富山の薬屋さんが来た。2年ほど前にお客さんから頼まれて以来、年に1回ほどやってくる。薬箱を置いて使った分だけ精算して補充していく。
町の中では必要もないと思っているが、頼まれたから仕方がない。
悪いから絆創膏くらいは使っている。
前回の「思いやりのこころ」に、越中売薬のことが載っていた。
いいお話だったのでコピーして渡したら、喜んで帰っていった。今どき利益になるのだろうか?
越中売薬が始まったのは、元禄三年といわれている。
江戸城内で、三春(福島県)の藩主が腹痛で困っていたのを、富山藩主の前田正甫が反魂丹を与えたのがきっかけで、富山の行商人が全国を回るようになったらしい。
明治時代、北海道の開拓民の間にも富山の薬売りは出かけた。
「洞爺村史」にこんな記述がある。
「商売だからといってしまえば、味も素っ気もなくなるが、決して過小評価してよいわけのものでもない」
「富山の売薬業者たちは、開拓者に影のように寄り添って、それらのただひとつの健康の担い手として辛苦を共にしているのである」
昭和5年、6年と、北海道は二年続けて凶作に襲われた。それは、ただでさえ貧しい農民に決定的な打撃を与えた。
食事も満足にしていない子供を見ては、とても代金をもらえない。
「お金のことは心配せずに、病気になったら薬を飲んで、子供たちを大事に育てなさい。私は富山へ帰ったら田んぼで生活できるから・・・」
そう言って薬を補充し、笑顔で村人を元気付けた。
翌年、大豊作に恵まれた。
何より先に薬代をと、待っていた家も多かったそうだ。
代金後払いという信頼関係でつながった商い。苦しいときに救われた恩は忘れない。
名もなき富山の薬屋さんに、こころまで救われた人がたくさんあったのだ。
そうだ・・・
町の中では必要もないと思っているが、頼まれたから仕方がない。
悪いから絆創膏くらいは使っている。
前回の「思いやりのこころ」に、越中売薬のことが載っていた。
いいお話だったのでコピーして渡したら、喜んで帰っていった。今どき利益になるのだろうか?
越中売薬が始まったのは、元禄三年といわれている。
江戸城内で、三春(福島県)の藩主が腹痛で困っていたのを、富山藩主の前田正甫が反魂丹を与えたのがきっかけで、富山の行商人が全国を回るようになったらしい。
明治時代、北海道の開拓民の間にも富山の薬売りは出かけた。
「洞爺村史」にこんな記述がある。
「商売だからといってしまえば、味も素っ気もなくなるが、決して過小評価してよいわけのものでもない」
「富山の売薬業者たちは、開拓者に影のように寄り添って、それらのただひとつの健康の担い手として辛苦を共にしているのである」
昭和5年、6年と、北海道は二年続けて凶作に襲われた。それは、ただでさえ貧しい農民に決定的な打撃を与えた。
食事も満足にしていない子供を見ては、とても代金をもらえない。
「お金のことは心配せずに、病気になったら薬を飲んで、子供たちを大事に育てなさい。私は富山へ帰ったら田んぼで生活できるから・・・」
そう言って薬を補充し、笑顔で村人を元気付けた。
翌年、大豊作に恵まれた。
何より先に薬代をと、待っていた家も多かったそうだ。
代金後払いという信頼関係でつながった商い。苦しいときに救われた恩は忘れない。
名もなき富山の薬屋さんに、こころまで救われた人がたくさんあったのだ。
そうだ・・・