも、彼は学生時代に盛岡にいたことがあって、街の
ことは、かなり詳しく、よくロケ中にも話題になった。
 当然のように、当時からわたしが無類の高倉 健ファンなのを知っていて、彼が監督し
ていたコーヒーのCMの撮影が、偶然その日にあったのだ。わたしは焦った。
 駆けつけたスタジオでは、ちょうど照明の変更で、東條さんを見つけると、「ああ、い
ま健さんは、あそこら辺にいるよ・・」と、一緒に多摩川の土手に案内してくれた。
 たしかに、憧れの健さんは、多摩川の土手に、晩秋の夕陽を眺めて立っていた。
 「どうも、高倉です・・・・」と健さんは、あの照れ笑いをしていた。
 わたしは当時も全ての健さん映画を見ていて、とくに「昭和残侠伝」シリーズの花田秀
次郎さんのファンだったので、そのことを話したら、「・・・そうすか。」と健さん。
 「・・・あいつはまだ、たしか網走に入っていますよ・・」と苦笑したのだった。
 噂の様に、健さんは立ったままで夕陽を見ている。東条さんからも、彼はほとんど坐ら
ないという噂を聞いていたので尋ねると、「いやー、この方が楽なんで・・」と苦笑。
 彼はヘンリー・フォンダの大ファンで、特に彼の立ち姿に憧れていて、ハリウッドで会
った時に、本人に尋ねたら、やはりステージの仕事が多いので、立っている方が好きだ。
という言葉だったという。「ミスター・ロバーツ」は最高すよね。・・・あの役は、でき
たら、オレもやってみたいすね・・・と照れ笑い。
 ちょうどカセットで彼が聞いていたのが、ジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスター
・ボージャングル」で、スタンダップ・コメディアンの歌。これを毎日聞いているのだと
いう。路上の立ち芸人の歌で、黒人ボードビリアンの素朴なスロー・ワルツ。
 「立ち見、立ち読み、立ち食い、立ち話。・・・。男の特権。いいですね」と言うと、
 「立ちションってのもいいすね・・・」と彼は笑った。
 ほどなく照明さんが撮影再開の知らせに駆けつけたので、わたしは別れしなにサインを
求めたのだが、「いや、ここじゃ何なので、・・・あとで送ります・・」と彼はスタジオ
に急いだ。わたしは正直少々がっかりして、三球三振した代打の気分だった。
 彼は仕事中はサインをしないことは、東條さんからもよく聞いていたが、さすがにわた
しはシュンと溜め息をして、寂しく土手を降りた。
 それから10日ほどして、わたしの自宅ポストには、大きな8×10のダイレクト・カ
ラープリントで、あの花田秀次郎さんの着流し姿に太い墨汁で「細越さんへ、高倉健」と
サインした大きな封書が届いたのだった。その翌年は年賀状も届いたのには感動した。
 さすが、あの任侠映画のように「義理と人情」の、熱いひとだった。
 きっと今頃は、コーヒー好きの東條さんと再会して、上で立ち話をしているだろう。



