花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

ダンボールと奮闘中!

2005年07月10日 | おいらの商店街
園通りのアーケードが、きれいに塗り替えられた。そういえば、武兵衛の店が大変だ。大きなダンボールの筒が持ち込まれている。それというのも・・・
日のことだ。ススム会長の店の前を通りかかったら、会長と横ちゃんの奥方がこちらを見て笑っている。「ええとこに、通りかかった」逃げようと本能的にに感じたがつかまってしまった。
ると大きなダンボールが立っている。今度の催事「御諏訪さんにいらっしゃい」に立てる鳥居の骨組みだ。ススム会長が、どこからかダンボールをもらってきて組み立てている模様。
こから、どうしたらええと思う?ススム会長の口癖だ。紙を貼って赤の塗料を塗ればええ。私も言わなくてもいいのに、ついアドバイスする。それで現在、大きなダンボールを前にして、紙貼りに奮闘中である。
また、会長が二本目のダンボールの筒を持ち込んできた。大変でござんす。簡単に大きな風船でも吊り下げて装飾にしようと提案したが、相談相手の風船堂の佐藤君はあまり乗り気ではない。どうも予算が合わない様子だ。まあ、できる限り手作りでやってみるしかない。大きな不安を抱えての船出だ。会長もよくやる。
番街の白揚が、8月7日限りで店を閉める。小さい頃から足しげく通った本屋さんだけに、寂しさもひとしおである。もう少し辛抱できないものか。
に打たれて、ぬかるんだ道にも、いつかはまた、晴れる日も来るだろう。美空ひばりの歌だ。
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永島慎二さん逝く

2005年07月08日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
画家の永島慎二さんが亡くなった。享年67歳。永島さんの漫画に出会ったのは、いまから40年近く前のこと。言い切ってしまえば、私の青春時代の真っ只中でありました。
林堂から「ガロ」という月刊誌が出ていて、そこに掲載されていたのが「かかしがきいた、かえるのはなし」でした。
い畑地に案山子が立っていました。そこへ一匹の、旅を続けるかえるが通りかかります。かえるは案山子の下で一休みします。そして案山子に問いかけます。ある夜、月へ向かう列車が出ます。私はその駅を探して旅を続けているのですが、その駅がどこにあるのか、案山子さん知りませんか?
山子は答えます。その駅はあの丘を越えた向こうにあります。あなたの長かった旅も、もうすぐ終わりですよ。それを聞いたかえるは喜んで、再び旅を続けていきます。
いぶん長い間、私はここにこうして立っていた。何のために、ここにこうして立っているのかが分からずに。今、ようやくその意味が、分かったような気がする。
って行くかえるを見送りながら、案山子はその生涯を終えます。ドドーッと風が吹く畑の中で。
山子は永島さんで、かえるは若い読者でしょうか?生きる意味を大上段で考え悩んでいた青春時代。案山子は、一人の伝道師のようにも受け取れます。漫画を超えた含蓄のあるストーリーに、私はすっかり魅せられました。「たかが、漫画じゃあ、ありませんか。ねえ」永島さんは自作の中で、笑い飛ばそうとしますが、たかが漫画では済まされなかったのです。
粋に生きようとした永島さんでしたが、その後、銃刀法不法所持の罪にかかったことがあり、私も少し失望して離れてしまいました。
宿でフーテンをしていた永島さん。あの事件は、いったいなんだったのでしょうか。それなりの事情があったのでしょうが、今はその知る由もありません。
なたの描いた漫画は、すでに青春時代を終えた多くの読者の胸に、しっかりと残されています。
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昭和30年代の夏休みのこと

