花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

一枚の写真シーズン2 ⑫ 喜六ヶ問題

2025年02月08日 | レモン色の町

喜六と清八 関西落語の「伊勢参宮神賑(いせさんぐうかみのにぎわい)」に登場の二人組であります。

本日、四日市は朝から雪が降り続いています。日の差す間もありますが、またもやすっかり曇って雪です。

鵜森神社

諏訪神社

前回の問題、駅前には、円形デッキが着工中。

本日の問題。ヒントは遠くに見える まあるいものなーんだ?

オマケ:前回の出題者、神戸の長吉と穴太徳は稲葉翁伝の血煙荒神山に登場されるお二方です。再々掲載ですが、忘却の彼方の方は再度ご覧ください。

血煙荒神山その1.前奏曲 ①

2021年8月30日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その2.前奏曲 ②

2021年8月31日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その3.荒神山へ

2021年9月1日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その4.決戦!仁吉倒れる!

2021年9月3日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その5.仁吉と稲葉翁

2021年9月4日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

血煙荒神山その6.荒神山観音寺

2021年9月5日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街


一枚の写真シーズン2 ⑪ 穴太徳の答

2025年02月07日 | レモン色の町

辻さんのが残した写真 昭和30年5月 もちろん新しい近鉄駅ができる以前の中央通り 西方向

昭和32年 駅舎の二階である近鉄ストアから東 市役所方面を撮った写真 昭和32年

昭和33年3月 雨の中を 駅前バス停から駅へ向かう人々

そして辻さんは この写真を撮った日を 記録されていました

昭和33年7月


長吉が 閑話休題

2025年02月05日 | レモン色の町

ありがとうございました たいじゅさんからコメントが届きました。八王子線と湯の山線が並ぶ写真の入手先は、ブログ『地方私鉄1960年代の回想』からでした。謹んでお詫び申し上げます。こちらのブログも是非ご覧ください。

昭和40年とすると・・(右に建つ労働基準監督所?)

地方私鉄 1960年代の回想: 三重電気鉄道 内部・八王子線

写真を撮られた日は、昭和40年8月5日となっています。では、昭和43年発行の住宅マップには労働基準監督所が建ってないのはなぜでしょう。この3年間のブランクはどうしたものでしょう?

昭和43年の住宅地図のハズ

まあ、ええか。オラが人生に何の影響もないわい。わい わい


一枚の写真シーズン2 ⑩ 回答ねずみ小僧

2025年02月03日 | レモン色の町

大きな車輛と、右にはかわいらしい車輛が並んだ写真。左の車輛は“湯の山”行で

右は“八王子”行となっています。

右は「菰野」行か?訂正:左は菰野行か?

昭和31年、開設直前の近鉄四日市駅は、東側から近鉄名古屋線、湯の山線、八王子線と並んでいます。(昭和31年以降の写真)

昭和43年のマップによると、この時点で近鉄四日市駅西側には労働基準局が建っていません。(昭和43年以降の写真)

マップの下 地下通路を出たところに松坂競輪場外券売り場がありました

昭和何年か?右端に見える建物が 確か 労働基準監督所 やったかなぁ?

近鉄の高架工事は昭和46年12月着工から昭和48年10月完成となっていて(昭和46年以前の写真)

結果、昭和43年から46年の間の写真と云うことになりそうですが・・・

 

 


一枚の写真シーズン2 ⑨ 回答明智小五郎編

2025年02月01日 | レモン色の町

諏訪駅の南にあった 集合店舗の諏訪百貨店、通称 スワマーケット内部の様子です。ボタン屋さんです。他にリボンや縫い糸なども売られています。これだけで店舗が成り立っていたと考えるとオドロキですね。黒電話が店先にドカンと置かれていたりして、店の活気が伝わってきます。

