31日は叔父の三回忌で西宮の親戚宅に行った。
法事というと重苦しい感じがするけど、
盆正月でもめったに会えない親類と顔を合わせられる、
わいわい賑やかな集まりでもある。さながら同窓会みたいな感じだ。
故人を偲ぶのももちろん大切だが、生きている身内が一堂に集まって
消息を確かめ合うのが法事のほんとうの目的なのかもな、と思う。
さて、その場で何の話をしていた時か、携帯電話を見せ合っていた時だったか
私がKAT-TUN中丸くんのファンだということが発覚し、
いとこのヨメ(私と同い年)に大笑いされた。
うけを狙うつもりはなかったのだけどな・・。
まあ、彼女は、「私は、中丸くんは『まじっすか』でしか見たことないから・・ははは(爆笑)」
と言っていたから、
それだったら、こんな頼りなさそうなやつのどこがいいんだ?と
思って、おかしかったのかもしれないなあ。
一度でいいから、歌ってるとことか、踊ってるとことか、じっくり見てね。
で、その日の「まじっすか」は、中丸くんが卒業論文に取り組んで
学業を修了するまでの4か月を取材したものだった。
教授とマン・ツー・マンの中間報告や、メンバー相手の発表練習や、
発表当日、会場に入る直前の緊張の面持ちや、発表直後の安堵の表情などなど
貴重な映像であった。
PV撮影の合間に発表練習をする中丸くんの真剣さは然ることながら、
それに立ち会って、
まとめが複雑でわかりにくいとか、話し方に抑揚をつけたほうがいいとか
批評をする亀梨くんや上田くんのまじめな応対にも感心した。
ものごとに真剣に取り組んでいるひとたちを見ていると、
なんだか、こちらの気持ちも引き締まってくる気がするな。
人の心を動かすのは、当人が全力でそれに立ち向かう熱意なのだと
改めて思った。勉強でも、芸術でも仕事でもなんでも、
自分で自分を高めなければ、満足や達成感は得られないのだ。
去年の夏、このブログに、ここまでがんばってきた中丸くんには
後悔のない論文を書き上げてほしいと書いた。
きっと、ほかの誰にも書けない、今の力を出し切った論文が完成したに違いない。
一生の輝ける思い出になるんだろうな
不肖私の卒論は、一生の心残りになっている。ああ、もっと丁寧に書けばよかった。
法事というと重苦しい感じがするけど、
盆正月でもめったに会えない親類と顔を合わせられる、
わいわい賑やかな集まりでもある。さながら同窓会みたいな感じだ。
故人を偲ぶのももちろん大切だが、生きている身内が一堂に集まって
消息を確かめ合うのが法事のほんとうの目的なのかもな、と思う。
さて、その場で何の話をしていた時か、携帯電話を見せ合っていた時だったか
私がKAT-TUN中丸くんのファンだということが発覚し、
いとこのヨメ(私と同い年)に大笑いされた。
うけを狙うつもりはなかったのだけどな・・。
まあ、彼女は、「私は、中丸くんは『まじっすか』でしか見たことないから・・ははは(爆笑)」
と言っていたから、
それだったら、こんな頼りなさそうなやつのどこがいいんだ?と
思って、おかしかったのかもしれないなあ。
一度でいいから、歌ってるとことか、踊ってるとことか、じっくり見てね。
で、その日の「まじっすか」は、中丸くんが卒業論文に取り組んで
学業を修了するまでの4か月を取材したものだった。
教授とマン・ツー・マンの中間報告や、メンバー相手の発表練習や、
発表当日、会場に入る直前の緊張の面持ちや、発表直後の安堵の表情などなど
貴重な映像であった。
PV撮影の合間に発表練習をする中丸くんの真剣さは然ることながら、
それに立ち会って、
まとめが複雑でわかりにくいとか、話し方に抑揚をつけたほうがいいとか
批評をする亀梨くんや上田くんのまじめな応対にも感心した。
ものごとに真剣に取り組んでいるひとたちを見ていると、
なんだか、こちらの気持ちも引き締まってくる気がするな。
人の心を動かすのは、当人が全力でそれに立ち向かう熱意なのだと
改めて思った。勉強でも、芸術でも仕事でもなんでも、
自分で自分を高めなければ、満足や達成感は得られないのだ。
去年の夏、このブログに、ここまでがんばってきた中丸くんには
後悔のない論文を書き上げてほしいと書いた。
きっと、ほかの誰にも書けない、今の力を出し切った論文が完成したに違いない。
一生の輝ける思い出になるんだろうな
不肖私の卒論は、一生の心残りになっている。ああ、もっと丁寧に書けばよかった。