2005年07月06日 | レモン色の町
訪西商店街の野村さんから、おもてなしに掲載する原稿を頼まれました。今までのブログと重複するところが多々ありますが、お時間があれば読んでみてください。
は、昭和23年に生まれました。いわゆる団塊の世代です。終戦後のバラック建ての店舗の裏に、私が生まれるということで、新しく住まいを建てなおしたそうです。場所は新田町。諏訪前通りという東海道沿いの商店街です。根っからの町っこです。
学校は浜田小学校。小さい頃の何よりの楽しみは、夏休みとお正月でした。いわゆるハレの日です。夏休みに入る終了式の日。先生から夏休みの注意などを聞いた後、1学期の間に作った工作や、朝顔と一緒に、夏休みの宿題をいただき、元気いっぱいで帰ってきました。
て、7月中に宿題を済ましてしまおう、そして、あとの一ヶ月間を十分に遊ぼうと大計画を立てて、夏休みの友に取り組みます。ところが問題があります。それは、毎日の天気と日記。これは一気に片付けるわけにいきません。
気は、夏休みの最後に誰かに聞けばいいのですが、日記は毎日書かなくてはならないのです。3日間ぐらいは、諏訪神社で行われるラジオ体操のことを書いたりして続きますが、やがて嫌になり、書くことがなくなります。5枚くらいでストップです。標本作りという難題も残っています。まだまだ夏休みは始まったばかり、日にちはあります。ということで、これを期にすべてが止まります。
月の初めに、商店街では港まつりが行われました。この日を目指して通りでは飾り物に取り掛かります。竹で編んで骨組みを作り、そこへ、ちり紙を折って開いた花を取り付けていきます。最後にスプレーで色をつけ完成です。我が家では総出で、等身大の「らくだ」を作り、バカンスはらくだに乗ってと書いた看板をかけました。生活にゆとりが見え始め、バカンスということばが歌にも出始めた頃です。たくさんのお客さんが見て行きます。鼻高々でした。
時はほとんどのお店が、住まいと一緒でしたので、晩御飯を済ませたあとのお風呂の時間まで、退屈な夜の時間はこの作業に費やされました。テレビジョンがまだ珍しかった頃です。
レビのある店へは、友達誘い合わせて出かけました。「もう遅いで、これがすんだら帰らなあかんよ」といわれるまで見続けました。その家では、夜の食事が始まっています。「今日は、えらいご馳走やなぁ」と横目で見ながら、匂いを嗅ぎながらのテレビ観賞です。
原のおじさんが、新田町の子供たちを集めて「楠の木子ども会」というのを作りました。日頃かまってもらえない、商売の店の子供たちを思ってのことだったのでしょう。ラジオ体操・廃品回収・8ミリ映画会・バス旅行などが企画されたのです。
休みに行われた日帰りのバス旅行は、何より楽しみにしていました。伊勢神宮や枚方の菊人形などへ、大人も子供も町を上げて出かけます。
発の朝は元気いっぱいなのですが、日が西に傾き帰路につく頃になると、なんとなく寂しく、悲しくなってきます。ガイドさんが「あと一箇所、寄りますからね」のことばに、最後に残された楽しみに希望をつなぐのですが、そこはトイレ休憩だけでした。またしょんぼりしてバスに乗ります。残る楽しみは、旅先で買ったお土産のみ・・・。
の寂しさは、やがて来る夏休みの終わりから来るものでした。8月31日、私は親父に自転車に乗せてもらい、石の標本を作るため、阿倉川の墓石屋へ向かいました。いろんな石があるところは、そうだ墓石屋だ!と親父は思いついたのでしょう。今考えると、えらい勘違いです。当然、収穫はゼロでした。
度はお袋が、近所の魚屋で、珍しい貝の盛り合わせを買ってきました。貝の標本作りです。見るとグロテスクな貝が山盛りです。全部なべに入れ、醤油で煮込んで食べました。「へんな味やなあ」「ちょっとも、おいしない」
残った貝殻をきれいに洗って箱に並べます。名前など調べる余裕も時間もありません。
学期が始まり、私は恐る恐る、箱からはみ出た貝の標本を提出しました。
意外にも先生から返ってきた言葉は「珍しい貝ですね」でした。決して、「どこで取ってきたの?」とは聞かれませんでした。ヨカッタ、ヨカッタ。
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笑顔の似合うお二人さん