  夕陽に立つ秀次郎      


 あの高倉 健さんを紹介してくれたのは友人の東條忠義さんだった。
 北海道出身のCMディレクターの彼は、なぜか盛岡の好きなひとだった。
 「いま、健さんと撮影してるけど、スタジオに来るか?」という電話があったのは19
81年11月10日の午後だった。まるで事件記者のように、わたしは銀座の会社を飛び
出して、すぐさま調布の撮影スタジオに電車を乗り継いで駆けつけたのだ。
 東條さんとは、男性用の化粧品コマーシャルの仕事で10年も前からのおつきあいで、
同じ年齢の寅年で、なぜかお互いにヘミングウェイのファンだったので、彼の有名な著書
の舞台をベースにしたアイデアで、その小説の現場にロケをしてCMを作っては、世界中
旅をした仲良しだったのだ。というのも、彼は学生時代に盛岡にいたことがあって、街の
ことは、かなり詳しく、よくロケ中にも話題になった。
 当然のように、当時からわたしが無類の高倉 健ファンなのを知っていて、彼が監督し
ていたコーヒーのCMの撮影が、偶然その日にあったのだ。わたしは焦った。
 駆けつけたスタジオでは、ちょうど照明の変更で、東條さんを見つけると、「ああ、い
ま健さんは、あそこら辺にいるよ・・」と、一緒に多摩川の土手に案内してくれた。
 たしかに、憧れの健さんは、多摩川の土手に、晩秋の夕陽を眺めて立っていた。
 「どうも、高倉です・・・・」と健さんは、あの照れ笑いをしていた。
 わたしは当時も全ての健さん映画を見ていて、とくに「昭和残侠伝」シリーズの花田秀
次郎さんのファンだったので、そのことを話したら、「・・・そうすか。」と健さん。
 「・・・あいつはまだ、たしか網走に入っていますよ・・」と苦笑したのだった。
 噂の様に、健さんは立ったままで夕陽を見ている。東条さんからも、彼はほとんど坐ら
ないという噂を聞いていたので尋ねると、「いやー、この方が楽なんで・・」と苦笑。
 彼はヘンリー・フォンダの大ファンで、特に彼の立ち姿に憧れていて、ハリウッドで会
った時に、本人に尋ねたら、やはりステージの仕事が多いので、立っている方が好きだ。
という言葉だったという。「ミスター・ロバーツ」は最高すよね。・・・あの役は、でき
たら、オレもやってみたいすね・・・と照れ笑い。
 ちょうどカセットで彼が聞いていたのが、ジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスター
・ボージャングル」で、スタンダップ・コメディアンの歌。これを毎日聞いているのだと
いう。路上の立ち芸人の歌で、黒人ボードビリアンの素朴なスロー・ワルツ。
 「立ち見、立ち読み、立ち食い、立ち話。・・・。男の特権。いいですね」と言うと、
 「立ちションってのもいいすね・・・」と彼は笑った。
 ほどなく照明さんが撮影再開の知らせに駆けつけたので、わたしは別れしなにサインを
求めたのだが、「いや、ここじゃ何なので、・・・あとで送ります・・」と彼はスタジオ
に急いだ。わたしは正直少々がっかりして、三球三振した代打の気分だった。
 彼は仕事中はサインをしないことは、東條さんからもよく聞いていたが、さすがにわた
しはシュンと溜め息をして、寂しく土手を降りた。
 それから10日ほどして、わたしの自宅ポストには、大きな8×10のダイレクト・カ
ラープリントで、あの花田秀次郎さんの着流し姿に太い墨汁で「細越さんへ、高倉健」と
サインした大きな封書が届いたのだった。その翌年は年賀状も届いたのには感動した。
 さすが、あの任侠映画のように「義理と人情」の、熱いひとだった。
 きっと今頃は、コーヒー好きの東條さんと再会して、上で立ち話をしているだろう。