昭和33年7月

その奥隣が下駄屋さん。ここも今では考えられないような取扱品です。下駄の鼻緒が大量に下げられて、扱い品目は下駄・突っかけがほとんど。鼻緒が切れてはここへ持ち込んだのでしょう。昭和33年7月のこと。諏訪駅がなくなって2年ほど経っています。

昭和33年7月

このスワマーケットから2~3軒西に、諏訪劇場へ抜ける狭い路地がありました。らくだ洋服店・カメラの光映堂・やきそばの柏屋、路地となっていて床屋と商人宿が向かい合ってあったようです。昭和33年7月

この路地は諏訪劇場へ抜ける道でした。出たところにスワン美容室と辻写真館がありました。

昭和35年12月20日

地権者の調整がようやく済んで、昭和35年12月スワマーケットが解体されることとなりました。

昭和35年12月

これと同じ日にボタン屋さんが撮影されました。上では解体作業が進められている中、中の店舗はぎりぎりまで営業が続けられていました。

 


一枚の写真シーズン2 ⑨ 問題二十面相編

2025年01月31日 | レモン色の町

昭和30年前後 辻写真館の辻俊文さんは 諏訪駅が無くなる頃の風景を写真として残して行かれました。百数十枚の写真をお預かりし、データ化しました。それが、四日市の昔を知りたいと思うようになったきっかけです。ブログで公開を始めたのは、それから10年ほど経ってからです。

この写真も、その1枚でした。画面左上の家屋の建て方がヒントです。いつ頃の何処の風景でしょうか?


一枚の写真シーズン2 ⑧ 答ホームズ編

2025年01月29日 | レモン色の町

昭和27年、会場内を三重交通(八王子・内部線)の車両が横断しています。その写真が「目で見る四日市の100年」に掲載されていました。

少し離れて車両がもう一台見えますが、どうなってるんでしょうね?

カメラは北向きに撮られています。中央の黒い建物は川村鉄工所で、ここにオカダヤ(その後 ジャスコ)が建つことになります。博覧会ゾーンは柵で仕切られ、左(西側)には写真組合の販売所が出ています。

上の写真は、八王子線の『八』の字あたりになります。

こどもの国入口 その向こうに木下サーカスが立ちます。

この他、会場には、農機具博覧会にふさわしい展示棟が並びます。

農業参考館線路より東です

農業原動機館

農機具の実演もありました。近代的農業には程遠く 牛さんが出演しています。

この写真も東側会場かな?と思われます。お寿司やビールの販売所が見えます。戦後からの立ち直りの真っ最中で、この頃から、人糞肥料からか化学肥料へと変わる時代になります。人糞肥料で育った野菜を食べるため、小学校では、回虫駆除に海人草を飲まされました。「かんにんそう!」と云っては鼻をつまんで飲み込んでおりました。昭和27年に博覧会が終了した跡地は、昭和31年の新しい駅の完成に向け、中央道りが整備されていきます。

 


一枚の写真シーズン2 ⑧ 回答ルパン編

2025年01月28日 | レモン色の町

講和記念博覧会出展の木下サーカスでした。ななし?の権兵衛さん 残念でした!

中部日本産業化か新日本産業か?マ、どっちでもええか

講和記念博覧会は、昭和27年3月、未完成の中央70メートル道路を中心に開催され、全日本農機具・新日本産業 講和記念大博覧会と命名されました。

講和記念博覧会 いよいよ開幕

2020年4月24日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

講和記念博覧会 正門の賑わい

2020年4月25日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

講和記念博覧会 産業ホール館

2020年4月27日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

講和記念博覧会 講和記念館

2020年4月28日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

講和記念博覧会 呼び物のアトラクション

2020年4月29日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

講和記念博覧会 四日市パノラマ

2020年5月1日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

講和記念博覧会 アメリカンホール

2020年5月2日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街

会場を横断する“室山・八王子線”の西側ゾーン、現在の近鉄四日市駅周辺を会場として“子供の国”“サーカス”“ジャングル館”等が配置されていました。時間がないので つづく