花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

四日市漫歩マップ⑩諏訪神社 其の1

2021年10月25日 | レモン色の町

諏訪神社と諏訪公園は、オラが幼少時の遊び場であった。幼稚園が公園内にあったことも大きな要因である。帰宅すると神社へ走る。必ず友達がいた。おっちゃくい松永兄弟は、神社拝殿の屋根へ登った。ついでに正ちゃんのシャツの中に幼虫を放り込んだ。お腹に入った幼虫は白い汁を出して潰れた。

四日市の産土神である諏訪神社は、鎌倉時代の創建と伝えられています。空襲で焼失する前の境内が描かれています。鳥居の向こうの堀は泗水八景の一つ「御手洗(みたらし)の満水」と呼ばれた場所です。水谷百碩 四日市十二景より 昔は川になっていて、当家の真ん中を通り阿瀬知川へと流れていました。

諏訪神社の境内社 山津見神社に向かう石橋を描いています。緑が生い茂り、無数の鳥居が建ち並ぶ光景は、今も見ることができます。人影のない境内と杉の木陰、鏡のような水面が、昼下がりの静かな雰囲気を描き出しています。出口百碩 泗水十二景より

本日の 雨の石橋 この池は水の流れはなく 底は泥で底なし沼状態である。池の亀をつかみ出して、石でつぶす輩がいた。

大正期の絵はがき。右に茶店のようなものが見える。手前に立つ“県社 諏訪神社”の碑はずいぶん立派そうだが、前に居るのは子供である。この碑は 現在に至っても存在するのだろうか? 拝殿は空襲時どうなってたのだろうか? つづく

岡野繁松先生が描いた、戦前の諏訪神社と諏訪公園 鳥居前はずいぶん広々していた。

 

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四日市漫歩マップ⑪諏訪神社 其の2(訂正しました)

2021年10月25日 | レモン色の町

空襲後、昭和21年の空撮。諏訪公園(白く写っている部分)ははっきりわかるが、諏訪神社は集中攻撃を受けたような瓦礫の山だ。

昭和31年頃。神社、公園とも 整地が進められている。1号線の拡幅工事が、神社前だけ遅れている様子だ。戦後復興の都市計画で、神社前から南への1号線と近鉄駅前の中央通り整備されつつある。

吉田紙店の諏訪神社前を撮った年賀状。大正期の神社前で、鳥居前は今と比べると広々している。

現在。鳥居前にあった“県社 諏訪神社”の碑が、今はどうなっているのか写真を撮りに出かけた。

鳥居の左、道沿いに移転しているが、当時と比べると字体が違っている(社の文字)。碑の裏を見ると“大正6年9月25日建”とあるから 下の大正期とある写真は、大正1年〜6年の間に写されたということなる。

大正期

 

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