  夕陽に立つ秀次郎      


 あの高倉 健さんを紹介してくれたのは友人の東條忠義さんだった。
 北海道出身のCMディレクターの彼は、なぜか盛岡の好きなひとだった。
 「いま、健さんと撮影してるけど、スタジオに来るか?」という電話があったのは19
81年11月10日の午後だった。まるで事件記者のように、わたしは銀座の会社を飛び
出して、すぐさま調布の撮影スタジオに電車を乗り継いで駆けつけたのだ。
 東條さんとは、男性用の化粧品コマーシャルの仕事で10年も前からのおつきあいで、
同じ年齢の寅年で、なぜかお互いにヘミングウェイのファンだったので、彼の有名な著書
の舞台をベースにしたアイデアで、その小説の現場にロケをしてCMを作っては、世界中
旅をした仲良しだったのだ。というのも、彼は学生時代に盛岡にいたことがあって、街の
ことは、かなり詳しく、よくロケ中にも話題になった。
 当然のように、当時からわたしが無類の高倉 健ファンなのを知っていて、彼が監督し
ていたコーヒーのCMの撮影が、偶然その日にあったのだ。わたしは焦った。
 駆けつけたスタジオでは、ちょうど照明の変更で、東條さんを見つけると、「ああ、い
ま健さんは、あそこら辺にいるよ・・」と、一緒に多摩川の土手に案内してくれた。
 たしかに、憧れの健さんは、多摩川の土手に、晩秋の夕陽を眺めて立っていた。
 「どうも、高倉です・・・・」と健さんは、あの照れ笑いをしていた。
 わたしは当時も全ての健さん映画を見ていて、とくに「昭和残侠伝」シリーズの花田秀
次郎さんのファンだったので、そのことを話したら、「・・・そうすか。」と健さん。
 「・・・あいつはまだ、たしか網走に入っていますよ・・」と苦笑したのだった。
 噂の様に、健さんは立ったままで夕陽を見ている。東条さんからも、彼はほとんど坐ら
ないという噂を聞いていたので尋ねると、「いやー、この方が楽なんで・・」と苦笑。
 彼はヘンリー・フォンダの大ファンで、特に彼の立ち姿に憧れていて、ハリウッドで会
った時に、本人に尋ねたら、やはりステージの仕事が多いので、立っている方が好きだ。
という言葉だったという。「ミスター・ロバーツ」は最高すよね。・・・あの役は、でき
たら、オレもやってみたいすね・・・と照れ笑い。
 ちょうどカセットで彼が聞いていたのが、ジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスター
・ボージャングル」で、スタンダップ・コメディアンの歌。これを毎日聞いているのだと
いう。路上の立ち芸人の歌で、黒人ボードビリアンの素朴なスロー・ワルツ。
 「立ち見、立ち読み、立ち食い、立ち話。・・・。男の特権。いいですね」と言うと、
 「立ちションってのもいいすね・・・」と彼は笑った。
 ほどなく照明さんが撮影再開の知らせに駆けつけたので、わたしは別れしなにサインを
求めたのだが、「いや、ここじゃ何なので、・・・あとで送ります・・」と彼はスタジオ
に急いだ。わたしは正直少々がっかりして、三球三振した代打の気分だった。
 彼は仕事中はサインをしないことは、東條さんからもよく聞いていたが、さすがにわた
しはシュンと溜め息をして、寂しく土手を降りた。
 それから10日ほどして、わたしの自宅ポストには、大きな8×10のダイレクト・カ
ラープリントで、あの花田秀次郎さんの着流し姿に太い墨汁で「細越さんへ、高倉健」と
サインした大きな封書が届いたのだった。その翌年は年賀状も届いたのには感動した。
 さすが、あの任侠映画のように「義理と人情」の、熱いひとだった。
 きっと今頃は、コーヒー好きの東條さんと再会して、上で立ち話をしているだろう。



