本日、大発見があった。本町の水谷宣夫氏が富田浜海水浴場の俯瞰図をお持ちだった。写真集“四日市の100年”ではモノクロであり明確ではなかったが、これは本物であった。
付近名所旧跡
垂坂山御野立所跡
垂坂山は霞ケ浦西方約十町 眺望絶佳にして杖を曳く遊客四時絶えず 殊に四日市の咽喉を扼し 軍事上亦枢要の地点なれば明治43年陸軍大演習の砌(みぎり)今上陛下駕(駕=のりもののこと)をこの地にとどめられ 三軍を統べ給ひし所なり。 けふはまた誰が御祓岡志か岬 木綿(ゆふ)とりしでて浪もみすらむ(名寄) ナンノコッチャ!垂坂山山頂の天武天皇の碑は、富田ウエブページの碑と一致する。
富田の思い出の写真より
垂坂山(御祓ケ岡)より四日市港を望む
これは垂坂山山頂
天武天皇御旧跡
壬申の年 天武天皇この地の乱を避けたま給ひし時 遥かに伊勢大廟御遥拝献穀奉弊戦勝祈願を遊ばされし所なり。(霞ヶ浦西方約八町)
遅れにし人を思はく志氏が岬 ゆふとりしでて 住まむとぞ思ふ(萬葉集)
- パンフレットの碑と、垂坂山の碑が一致しました。
額突(ぬかづき)山 天武天皇御旧跡
付近にある米洗(よない)川は、御祓(みそぎ)ガ岡、志氏(しで)ガ岬と共にいずれも天武天皇の御旧跡なり。
そして極め付き!備考として 1.表面絵画中 聖武天皇とあるは天武天皇の誤植なり。2.シドロ松は志氏(幣)の松の転化俚稱(りしょう)なり。
左下は間違いで、天武天皇御遥拝の松 とあり、ここは大矢知のように思えます。
聖武天皇は天武天皇の間違いです!と簡単に認めております。なぜ、分かっていながら訂正しなかったのでしょうか?では、富田浜は聖武天皇でいいのか?オセーテ。そして、富田浜海水浴場入り口南側にあったシドロ松は、そういう種類の松だったということでした。
富田浜の、噴水の上に立つのは、聖武天皇なのでしょうか?
でも、お話しとしては、この方が意外性があって面白かったかも?😅😅😅
不謹慎の段、お許し下さい。🙏🙏🙏
大正天皇が皇太子時代に陸軍の演習の際、垂坂山を
訪れたことを記念して大正時代に建てられた碑です。
倒壊の恐れがある為、十年ほど前に撤去されました。
碑の文字は「今上天皇御駐蹕處」で形も円柱砲弾状で
富田ホームページの垂坂山の写真とは一致しません。
富田ホームページの写真と文字と形が一致するのは
パンフレット額突山(ぬかつきやま)天武天皇御舊跡
の写真ですよね。額突山は糠塚山(ぬかつかやま)の
別称です。ですから富田ホームページで垂坂山と紹介
されている写真は実のところ糠塚山(額突山)山頂の
写真なんです。
尚、パンフレット中の和歌に「志氐(しで)が岬」と
ありますが正式には「四泥(しで)の崎」です。
シドロの松は四泥の引用でしょう。
また志氐神社(しでじんしゃ)の社名もこのシデの発
音が元になっております。シデは(木綿)四手でもあ
るのですが説明は割愛します。
噴水上の聖武天皇像は聖武天皇で間違いないはずで
すよ。聖武天皇の和歌に出てくる「吾の松原」の候
補の一つが富田浜、富洲原付近の海岸です。近くに
は聖武天皇社もありますし、和歌に因んだものだっ
たものと思います。