2005年07月04日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
日、配達先で、とても笑顔のいいお二人にお会いできた。人の配達の話など、聞きたくもないでしょうが、まあチョット聞いてください。
ナセさんのお宅は、まちなかの古い日本家屋。奥さんの初盆だ。玄関に入るとあれっと思うものが目に付いた。小さな本箱に、何百冊という文庫本がぎっしり。古本屋さんのように紐で縛って並んでいる。
藤雅美の本が10冊ほどある。よく見ると、宇江佐真理、早乙女貢などの本。「時代小説が好きなんですよ。引っ張り出しては何度も読んでいます。始末に困っているので、どなたかに貰っていただこうとまとめたんです」古本屋へ持っていくと二束三文だ。居酒屋の奥さんが店へ置いておきたいと話してみえたが、酒を飲み飲み時代小説も読むまい。老人ホームにでも寄付しようかと思案中のようす。お好きでしたら、お持ちくださいとおっしゃる。
沢周平と池波正太郎の本がない。お聞きすると、それは大切に残してあるとのこと。「司馬遼太郎の目線は上からですが、藤沢周平は、人と同じ位置で書いていると聞いたことがある。藤沢周平は好きです」
っかり話が弾んでしまった。時間があれば、物色して数冊、おことばに甘えていこうとも思ったが、家で、又、ゴミを増やしてと叱られそうだ。「後日また」と失礼した。
モダさんは80過ぎのおばあさんで、郊外のマンション住まい。転勤で、ご主人と四日市に住み着いた。いずれ故郷の秋田へ二人で帰ろうと話していたが、ご主人はすでに他界。娘さんも四日市の方と結婚され、叶わぬ夢となった。お話にはっきり秋田なまりが聞ける。「この歳で、抜けないんですよ、なまりが」とおっしゃる。少し耳が遠い様子だ。お話のトーンが心地よい。
「秋田のことば、大切にしてください」と大きな声で言って、帰った。
二人とも、とても笑顔の似合う方だった。
このお二人を夫婦にするには、無茶すぎる。何よりも女性が年上過ぎる。とんでもないことを思いつく、武兵衛でした。
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大まじめな話

2005年07月03日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
日はチョット照れくさいような話です。今年の1月22日母親が他界しました。実は7年前の同じ日、1月22日に親父も亡くなっているのです。時刻も20時頃で、1時間とずれてなかったと思います。
儀の席の挨拶でもお話させていただきましたが、私は仏壇屋を営んでおります。戦後の民主教育の中で育ったせいもあるでしょうが、職業柄、あまり神とか仏を信じるほうではありませんでした???
ころがこれをきっかけに考え直さざるを得なくなったのです。偶然ということばでは割り切れません。両親とも高齢で病死でした。母親の部屋にはカレンダーはかかっていませんでしたので、その日が何月の何日なのか、はっきりと分かる状況ではありませんでした。不思議です。
間は、泣いたり笑ったりしていますが、それは所詮、大きな手のひらの中でのことで、その手のひらの外には、生とか死にかかわる、及びもつかないような大きな力が働いている。それを古来、人は、神とか仏と名づけてきたのではないか、と考えてもみました。
戸内寂聴さんは「寂聴般若心経―生きるとは」(中公文庫)の中で、全宇宙の生命体を、神とか仏と呼んできたのだ、とおっしゃってみえます。なんとなく分かったような気がしたのですが、生来、不信心の私のこと、そのときは分かったようでも、いまひとつしっくりきませんでした。
して今回、柳澤佳子さんの「生きて 死ぬ智慧」(小学館)をネットで調べ、売れていることを知り、思い切って買い求めてみました。
じめな文章は、疲れます。また、次回。つ づ く 
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なつかしの組み立てフロク