  夕陽に立つ秀次郎      


 あの高倉 健さんを紹介してくれたのは友人の東條忠義さんだった。
 北海道出身のCMディレクターの彼は、なぜか盛岡の好きなひとだった。
 「いま、健さんと撮影してるけど、スタジオに来るか?」という電話があったのは19
81年11月10日の午後だった。まるで事件記者のように、わたしは銀座の会社を飛び
出して、すぐさま調布の撮影スタジオに電車を乗り継いで駆けつけたのだ。
 東條さんとは、男性用の化粧品コマーシャルの仕事で10年も前からのおつきあいで、
同じ年齢の寅年で、なぜかお互いにヘミングウェイのファンだったので、彼の有名な著書
の舞台をベースにしたアイデアで、その小説の現場にロケをしてCMを作っては、世界中
旅をした仲良しだったのだ。というのも、彼は学生時代に盛岡にいたことがあって、街の
ことは、かなり詳しく、よくロケ中にも話題になった。
 当然のように、当時からわたしが無類の高倉 健ファンなのを知っていて、彼が監督し
ていたコーヒーのCMの撮影が、偶然その日にあったのだ。わたしは焦った。
 駆けつけたスタジオでは、ちょうど照明の変更で、東條さんを見つけると、「ああ、い
ま健さんは、あそこら辺にいるよ・・」と、一緒に多摩川の土手に案内してくれた。
 たしかに、憧れの健さんは、多摩川の土手に、晩秋の夕陽を眺めて立っていた。
 「どうも、高倉です・・・・」と健さんは、あの照れ笑いをしていた。
 わたしは当時も全ての健さん映画を見ていて、とくに「昭和残侠伝」シリーズの花田秀
次郎さんのファンだったので、そのことを話したら、「・・・そうすか。」と健さん。
 「・・・あいつはまだ、たしか網走に入っていますよ・・」と苦笑したのだった。
 噂の様に、健さんは立ったままで夕陽を見ている。東条さんからも、彼はほとんど坐ら
ないという噂を聞いていたので尋ねると、「いやー、この方が楽なんで・・」と苦笑。
 彼はヘンリー・フォンダの大ファンで、特に彼の立ち姿に憧れていて、ハリウッドで会
った時に、本人に尋ねたら、やはりステージの仕事が多いので、立っている方が好きだ。
という言葉だったという。「ミスター・ロバーツ」は最高すよね。・・・あの役は、でき
たら、オレもやってみたいすね・・・と照れ笑い。
 ちょうどカセットで彼が聞いていたのが、ジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスター
・ボージャングル」で、スタンダップ・コメディアンの歌。これを毎日聞いているのだと
いう。路上の立ち芸人の歌で、黒人ボードビリアンの素朴なスロー・ワルツ。
 「立ち見、立ち読み、立ち食い、立ち話。・・・。男の特権。いいですね」と言うと、
 「立ちションってのもいいすね・・・」と彼は笑った。
 ほどなく照明さんが撮影再開の知らせに駆けつけたので、わたしは別れしなにサインを
求めたのだが、「いや、ここじゃ何なので、・・・あとで送ります・・」と彼はスタジオ
に急いだ。わたしは正直少々がっかりして、三球三振した代打の気分だった。
 彼は仕事中はサインをしないことは、東條さんからもよく聞いていたが、さすがにわた
しはシュンと溜め息をして、寂しく土手を降りた。
 それから10日ほどして、わたしの自宅ポストには、大きな8×10のダイレクト・カ
ラープリントで、あの花田秀次郎さんの着流し姿に太い墨汁で「細越さんへ、高倉健」と
サインした大きな封書が届いたのだった。その翌年は年賀状も届いたのには感動した。
 さすが、あの任侠映画のように「義理と人情」の、熱いひとだった。
 きっと今頃は、コーヒー好きの東條さんと再会して、上で立ち話をしているだろう。



  夕陽に立つ秀次郎      


 あの高倉 健さんを紹介してくれたのは友人の東條忠義さんだった。
 北海道出身のCMディレクターの彼は、なぜか盛岡の好きなひとだった。
 「いま、健さんと撮影してるけど、スタジオに来るか?」という電話があったのは19
81年11月10日の午後だった。まるで事件記者のように、わたしは銀座の会社を飛び
出して、すぐさま調布の撮影スタジオに電車を乗り継いで駆けつけたのだ。
 東條さんとは、男性用の化粧品コマーシャルの仕事で10年も前からのおつきあいで、
同じ年齢の寅年で、なぜかお互いにヘミングウェイのファンだったので、彼の有名な著書
の舞台をベースにしたアイデアで、その小説の現場にロケをしてCMを作っては、世界中
旅をした仲良しだったのだ。というのも、彼は学生時代に盛岡にいたことがあって、街の
ことは、かなり詳しく、よくロケ中にも話題になった。
 当然のように、当時からわたしが無類の高倉 健ファンなのを知っていて、彼が監督し
ていたコーヒーのCMの撮影が、偶然その日にあったのだ。わたしは焦った。
 駆けつけたスタジオでは、ちょうど照明の変更で、東條さんを見つけると、「ああ、い
ま健さんは、あそこら辺にいるよ・・」と、一緒に多摩川の土手に案内してくれた。
 たしかに、憧れの健さんは、多摩川の土手に、晩秋の夕陽を眺めて立っていた。
 「どうも、高倉です・・・・」と健さんは、あの照れ笑いをしていた。
 わたしは当時も全ての健さん映画を見ていて、とくに「昭和残侠伝」シリーズの花田秀
次郎さんのファンだったので、そのことを話したら、「・・・そうすか。」と健さん。
 「・・・あいつはまだ、たしか網走に入っていますよ・・」と苦笑したのだった。
 噂の様に、健さんは立ったままで夕陽を見ている。東条さんからも、彼はほとんど坐ら
ないという噂を聞いていたので尋ねると、「いやー、この方が楽なんで・・」と苦笑。
 彼はヘンリー・フォンダの大ファンで、特に彼の立ち姿に憧れていて、ハリウッドで会
った時に、本人に尋ねたら、やはりステージの仕事が多いので、立っている方が好きだ。
という言葉だったという。「ミスター・ロバーツ」は最高すよね。・・・あの役は、でき
たら、オレもやってみたいすね・・・と照れ笑い。
 ちょうどカセットで彼が聞いていたのが、ジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスター
・ボージャングル」で、スタンダップ・コメディアンの歌。これを毎日聞いているのだと
いう。路上の立ち芸人の歌で、黒人ボードビリアンの素朴なスロー・ワルツ。
 「立ち見、立ち読み、立ち食い、立ち話。・・・。男の特権。いいですね」と言うと、
 「立ちションってのもいいすね・・・」と彼は笑った。
 ほどなく照明さんが撮影再開の知らせに駆けつけたので、わたしは別れしなにサインを
求めたのだが、「いや、ここじゃ何なので、・・・あとで送ります・・」と彼はスタジオ
に急いだ。わたしは正直少々がっかりして、三球三振した代打の気分だった。
 彼は仕事中はサインをしないことは、東條さんからもよく聞いていたが、さすがにわた
しはシュンと溜め息をして、寂しく土手を降りた。
 それから10日ほどして、わたしの自宅ポストには、大きな8×10のダイレクト・カ
ラープリントで、あの花田秀次郎さんの着流し姿に太い墨汁で「細越さんへ、高倉健」と
サインした大きな封書が届いたのだった。その翌年は年賀状も届いたのには感動した。
 さすが、あの任侠映画のように「義理と人情」の、熱いひとだった。
 きっと今頃は、コーヒー好きの東條さんと再会して、上で立ち話をしているだろう。



