花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

三重県の昔の食事2

2009年10月30日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
「聞き書 三重の食事」農文協 には大正から昭和の時代にかけて、河芸郡稲生にある農村でどんなものが作られていたかが書かれております。
フード・ドクターである東畑朝子氏はこう記している。
健康は我が家の台所と食卓からつくられる。「我が家の料理が世界一の美味」と誇れるようになったときこそ、私たちは。医学的に引き伸ばした長寿でなく、新の健康と長寿を楽しむことが出来るだろう。今からでもおそくはない。語り継がれた多くの味を知り、それを私たちの食卓に再現してみよう。一家団欒は、そこから始まる。
さて、お正月のおせち料理はどんなものだったか。
          
上の段左から:田作り、れんこんの煮しめ、なます、酒
2段目:煮豆、ごぼうの煮しめ、黒豆
3段目:こんにゃくの煮しめ、数の子、にんじんの煮しめ、しぐれ炊き(かしわ、ただいも、にんじん、ごぼう、れんこんをいっしょに煮たもの)
下:雑煮。
雑煮だが、稲生では煮干と輪切りにした大根を味噌煮にしたものを甕に入れ保存しておき、必要なだけ甕から取り出して水を加え、餅を入れて雑煮にする。
四日市では、かつおだしに菜っ葉、時にはかしわの汁に角切りの餅を入れるシンプルなものだ。雑煮は各地でまちまち。京都では白味噌、関東ではたくさんの具材をしょうゆで煮込むそうだ。
餅つきは、12月の29日から30日にかけて行われ、神様にお供えするお鏡、雑煮にして食べるのしもち、あんこを中に入れた包みもち、そして憑きながら食べる菜もち、おろしもち、あんころもち、きなこもちが作られる。我が家でも30日の早朝から餅つきが行われた。
正月の来客用に白飯米が炊かれ、家族は煮しめや煮豆を主に食べ、おせちはお客さんに振舞われる。
オラの家でも、ご幼少の頃までは麦飯が炊かれておりました。出来るだけ麦をよけて食べたものです。
正月二日には、ひびのはいったあんこの包みもちでぜんざいを煮る。保存食という点では納得できます。
餅つきは、ハレの日によく行われましたソウナ。
コメント
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