花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

ぶらり四日市 番外 刃傷事件 ①

2023年02月03日 | レモン色の町

四日市宿での刃傷事件・発端編

天保5年10月10日、四日市宿で刃傷事件が起きた。桑名宿の飯盛り女をめぐって4人が負傷した事件である。この事件の顛末を上野秀治氏が“四日市市史 第1巻”に書いてみえるので紹介させていただきます。

東海道分間延絵図より“四日市宿”

天保4年、桑名宿の飯盛り女“花香”と懇ろになった名古屋久屋町の“太七”は、桑名の旅籠屋“仙助”の処から“花香”をひそかに名古屋へ連れ出した。しかし、見受けするお金もなかったので、武家である尾張藩家臣“大塩安五郎”に泣きつく。(ここで疑問がわく。町人の困りごとになぜ武士が絡んだか?)一旦“花香”を預かった大塩は“利兵衛”と“平八”を立てて見受けの交渉をすることにした。一方の“仙助”は、これを受けて無宿人“丈助”と共に名古屋へ出向いた。(やくざを取り込んでの事態となった)。後に“仙助”は、“丈助”が無宿人だったとは知らなかったと話している。第1回目の交渉である。

天保時代(下が南 訂正:下が北でした スミマセン)思えば、昔の人って北を上にする癖がなかったんですね。

大塩側は、“花香”の残りの年季奉公分のお金を“仙助”に支払うというまっとうな提案をした。これに対し“仙助”は応じるふりをして、あとで“花香”を取り戻そうとたくらんでいた。 つづく

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