  夕陽に立つ秀次郎      


 あの高倉 健さんを紹介してくれたのは友人の東條忠義さんだった。
 北海道出身のCMディレクターの彼は、なぜか盛岡の好きなひとだった。
 「いま、健さんと撮影してるけど、スタジオに来るか?」という電話があったのは19
81年11月10日の午後だった。まるで事件記者のように、わたしは銀座の会社を飛び
出して、すぐさま調布の撮影スタジオに電車を乗り継いで駆けつけたのだ。
 東條さんとは、男性用の化粧品コマーシャルの仕事で10年も前からのおつきあいで、
同じ年齢の寅年で、なぜかお互いにヘミングウェイのファンだったので、彼の有名な著書
の舞台をベースにしたアイデアで、その小説の現場にロケをしてCMを作っては、世界中
旅をした仲良しだったのだ。というのも、彼は学生時代に盛岡にいたことがあって、街の
ことは、かなり詳しく、よくロケ中にも話題になった。
 当然のように、当時からわたしが無類の高倉 健ファンなのを知っていて、彼が監督し
ていたコーヒーのCMの撮影が、偶然その日にあったのだ。わたしは焦った。
 駆けつけたスタジオでは、ちょうど照明の変更で、東條さんを見つけると、「ああ、い
ま健さんは、あそこら辺にいるよ・・」と、一緒に多摩川の土手に案内してくれた。
 たしかに、憧れの健さんは、多摩川の土手に、晩秋の夕陽を眺めて立っていた。
 「どうも、高倉です・・・・」と健さんは、あの照れ笑いをしていた。
 わたしは当時も全ての健さん映画を見ていて、とくに「昭和残侠伝」シリーズの花田秀
次郎さんのファンだったので、そのことを話したら、「・・・そうすか。」と健さん。
 「・・・あいつはまだ、たしか網走に入っていますよ・・」と苦笑したのだった。
 噂の様に、健さんは立ったままで夕陽を見ている。東条さんからも、彼はほとんど坐ら
ないという噂を聞いていたので尋ねると、「いやー、この方が楽なんで・・」と苦笑。
 彼はヘンリー・フォンダの大ファンで、特に彼の立ち姿に憧れていて、ハリウッドで会
った時に、本人に尋ねたら、やはりステージの仕事が多いので、立っている方が好きだ。
という言葉だったという。「ミスター・ロバーツ」は最高すよね。・・・あの役は、でき
たら、オレもやってみたいすね・・・と照れ笑い。
 ちょうどカセットで彼が聞いていたのが、ジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスター
・ボージャングル」で、スタンダップ・コメディアンの歌。これを毎日聞いているのだと
いう。路上の立ち芸人の歌で、黒人ボードビリアンの素朴なスロー・ワルツ。
 「立ち見、立ち読み、立ち食い、立ち話。・・・。男の特権。いいですね」と言うと、
 「立ちションってのもいいすね・・・」と彼は笑った。
 ほどなく照明さんが撮影再開の知らせに駆けつけたので、わたしは別れしなにサインを
求めたのだが、「いや、ここじゃ何なので、・・・あとで送ります・・」と彼はスタジオ
に急いだ。わたしは正直少々がっかりして、三球三振した代打の気分だった。
 彼は仕事中はサインをしないことは、東條さんからもよく聞いていたが、さすがにわた
しはシュンと溜め息をして、寂しく土手を降りた。
 それから10日ほどして、わたしの自宅ポストには、大きな8×10のダイレクト・カ
ラープリントで、あの花田秀次郎さんの着流し姿に太い墨汁で「細越さんへ、高倉健」と
サインした大きな封書が届いたのだった。その翌年は年賀状も届いたのには感動した。
 さすが、あの任侠映画のように「義理と人情」の、熱いひとだった。
 きっと今頃は、コーヒー好きの東條さんと再会して、上で立ち話をしているだろう。



