花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

聖武天皇大混乱!

2021年06月23日 | レモン色の町

本日、大発見があった。本町の水谷宣夫氏が富田浜海水浴場の俯瞰図をお持ちだった。写真集“四日市の100年”ではモノクロであり明確ではなかったが、これは本物であった。

付近名所旧跡

垂坂山御野立所跡

垂坂山は霞ケ浦西方約十町 眺望絶佳にして杖を曳く遊客四時絶えず 殊に四日市の咽喉を扼し 軍事上亦枢要の地点なれば明治43年陸軍大演習の砌(みぎり)今上陛下駕(駕=のりもののこと)をこの地にとどめられ 三軍を統べ給ひし所なり。  けふはまた誰が御祓岡志か岬 木綿(ゆふ)とりしでて浪もみすらむ(名寄) ナンノコッチャ!垂坂山山頂の天武天皇の碑は、富田ウエブページの碑と一致する。

富田の思い出の写真より

垂坂山(御祓ケ岡)より四日市港を望む

これは垂坂山山頂

天武天皇御旧跡

壬申の年 天武天皇この地の乱を避けたま給ひし時 遥かに伊勢大廟御遥拝献穀奉弊戦勝祈願を遊ばされし所なり。(霞ヶ浦西方約八町)

 遅れにし人を思はく志氏が岬 ゆふとりしでて 住まむとぞ思ふ(萬葉集)

  • パンフレットの碑と、垂坂山の碑が一致しました。

額突(ぬかづき)山 天武天皇御旧跡

付近にある米洗(よない)川は、御祓(みそぎ)ガ岡、志氏(しで)ガ岬と共にいずれも天武天皇の御旧跡なり。

そして極め付き!備考として 1.表面絵画中 聖武天皇とあるは天武天皇の誤植なり。2.シドロ松は志氏(幣)の松の転化俚稱(りしょう)なり。

左下は間違いで、天武天皇御遥拝の松 とあり、ここは大矢知のように思えます。

 聖武天皇は天武天皇の間違いです!と簡単に認めております。なぜ、分かっていながら訂正しなかったのでしょうか?では、富田浜は聖武天皇でいいのか?オセーテ。そして、富田浜海水浴場入り口南側にあったシドロ松は、そういう種類の松だったということでした。

富田浜の、噴水の上に立つのは、聖武天皇なのでしょうか?


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-06-23 20:52:44
開栄橋/相生橋の件といい、今回の天武天皇/聖武天皇の件といい、タケオさん、古い資料に振り回されっぱなしですね。心中お察しいたします。
でも、お話しとしては、この方が意外性があって面白かったかも?😅😅😅
不謹慎の段、お許し下さい。🙏🙏🙏
返信する
Unknown (Unknown)
2021-06-24 10:18:32
パンフレットの垂坂山(御祓岡)の碑は説明書き通り
大正天皇が皇太子時代に陸軍の演習の際、垂坂山を
訪れたことを記念して大正時代に建てられた碑です。
倒壊の恐れがある為、十年ほど前に撤去されました。
碑の文字は「今上天皇御駐蹕處」で形も円柱砲弾状で
富田ホームページの垂坂山の写真とは一致しません。

富田ホームページの写真と文字と形が一致するのは
パンフレット額突山(ぬかつきやま)天武天皇御舊跡
の写真ですよね。額突山は糠塚山(ぬかつかやま)の
別称です。ですから富田ホームページで垂坂山と紹介
されている写真は実のところ糠塚山(額突山)山頂の
写真なんです。

尚、パンフレット中の和歌に「志氐(しで)が岬」と
ありますが正式には「四泥(しで)の崎」です。
シドロの松は四泥の引用でしょう。
また志氐神社(しでじんしゃ)の社名もこのシデの発
音が元になっております。シデは(木綿)四手でもあ
るのですが説明は割愛します。

噴水上の聖武天皇像は聖武天皇で間違いないはずで
すよ。聖武天皇の和歌に出てくる「吾の松原」の候
補の一つが富田浜、富洲原付近の海岸です。近くに
は聖武天皇社もありますし、和歌に因んだものだっ
たものと思います。
返信する

コメントを投稿