2005年07月02日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
和33年3月15日。雨の諏訪公園南側。公園入り口から西に向かって撮られた写真。今は梅雨の真っ只中だが、当時は春を呼ぶ雨だ。そういえば出久根達郎氏の本に、面白いことが書いてあった。
の頃は月刊誌が花盛りで、冒険王や面白ブック、少年などの雑誌が書店の店頭をにぎわしていた。先日、図書館で「古本・貸本・気になる本」(河出書房新書)というのがあったので見ていたら、組み立て付録という見出しが目に付いた。
時の少年雑誌には、必ずといっていいほど厚紙で作る組み立てフロクが入っていた。モーターボート・ジエット機・カメラ・幻灯機・日光写真・ピストルなどをのりづけしながら作る。当時、セロハンテープはまだ出はじめで、工作のりで、貼ってもはってもはがれてくるのにやきもきしながら組み立てたものだ。ようやく出来ても、チョット遊んでゴミ箱行きだ。
のフロクを、童心に返ってもう一度組み立ててみたい。夢中になって作ってみたい。そんな会話をしている。「古本屋にはありませんか?」「フロクの別冊ならありますが、組み立てフロクは作って捨てちゃうので、残ってないでしょう」「未使用で保存する子はいないでしょうしね」「あったとしても、とんでもない値段がつくでしょう」
ころがこの会話の主は、その後、真剣になって探したそうだ。故郷の本屋さんに問い合わせたところ、数年前に廃業していた。が、未使用のフロクが、蔵の中のダンボールに十箱ほどあったという。当時、フロクは返品しなくてよかったとのこと。十箱なんてすごいことになりそう、と思いきや。
「ひと足違い、処分に困って地元の小学校に寄付しようとしたんですって、ところが、ほら、40年も昔の、いわばガラクタでしょう?断られたそうです」
「もったいない」
「仕方なく、燃やしてしまったそうです」
「40年も保存しておきながら、ねえ」
ねえ!
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映画 ジェラシック・パニック

2005年07月01日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
日も、相変わらずの暑さが続く。ばってん!涼しいところで映画でも観ようと。1700円も払ったのに、また眠りこけてしまった。ザンネン!お金を少し、返して、くらはい。・・・・無理ネ
っかくのお休みでしたので、お昼のお食事前に、ビール少々と、焼酎少々を頂き(あんまり少々でもないか)冷麺と、焼肉にご飯をまぜまぜしていただきました。そんでもって、いい気持ちで、寝てしもた。(糖尿病にはベストです)
画は?「宇宙戦争」。えらいこっちゃねェ。これで椅子が動いたら、どこかのテーマパークにおるような気持ちやねえ。逃げやなあかんねえェ。けど、何で宇宙人の追いかけて来るとこばかりに逃げるんかねェ。世界はもうチョット広いと思うんやけどねェ。宇宙人も、何で映画のロケしとるとこばっかり襲って来るんかねェ。
屋の木戸君は「日本沈没」以来、映画館に足を運んだことがないという。何十年も昔の話だ。テレビで映画は観ているから、ある程度の知識はあると思うけれど、この映画を観たらびっくりするのではなかろうか。(馬鹿にしているみたいでゴメンネ)実写とCGの区分けがつかない。建物の向こう側に宇宙船が立っている。こちらからバズーカー砲で撃つ。宇宙船が建物を崩してこちらへ倒れてくる。逃げる人を飲み込む。
ム・クルーズはあまり好きな役者ではないが、今回は結構ボロボロになっていたので、好演だった。彼の目線で戦争が描かれる。風景も近代都市でなく、田舎が多くて好感が持てた。原作の雰囲気が出ている、と思う。(原作は読破しておりません。想像です)
涼気分で観ようと思えば、是非,映画館へ足を運ぶべきで、木戸君にも勧めてみようと思うけれど、やっぱ、行かんやろなぁ。木戸君は宇宙人かも、知れやんからなあ。
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