  夕陽に立つ秀次郎      


 あの高倉 健さんを紹介してくれたのは友人の東條忠義さんだった。
 北海道出身のCMディレクターの彼は、なぜか盛岡の好きなひとだった。
 「いま、健さんと撮影してるけど、スタジオに来るか?」という電話があったのは19
81年11月10日の午後だった。まるで事件記者のように、わたしは銀座の会社を飛び
出して、すぐさま調布の撮影スタジオに電車を乗り継いで駆けつけたのだ。
 東條さんとは、男性用の化粧品コマーシャルの仕事で10年も前からのおつきあいで、
同じ年齢の寅年で、なぜかお互いにヘミングウェイのファンだったので、彼の有名な著書
の舞台をベースにしたアイデアで、その小説の現場にロケをしてCMを作っては、世界中
旅をした仲良しだったのだ。というのも、彼は学生時代に盛岡にいたことがあって、街の
ことは、かなり詳しく、よくロケ中にも話題になった。
 当然のように、当時からわたしが無類の高倉 健ファンなのを知っていて、彼が監督し
ていたコーヒーのCMの撮影が、偶然その日にあったのだ。わたしは焦った。
 駆けつけたスタジオでは、ちょうど照明の変更で、東條さんを見つけると、「ああ、い
ま健さんは、あそこら辺にいるよ・・」と、一緒に多摩川の土手に案内してくれた。
 たしかに、憧れの健さんは、多摩川の土手に、晩秋の夕陽を眺めて立っていた。
 「どうも、高倉です・・・・」と健さんは、あの照れ笑いをしていた。
 わたしは当時も全ての健さん映画を見ていて、とくに「昭和残侠伝」シリーズの花田秀
次郎さんのファンだったので、そのことを話したら、「・・・そうすか。」と健さん。
 「・・・あいつはまだ、たしか網走に入っていますよ・・」と苦笑したのだった。
 噂の様に、健さんは立ったままで夕陽を見ている。東条さんからも、彼はほとんど坐ら
ないという噂を聞いていたので尋ねると、「いやー、この方が楽なんで・・」と苦笑。
 彼はヘンリー・フォンダの大ファンで、特に彼の立ち姿に憧れていて、ハリウッドで会
った時に、本人に尋ねたら、やはりステージの仕事が多いので、立っている方が好きだ。
という言葉だったという。「ミスター・ロバーツ」は最高すよね。・・・あの役は、でき
たら、オレもやってみたいすね・・・と照れ笑い。
 ちょうどカセットで彼が聞いていたのが、ジェリー・ジェフ・ウォーカーの「ミスター
・ボージャングル」で、スタンダップ・コメディアンの歌。これを毎日聞いているのだと
いう。路上の立ち芸人の歌で、黒人ボードビリアンの素朴なスロー・ワルツ。
 「立ち見、立ち読み、立ち食い、立ち話。・・・。男の特権。いいですね」と言うと、
 「立ちションってのもいいすね・・・」と彼は笑った。
 ほどなく照明さんが撮影再開の知らせに駆けつけたので、わたしは別れしなにサインを
求めたのだが、「いや、ここじゃ何なので、・・・あとで送ります・・」と彼はスタジオ
に急いだ。わたしは正直少々がっかりして、三球三振した代打の気分だった。
 彼は仕事中はサインをしないことは、東條さんからもよく聞いていたが、さすがにわた
しはシュンと溜め息をして、寂しく土手を降りた。
 それから10日ほどして、わたしの自宅ポストには、大きな8×10のダイレクト・カ
ラープリントで、あの花田秀次郎さんの着流し姿に太い墨汁で「細越さんへ、高倉健」と
サインした大きな封書が届いたのだった。その翌年は年賀状も届いたのには感動した。
 さすが、あの任侠映画のように「義理と人情」の、熱いひとだった。
 きっと今頃は、コーヒー好きの東條さんと再会して、上で立ち話をしているだろう。




●『ノー・タイム・トゥ・ダイ』で、ボンドは北方領土での銃弾に倒れるが・・。

2021年10月05日 | Weblog
●10月4日(月)10-10a.m. 東急109シネマズ二子玉川・シアター3
M-023『007・ノータイム・トゥ・ダイ』"No Time To Die "(2020) MGM-UA ,Universal Picture Entertainment.
製作・バーバラ・ブロッコリ 監督・キャリー・ジョージ・フクナガ 主演・ダニエル・クレイグ、ラミ・マレック<122分・ビスタサイズ> 
ご存知、ジェームズ・ボンドの、英国秘密諜報部員シリーズは、とくに熱中して見ているファンではないが、気がつけば、わたしの人生の映画的な伴走者だった。
だから、たしかに今回発売された<PEN+>出版の、<007完全読本>を買ってみたら、全25作品は、とにかく全部見て来たし10作品ほどはDVDでも持っている。
スタートした当時は、テレビの<ナポレオン・ソロ>や<サンセット77>のような、探偵や刑事やスパイ活動の諜報員をヒーローにした作品がブーム。
その中で、ショーン・コネリーが主演した「007は殺しの番号」が評判になり、第二作目の「ロシアより愛を込めて」が、マット・モンローの唄と共にヒットした。
わたしは特にボンド・ファンでもなく、ただの映画ファンとして、気がつけば、ほとんどのシリーズは見て来たし、一応は映画評論家時代でもあり、全作品をチェックして来た。
このところの、コロナ騒動で、映画館への足も遠のいて来たが、この007は見たいので、月曜日の1回目を狙って行ったが、場内はほぼ8割がたにお客が着席しているのだ。
相変わらずのイギリスの秘密諜報員のジェームズ・ボンド氏は、この作品でも、あの「ボヘミアン・ラプソデイ」でオスカー・ノミネートされた異彩レミ・マレックと対決。
彼は「ボヘミアン・・・」でも、アカデミー主演男優賞を受賞したキャラクターなので、さすがに、ボンド対決でも、演技的にはボンドを圧倒して見せるのは、サスガ。
肝心のボンド・ガールズも、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したレア・セドウや、黒人のラシャーナ・リンチも絡むが、作品のテンポも澱みはなくスピーディだ。
毎度の名車<アストン・マーティンDB5>も完全に復活して、ド派手なカーアクションも披露して、<ボンド・ブランド>のイメージは継承して見せる。
ラストは、どうやら、ロシアの北方領土にある廃棄工場のような廃墟での銃撃戦となり、ボンドも銃弾に倒れたが、<ノー・タイム・トゥ・ダイ>なのだから・・・。
きっとまた、復帰してくるだろうことを祈りたい。

■左中間への痛打がレフトのグラブを弾いてのツーベース。 ★★★☆☆・・◉
●全国でロードショー中